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愛媛、道後温泉

  道後温泉に何年振りかで浸かってきました。
  いい湯でした。石手寺にもお参りしてきました。
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  道後温泉本館(1894年竣工)
  道後温泉は文献に表れるわが国最古の温泉。中でも道後温泉本館は町のシンボル的存在。
  夏目漱石が通ったことで一層有名にしている。
  この歴史ある建物がえひめ国体終了後の今年10月頃から耐震補強工事に入るという。
  道後温泉の顔であるが故に、全館休館にして工事するのか、営業しながら工事するのか、
  最終決定に至っていないという。いづれにしても約10年はかかるという。
  今回は入館入湯しなかったがとりあえず外観を見ることができて良かった。
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  四国霊場、第51番札所「石手寺」(いしてじ) 本尊:薬師如来
  石手寺は、遍路の元祖とされる「衛門三郎」再来伝説ゆかりの寺。
  薬師如来さまには健康のことなどいろいろお願いした。
by bonjinan | 2017-02-19 13:36 | 旅、散歩

愛媛、宇和島、天赦園

宇和島、国指定名称「天赦園」(てんしゃえん)を訪ねた。宇和島藩七代藩主・伊達宗紀(号:春山)が退隠の場所として、二代藩主・宗利の造成した浜御殿の一部を大改造して竣工(1866年)した池泉回遊式庭園。浜御殿と言われた場所だけに庭園の西側は海だったようである。
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庭園の南側からみた園内の風景
池の向こう岸に「春雨亭」(書屋)。愛書家であった春山公は、ここで余生を楽しみながら数多くの書を残し、明治22年(1889年)、百歳の天寿をまっとうしたという。
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庭園の北側からみた園内の風景
天赦園には三つのこだわりがみられる。一つは石組、特に子孫繁栄を願っての陰陽石。二つ目は伊達家の家紋「竹に雀」にちなんでの竹や笹。19種類の竹や笹が植栽されているという。写真左手前の竹は蘇方竹(スホウチク)。三つ目は伊達家の先祖が藤原鎌足であることから何カ所かに「藤だな」を配していること。写真の向こう側に見えるのは「白藤太鼓橋」。西側を西方浄土(写真左側)に見立て、浄土に渡る掛橋とイメージしたようである。
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天赦園から望む宇和島城天守
築城は藤堂高虎。高虎は後に、伊勢津藩22万石の藩主として加増移封されている。

参考:宇和島市ホームページ

補足:他藩との姻戚関係
初代藩主・伊達秀宗:仙台藩主伊達政宗の庶長子。秀宗の妻:彦根藩初代藩主・井伊直政の娘。
2代藩主・伊達宗利の娘:信濃松代藩3代藩主・真田幸道の正室。
3代藩主・宗贇:仙台藩第3代藩主伊達綱宗の三男。
8代藩主・宗城の子、幸民:信濃松代藩10代藩主(松代藩最後の藩主)真田幸民となる。
以来、真田家本家は両養子となり伊予伊達家の血筋となった、・・・など。
※NHK大河ドラマとの関連
井伊直政は井伊直親の子。直親(亀之丞)と井伊直虎(おとわ、次郎法師)は許嫁の仲。
by bonjinan | 2017-02-18 18:34 | 旅、散歩

街の風景@愛媛・内子町

 愛媛、内子町の町並保存地区を歩いてきました。
 内子町は江戸後期から明治にかけて木蝋生産で栄えた町。
 白壁、なまこ壁の美しい町並みが続く。
 手間暇かけてつくった建物は時代を超えて美しい。
 町内には全国的にも有名な内子座がある。 
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 重文・大村家住宅、本芳我家住宅付近
 よく見ると鏝絵(こてえ)、懸魚(げぎょ、破風の飾り)などの豪華な装飾も見られる。
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 重文・木蝋資料館上芳我邸
 木蝋商だった上芳我邸の内部が公開されているほか、原料となるハゼの実から木蝋を生産
 する工程を知ることができる。
 
 参考:内子町公式観光サイト  
by bonjinan | 2017-02-18 06:56 | 旅、散歩

高知、四万十川

 清流「四万十川」の風景を満喫してきました。
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 四万十川。まさに山紫水明。
 遠くに沈下橋が見える。驚くことに欄干のない橋の上を軽トラがスイスイと走る。
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 沈下橋。四万十川本流に22本、支流を含めると47本あるという。
 今は静かな四万十川も年何回か、台風や大雨で沈下するという。
 観光客が橋の上から足を出し屋形船に手を振ってくれた。のどかな風景でした。

