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タグ:京都・奈良 ( 85 ) タグの人気記事

西陣織会館

 西陣街歩きで雨宿りを兼ね入ったのが西陣織会館。
 西陣織の世界を垣間見ることができました。
 まず西陣のことから、
 応仁の乱時に西軍(山名宗全側)が本陣を置いたことによる通称としての地名。
 東西陣営のおおよその境は現在の堀川通だった。会館の近くに山名宗全邸宅跡がある。
 西陣織のこと。
 京都の先染め織物の総称だが、応仁の乱後、西陣の地で大きく発展し、西陣織、あるいは西陣
 と言われるようになった。製作には5段階、15~20工程を経て完成する。
 国の「伝統工芸品」に指定されており、綴れ、経錦、緯錦、緞子など12種が指定されている。
 織り方により風合いがまったく異なることを知った。
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  手機(てばた)実演
  紋紙(もんがみ、縦糸制御のためのプログラムで穴の空いた紙)を用いジャガード
  (プログラムに従って縦糸を自動的に開口)を取り入れた手機(手足で動かす織機)を使っ
  て織り上げる様子を間近に見させていただいた。
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  きものショー。華麗なショーを約10分楽しませて頂いた。

  参考:西陣織会館ホームページ
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by bonjinan | 2018-06-08 07:29 | 旅、散歩 | Trackback

京都、晴明神社

  西陣、晴明神社に参拝してきました。
  1007年、一条天皇の命により、晴明公の屋敷跡に建てられた神社。
  晴明公は平安時代中期に陰陽寮に勤務する天文陰陽博士だった。
  天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当て、朝廷を始め
  多くの人びとの信望を寄せられたと言う。近年、陰陽師が喧伝され広く知られるようになっ
  たこともあって神社は京都のパワースポットの一つとされている。修学旅行生にも人気。
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  晴明神社
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  本殿。提灯に神社の神紋である晴明桔梗印(五芒星)。手前に厄除け桃。
  晴明桔梗印は、陰陽道の基本概念である天地五行(木、火、土、金、水)を表すという。
  桃は古来、厄除けの果物とされる。立札に桃を撫で清々しい気持ちになってくださいとあり。 
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  安倍晴明公像。
  晴明(921-1005)の出自については、「孝元帝の皇子・大彦命の御後胤」(神社HP)とされ
  る。他方、「安倍文殊院」(奈良桜井市)では安倍仲麻呂と同じ同寺で出生したとし安倍晴
  明堂を建て祀っているなどで諸説あるようだ。諸説あるということは、そうであれば地元の
  誇りということであり、それだけ人気があった、また影響力があったということだろう。
  晴明の生きた時代のこと。藤原道長に代表される藤原北家の絶頂期だった。
  一条天皇の中宮・藤原道隆の子・定子と清少納言、同藤原道長の子・彰子と紫式部など、今
  でも多くの人に知られている有名人が活躍していた。
  
  参考:晴明神社ホームページ
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by bonjinan | 2018-06-07 08:25 | 旅、散歩 | Trackback

京都、釘抜地蔵

  京都西陣、千本通りに面した釘抜地蔵尊を訪ねた。
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  正式には家隆山石像寺(しゃくぞうじ)。弘法大師空海によって819年に創建されたお寺。
  遣唐使として唐に渡った空海が持ち帰った石に、自ら地蔵菩薩を彫り、人々の苦しみを
  救い助けようと祈願されたという。昔「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれる時期もあったが、
  その後、手の痛みに苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっている二本の恨みの釘
  が原因と告げ抜いて救ったことから釘抜地蔵と言われるようになったという。
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  参道を進むと地蔵堂の前に大きな釘抜きのオブジェがある。
  地元の人びとが何かとお願いに来られるようで腰掛も用意されている。
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  地蔵堂の壁を埋め尽くす八寸釘と釘抜きを張り付けた絵馬。
  願いが叶ったお礼に奉納されたものという。
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  地蔵堂の裏には鎌倉時代の阿弥陀三尊石仏(重文)
  誰でも気軽に来れる、現在と未来への祈り場である。
  近くには平安時代の歌人・小野篁が開いた千本ゑんま堂もある。

  釘抜地蔵尊の場所:京都市上京区千本通上立売上ル花車町503
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by bonjinan | 2018-06-05 15:24 | 旅、散歩 | Trackback

