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新緑のグラバー園

  春の長崎・グラバー園を歩いてきました。
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  旧グラバー住宅(2015年、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」)
  英スコットランド出身貿易商・トーマス・ブレーク・グラバー氏邸宅
  1863年建築、日本最古の木造洋風建築。
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  ベランダで囲まれたバンガロー風の開放的建物。
  眼下に長崎港を望める。幕末の志士たちもここを訪れたのだろう。
  屋根裏には志士を匿う隠し部屋が設けられていた。
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  三浦環像前グラバーカフェの新緑
  写真の先に旧リンガー住宅。
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  花に囲まれた園内。眼下に三菱長崎造船所を望む。
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  旧三菱第二ドッグハウス(移築)
  ドッグハウスとは船を修理している間、乗組員たちが宿泊した施設。
  1896年ドッグのすぐ側に建てられたもので典型的な洋風建築。
  園内では高台にあり、多くの外国人観光客がここから長崎の風景を楽しんでいる。

  参考:グラバー園公式サイト

  補足:長崎開港前後の歴史
  1842年 南京条約(香港割譲など)
  1853年 ペリー、浦賀に来航
  1854年 日米和親条約調印、英露とも調印。下田、箱館、長崎を開港。        
  1855年 幕府、長崎海軍伝習所を設立。 
  1858年 日米修好通商条約調印、蘭露英仏とも調印。安政の大獄始まる(~59年)。
  1859年 グラバー(1838-1911)来日。2年後グラバー商会を設立。
  1863年 長州藩外国船砲撃事件(下関)、薩英戦争勃発。
       グラバーには各藩から銃や軍艦の注文が殺到した。
  1865年 坂本龍馬、亀山社中を創設。グラバーと組み軍艦等販売。
       大浦天主堂献堂式。
  1866年 薩長連合(同盟)成立。
  1867年 江戸幕府滅亡  
 
by bonjinan | 2018-04-27 10:04 | 旅、散歩

長崎、大浦天主堂

  何十年ぶりかで、長崎、大浦天主堂を訪ねた。
  開国後の長崎、キリスト教徒受難の時代に思いを馳せる機会となりました。
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  大浦天主堂(正式名称:日本二十六聖殉教者天主堂)
  1864年竣工、1879年増改築、1933年国宝に指定されている。
  建設地は26聖人殉教の地を希望したものの叶わず居留地に隣接する現在地となった。
  天主堂を舞台にしては、奇跡と言われる信徒発見(1865年)が起こっている。
  その後は浦上四番崩れ(1867年)などの受難の歴史にもつながる。
  教会入口には、信者寄進によるフランスからの白亜のマリア様像が置かれている。
  礎石には、慶応元年(1865年)日本之聖母、信徒発見記念と記されている。
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  旧羅典神学校(右)と旧長崎大司教館(左)
  信徒発見の年には早くも神学生の教育が始まった。
  予科と本科併せて12年で授業はラテン語で行われていたという。

  詳細は、大浦天主堂HP

  追加(2018.6.30)
  大浦天主堂は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録
  された。
by bonjinan | 2018-04-27 09:27 | 旅、散歩

長崎、平和公園

  早朝の平和公園を訪ねた。
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  平和祈念像前広場
  上を指す右手は原爆の恐怖を、水平な左手は平和を表しているという。
  1945年8月9日。平和公園の南、現原爆落下中心地公園に原爆が投下された。
  プルトニウム239型原爆で上空約500mで爆発。
  死傷者約15万人、当時の長崎市の人口約24万人の62%にあたった。
  毎年8月9日には平和祈念式典が開かれる。
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  平和の泉
  石碑には「・・・のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが
  一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま
  飲みました・・・ -あの日のある少女の手記から」と刻まれている。 
by bonjinan | 2018-04-27 09:02 | 旅、散歩

朝の風景、南アルプス

  八ヶ岳山麓・大泉高原からみた富士山、南アルプス、朝の風景です。
  冬は空気が澄んでいるからくっきり見える。素晴らしい景色でした。
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  富士山(3776m)を望む風景
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  南アルプス連峰
  写真中央に甲斐駒ケ岳(2967m)、左にアサヨ峰(2799m)、右に鋸岳(2685m)
  甲斐駒ケ岳の左は残念ながら少し雲が掛かっていた。
  富士山に次ぐ高さの北岳(3193m)は写真では見えないがアサヨ峰の更に左に位置。
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  鳳凰三山の一つ地蔵ケ岳(2764m)の地蔵仏岩
  地蔵仏岩はオベリスク(古代エジプト時代に建てられた記念碑)とも呼ばれる。
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  八ヶ岳(8つの峰の意ではなく多くの峰の意)
  写真左から三ツ頭(2508m)、阿弥陀岳(2806m)、赤岳(2899m)、横岳(2825m)
  牛首山(2280m)と続く。阿弥陀岳、赤岳、横岳は雪を冠り風下に雲ができていた。