(補足)名称「四万十川」の歴史
河川法上では1994年まで「渡川」が正式名称だったが、その後、ダムに分断されていない、手つかずの自然が残る「日本最後の清流、四万十川」で有名になり、「四万十川」が正式名称となった。江戸時代には「四万十川」と書いて「わたりがわ」と呼ばれたこと、また「四万渡川」と書かれたこともあったという。「渡川」という呼称も「四万十川」もそれぞれに歴史があったようである(以上、Wikipediaより)。察するに「四万十川」は「渡川」に比べどこにもない清流に相応しい名称と判断されたのだろう。現在、柿田川、長良川と並び「日本三大清流」と言われる。なお夏と冬ではどちらが澄んでいるか?もちろん大雨などによる土砂の流れない冬である。

 参考:四万十市ホームページ

by bonjinan | 2017-02-17 13:09 | 旅、散歩

高知、足摺岬と金剛福寺

 四国最南端は足摺岬のある土佐清水市。
 断崖絶壁の足摺岬、四国88カ所霊場第38番札所・金剛福寺があり、中濱萬次郎(1827-1898、
 通称、ジョン万次郎)の生誕地としても有名。宿泊には足摺温泉が良い。
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 四国最南端、足摺岬から望む朝日。
 今日は霞んでいますが、昨日はダルマ型の夕日を見ることができました。
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 四国最南端、足摺岬
 白亜の灯台は高さ約80mの断崖絶壁の上に立つ。
 灯台まで藪椿(ヤブツバキ)に囲まれた遊歩道が続く。
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 金剛福寺  本尊:千手観世音
 822年、弘法大師さまがこの地で千手観音を刻んで開基。
 足摺岬は補陀洛(観音様の住む山のこと、観音浄土と崇拝されている世界)に最も近いとされ、
 嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅願を賜っている。以後、皇室の信仰厚く、勅願所とされた。
 四国霊場37番札所・岩本寺(四万十市)とは約90km、39番・延光寺(宿毛市)とは約60km
 離れている。「歩き遍路」にはとても厳しい、まさに「修行の道場」を象徴する位置にある。

 参考:土佐清水市ホームページ
by bonjinan | 2017-02-17 09:57 | 旅、散歩

高知、竹林寺

 四国霊場第31番札所、竹林寺(高知市五台山)を訪ねた。
 724年、聖武天皇が唐の五台山に似た山を探し伽藍の建立を行基に命じたのが始まり。
 行基は土佐のこの地を選定。本尊の文殊菩薩を自ら刻んで堂塔を建立している。
 806~9年には弘法大師が錫を留めて修行されている。
 江戸時代には土佐藩代々藩主の帰依を受け藩主祈願寺としてまた学山として栄えた。
 高知の中心街から車で約20分の近くにありながら深山幽谷にある寺院のようである。
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 山門
 山門前から右に進むと本坊。夢窓国師に作庭されたと伝わる名勝庭園がある。
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 大師堂と五重塔
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 本堂(文殊堂) 本尊:文殊菩薩
 京都・切戸(きれと)の文殊、奈良・安倍の文殊とともに日本三文殊。
 竹林寺の隣には、日本の植物学の父と言われる牧野富太郎の業績を顕彰した牧野植物園がある。
 牧野博士は日本植物分類学の基礎を築いた一人で約1500種以上の植物を命名している。

 参考:竹林寺ホームページ

 補足
 土佐の民謡「よさこい節」で、はりまや橋でかんざしを買っていた僧は竹林寺の脇坊・南の坊
 の修行僧・純信であった。純信・お馬の恋物語として知られる。
by bonjinan | 2017-02-16 21:01 | 旅、散歩

香川、善通寺

 弘法大師空海生誕の地、香川、善通寺に参拝してきました。
 高野山・金剛峯寺、京都・東寺とともに大師さまの三大霊跡。
 四国八十八カ所霊場、第75番札所でもある。
 境内は道を隔てて、東院(伽藍)と西院(誕生院)からなる。
 なお善通寺の名前は、父君・佐伯善通(よしみち)の名をとって命名されており、
 今では地名(善通寺市善通寺町)にもなっている
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 東院、金堂  本尊:薬師如来
 大師が唐から帰国後、長安・青龍寺を模して建立され真言密教の道場とされた。
 境内には、五重塔、大師幼少の頃からあるという樹齢千数百年の大楠などがある。
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 西院、仁王門前
 最近、お遍路が人気。日曜日だったので家族のお遍路さんもちらほら。
 白衣には「南無大師遍照金剛 同行二人」(どうぎょう・ににん)
 これから花々が咲き、若葉青葉の季節。紅葉の秋と並び遍路にはベストシーズン。
 順打ちもよし逆打ちもよし、都合に合わせて何回かに分けて回ることも考えられる。  
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 西院、御影堂
 大師が誕生された佐伯家の邸宅跡に建てられたお堂。
 ここでは戒壇めぐりができ、再現された大師様のお声を聴くことができる。