  参考:本ブログ記事に出てくる百名山(深田久弥選)
  富士山、甲斐駒ケ岳(長野県伊那地方では東駒ケ岳と呼ぶ)、白峰三山(主峰・北岳)、
  鳳凰三山(地蔵ヶ岳)、八ヶ岳(主峰・赤岳)
 
by bonjinan | 2017-12-12 20:59 | 旅、散歩

しまなみ海道

 しまなみ海道(愛媛県今治市~広島県尾道市)のうち愛媛県側の島を回った。
 (県境は多々羅大橋で、大三島側が今治市、生口島側が尾道市)
 天気が良く、風もなく、観光には最高の陽気だった。
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 来島海峡SAから望む来島海峡大橋方向
 来島海峡大橋は来島海峡を挟んで今治と大島間に架かる。
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 村上水軍博物館(大島)から望む伯方・大島大橋方向
 村上海賊(村上水軍)のこと
 14世紀頃から瀬戸内海で活躍した一族。能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなる。
 最近は「水軍」ではなく古文書などでも記されてきた「村上海賊」と呼ぶことが多いという。
 村上水軍については多くの歴史物語が残されているが、毛利元就に歴史的大勝をもたらした
 1555年の厳島の戦いは有名だ。 
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 伊予国一の宮、大山祗(おおやまづみ)神社(大三島)
 海や山の神として、水軍、朝廷や武家の信仰を集め、戦勝の御礼に武具、甲冑などが奉納
 された。宝物館には国宝、重要文化財が数多く収納、展示されている。
 境内には樹齢2000年とも3000年ともいわれるクスノキの巨木(ご神木)がある。

関連ブログ:2009.5.26”しまなみ海道”

by bonjinan | 2017-02-20 07:09 | 旅、散歩

愛媛、道後温泉

  道後温泉に何年振りかで浸かってきました。
  いい湯でした。石手寺にもお参りしてきました。
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  道後温泉本館(1894年竣工)
  道後温泉は文献に表れるわが国最古の温泉。中でも道後温泉本館は町のシンボル的存在。
  夏目漱石が通ったことで一層有名にしている。
  この歴史ある建物がえひめ国体終了後の今年10月頃から耐震補強工事に入るという。
  道後温泉の顔であるが故に、全館休館にして工事するのか、営業しながら工事するのか、
  最終決定に至っていないという。いづれにしても約10年はかかるという。
  今回は入館入湯しなかったがとりあえず外観を見ることができて良かった。
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  四国霊場、第51番札所「石手寺」(いしてじ) 本尊:薬師如来
  石手寺は、遍路の元祖とされる「衛門三郎」再来伝説ゆかりの寺。
  薬師如来さまには健康のことなどいろいろお願いした。
by bonjinan | 2017-02-19 13:36 | 旅、散歩

愛媛、宇和島、天赦園

宇和島、国指定名称「天赦園」(てんしゃえん)を訪ねた。宇和島藩七代藩主・伊達宗紀(号:春山)が退隠の場所として、二代藩主・宗利の造成した浜御殿の一部を大改造して竣工(1866年)した池泉回遊式庭園。浜御殿と言われた場所だけに庭園の西側は海だったようである。
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庭園の南側からみた園内の風景
池の向こう岸に「春雨亭」(書屋)。愛書家であった春山公は、ここで余生を楽しみながら数多くの書を残し、明治22年(1889年)、百歳の天寿をまっとうしたという。
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庭園の北側からみた園内の風景
天赦園には三つのこだわりがみられる。一つは石組、特に子孫繁栄を願っての陰陽石。二つ目は伊達家の家紋「竹に雀」にちなんでの竹や笹。19種類の竹や笹が植栽されているという。写真左手前の竹は蘇方竹(スホウチク)。三つ目は伊達家の先祖が藤原鎌足であることから何カ所かに「藤だな」を配していること。写真の向こう側に見えるのは「白藤太鼓橋」。西側を西方浄土(写真左側)に見立て、浄土に渡る掛橋とイメージしたようである。
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天赦園から望む宇和島城天守
築城は藤堂高虎。高虎は後に、伊勢津藩22万石の藩主として加増移封されている。