 参考:総本山善通寺ホームページ
by bonjinan | 2017-02-16 17:09 | 旅、散歩

こんぴら参り

 金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)に約10年ぶり参拝しました。
 「海上交通の守り神」として海に関係した仕事をされる人々の崇敬を集める。
 江戸時代以降、海事に限らず広く五穀豊穣、家内安全を願う「こんぴら参り」としてお伊勢参り
 に次ぐ人気となったという。民謡「こんぴらふねふね」は全国的に知られる。
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 大門(参道登り口から365段)をくぐると金刀比羅宮の境内、神域となる。
 境内で商売を特別に許可された名物露店。五人百姓。
 神美代飴(べっ甲飴)が売られている。いつ来ても変わらぬ風景。
 付属の小さな金槌で割って皆で分かち合い食せばより一層幸せを感じるという。
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 御本宮(同785段)
 象頭山(標高538m)の中腹(海抜251m)に位置する。最初と最後の階段は年寄りにはきつい
 が、休みながらでも一歩一歩前進すればだれでも到達する。
 御本宮の参拝を済ませ旭社(同628段)に参拝。これが正式な参拝順路だという。
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 展望台から眺める讃岐七富士の代表格・飯野山(421.9m)と讃岐平野。
 参拝が済み門前町に下って名物「灸まん」を食べ疲れを癒した。

 参考:金刀比羅宮ホームページ
by bonjinan | 2017-02-16 16:45 | 旅、散歩

徳島、鳴門の渦

 鳴門市(徳島県)と淡路島(兵庫県)にかかる橋が大鳴門橋。
 神戸淡路鳴門自動車道に併設されている遊歩道から渦潮を見学。
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 大鳴門橋(1985年開通、橋長の長さ1629m、海面から約45m)
 見学した時は干潮(太平洋側に流れる南流)が始まったところでした。
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 橋からの眺め。観光船が渦潮に接近していた。
by bonjinan | 2017-02-16 13:50 | 旅、散歩

韮山反射炉

韮山反射炉、江川邸(伊豆の国市)を訪ねた。2015年、世界遺産「明治日本の産業革命遺産(エリア3)」に登録され整備されている。昨年末にはガイダンスセンターがオープンし、反射炉のいろいろについてパネル展示で解説してくれている。

<韮山反射炉>
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韮山反射炉(連双2基4炉、高さ約15.7m)。
韮山の代官、兵学者、江川英龍(ひでたつ、1801-55、江川家当主は太郎左衛門を名乗ったので単に太郎左衛門ともいう)による沿岸防備の建議から、品川台場建設と併せ反射炉建設が具体化。英龍死去後は、息子英敏が引き継ぎ、1857年に反射炉は完成した。石炭火力の炎の熱と炉内耐火レンガから発する輻射熱で銑鉄を溶かし鋳型に流し込み大砲を作った。写真で煙突の前が炉心。
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炉の背面。出湯口と呼ばれる穴から溶けた鉄を鋳型に流し込んだ。大きな大砲では4炉から鉄を流し込んだという。炉が違えば鉄の性質も若干違っていたであろう。昔の人の苦労が偲ばれる。
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野外展示されている24ポンドカノン砲(複製品)。
最初1857年に鋳込まれたのはもう少し小ぶりの18ポンドカノン砲だった。

<江川邸>
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江川邸表門。(反射炉から循環バスで約10分)
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江川邸主屋(重文)。主屋には室町時代に建てられた部分、江戸初期に修復された部分などが含まれていいるという。もちろんかつては茅葺屋根だった。反射炉建設を建議した36代英龍、これを完成させた37代英敏はここで生まれ育った。かつて佐久間象山、久坂玄瑞などが英龍を訪ねここで学んだ。邸宅の北側には江戸時代を通じての代官所があり、江川家は世襲で伊豆、駿河、甲斐、武蔵、相模、伊豆諸島など幕府直轄領を広範囲に支配していた。明治維新の廃藩置県では韮山県庁となり38代英武が県令を務めた。後に英武は岩倉使節団に参加した。ほか江川家にまつわる話はたくさんあり。

参考:伊豆の国市ホームページ(文化財)
by bonjinan | 2017-01-25 09:57 | 旅、散歩