参考:宇和島市ホームページ

補足:他藩との姻戚関係
初代藩主・伊達秀宗:仙台藩主伊達政宗の庶長子。秀宗の妻:彦根藩初代藩主・井伊直政の娘。
2代藩主・伊達宗利の娘:信濃松代藩3代藩主・真田幸道の正室。
3代藩主・宗贇:仙台藩第3代藩主伊達綱宗の三男。
8代藩主・宗城の子、幸民:信濃松代藩10代藩主(松代藩最後の藩主)真田幸民となる。
以来、真田家本家は両養子となり伊予伊達家の血筋となった、・・・など。
※NHK大河ドラマとの関連
井伊直政は井伊直親の子。直親(亀之丞)と井伊直虎(おとわ、次郎法師)は許嫁の仲。
by bonjinan | 2017-02-18 18:34 | 旅、散歩

街の風景@愛媛・内子町

 愛媛、内子町の町並保存地区を歩いてきました。
 内子町は江戸後期から明治にかけて木蝋生産で栄えた町。
 白壁、なまこ壁の美しい町並みが続く。
 手間暇かけてつくった建物は時代を超えて美しい。
 町内には全国的にも有名な内子座がある。 
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 重文・大村家住宅、本芳我家住宅付近
 よく見ると鏝絵(こてえ)、懸魚(げぎょ、破風の飾り)などの豪華な装飾も見られる。
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 重文・木蝋資料館上芳我邸
 木蝋商だった上芳我邸の内部が公開されているほか、原料となるハゼの実から木蝋を生産
 する工程を知ることができる。
 
 参考:内子町公式観光サイト  
by bonjinan | 2017-02-18 06:56 | 旅、散歩

高知、四万十川

 清流「四万十川」の風景を満喫してきました。
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 四万十川。まさに山紫水明。
 遠くに沈下橋が見える。驚くことに欄干のない橋の上を軽トラがスイスイと走る。
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 沈下橋。四万十川本流に22本、支流を含めると47本あるという。
 今は静かな四万十川も年何回か、台風や大雨で沈下するという。
 観光客が橋の上から足を出し屋形船に手を振ってくれた。のどかな風景でした。

(補足)名称「四万十川」の歴史
河川法上では1994年まで「渡川」が正式名称だったが、その後、ダムに分断されていない、手つかずの自然が残る「日本最後の清流、四万十川」で有名になり、「四万十川」が正式名称となった。江戸時代には「四万十川」と書いて「わたりがわ」と呼ばれたこと、また「四万渡川」と書かれたこともあったという。「渡川」という呼称も「四万十川」もそれぞれに歴史があったようである(以上、Wikipediaより)。察するに「四万十川」は「渡川」に比べどこにもない清流に相応しい名称と判断されたのだろう。現在、柿田川、長良川と並び「日本三大清流」と言われる。なお夏と冬ではどちらが澄んでいるか?もちろん大雨などによる土砂の流れない冬である。

 参考:四万十市ホームページ

by bonjinan | 2017-02-17 13:09 | 旅、散歩

高知、足摺岬と金剛福寺

 四国最南端は足摺岬のある土佐清水市。
 断崖絶壁の足摺岬、四国88カ所霊場第38番札所・金剛福寺があり、中濱萬次郎(1827-1898、
 通称、ジョン万次郎)の生誕地としても有名。宿泊には足摺温泉が良い。
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 四国最南端、足摺岬から望む朝日。
 今日は霞んでいますが、昨日はダルマ型の夕日を見ることができました。
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 四国最南端、足摺岬
 白亜の灯台は高さ約80mの断崖絶壁の上に立つ。
 灯台まで藪椿(ヤブツバキ)に囲まれた遊歩道が続く。
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 金剛福寺  本尊:千手観世音
 822年、弘法大師さまがこの地で千手観音を刻んで開基。
 足摺岬は補陀洛(観音様の住む山のこと、観音浄土と崇拝されている世界)に最も近いとされ、
 嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅願を賜っている。以後、皇室の信仰厚く、勅願所とされた。
 四国霊場37番札所・岩本寺(四万十市)とは約90km、39番・延光寺(宿毛市)とは約60km
 離れている。「歩き遍路」にはとても厳しい、まさに「修行の道場」を象徴する位置にある。

 参考:土佐清水市ホームページ
by bonjinan | 2017-02-17 09:57 | 旅、散歩