京都、千本釈迦堂

 京都西陣、千本釈迦堂大報恩寺を訪ねた。
 本堂建立に当っての阿亀(おかめ)の悲話で有名ですが、霊宝館でみる六観音像はとても
 やさしいお姿で迎えてくれる。よく京都は庭園、奈良は仏像などと言われるが千本釈迦堂の
 諸仏を拝観すると必ずしもそうとは言えないことが分かる。
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  北野天満宮から花街の上七軒を通り、千本通に向かうと千本釈迦堂。  
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  本堂(国宝)
  今から約800年前、鎌倉初期の1227年に創建された京洛最古の建物。
  京都に多い雅な造りとは違って中世の雰囲気が漂う魅力的な建物である。
  本堂西側に霊宝館。六観音(聖、千手、十一面、馬頭、准胝、如意輪)像(定慶作)
  の他、十大弟子像(快慶作)など重文が安置されている。
  写真の左に見えるのは阿亀桜(枝垂桜)。  
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  本堂内部。本尊、釈迦如来坐像(行快作)。
  近くの小学生が説明を受けたり、子供たちがお参りするなど地元に密着した雰囲気が良い。
  12月7~8日にの成道会には境内で「大根炊き」が行われ参詣者に振舞われる。
  本堂の柱には、応仁の乱当時の槍や刀の傷が残る。
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  おかめ塚とおかめ像
  おかめは本堂造営の棟梁だった夫のミス(大事な柱を短く切ってしまった)に機転をきか
  せて枡組を提案し救ったが、そのことが世間に知れては夫の恥と自ら命を絶ったと伝わる。
  こうした苦労があってか、本堂は奇跡的に応仁の乱(1467年~)の災火を逃れ今日に至っ
  ている。お参りすると縁結び、子授けにご利益があるとされる。

  参考:千本釈迦堂大報恩寺ホームページ
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by bonjinan | 2018-06-04 10:42 | 旅、散歩 | Trackback

京都、北野天満宮

  京都、北野天満宮に参拝。
  今年は大宰府天満宮にも参拝しましたのでこれも何かのご縁があってのことだろう。
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  楼門
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  中門(三光門)
 「三光とは、日、月、星の意味で、梁の間に彫刻があることが名の由来ですが、星の彫刻だけ 
  が見られないともいわれています。星欠けの三光門として今も七不思議に数えられている。」
  (詳細は北野天満宮ホームページより抜粋)
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  拝殿。
  たくさんの修学旅行生が学業成就、合格祈願を願って御祈祷を受けていた。
  拝殿横からは御土居(洛中洛外を分けた土塁)に通じる。今、青もみじが美しい。
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  梅の収穫。
  天神さんは梅の名所。今、梅の収穫時期。収穫された梅は塩漬けした後、土用干しされ、
  12月には大福梅(おおふくうめ)として授与される。京都の風物詩の一つ。

  参考:北野天満宮ホームページ
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by bonjinan | 2018-06-04 06:22 | 旅、散歩 | Trackback

京都、平野神社

 京都、北野天満宮の西に桜で有名な平野神社がある。
 平野神社は平安遷都の際、大和から移されたというからその歴史は古い。
 現在は、京都でも有数の桜の名所。約60種400本の桜が植えられているという。
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  平野神社境内
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  本殿(重文)
  江戸初期に造営された比翼春日造という造り。

  場所:京都市北区平野宮本町 1

(補足)平成30年台風21号の被害を受け、拝殿が倒壊し桜の木、数十本が倒れた。
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by bonjinan | 2018-06-04 06:19 | 旅、散歩 | Trackback

比叡山延暦寺三塔巡拝

 比叡山延暦寺三塔(東塔、西塔、横川)を巡拝してきました。
 延暦寺は伝教大師最澄が草庵を結んで以来、多くの高僧、開祖を輩出してきた名刹中の名刹。
 法然、親鸞、一遍、道元、栄西、日蓮などそれぞれ天台宗から独立し新たな宗派を開いた。
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  ケーブル延暦寺駅(標高638m)から東塔へ
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  霧が立ち込める境内は聖地であることを改めて認識させるものでした。
  長谷川等伯「松林図屏風」(国宝)にも似た杉林の幻想的な風景でもあった。

  <東塔>
  比叡山延暦寺三塔の中心。延暦寺発祥の地。
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  文殊楼から望む根本中堂(比叡山の総本堂、国宝)
  根本中堂は宗祖伝教大師が788年に一乗止観院として創建したのが始まり。
  本尊は大師が自ら刻んだと言われる”薬師如来(秘仏)”がまつられ、宝前には開創以来の
  ”不滅の法灯”が1200年の時を越えて輝き続けている。
  現在、根本中堂は2016年から約10年間の予定で改修中。
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  霧の中、凛として建つ前出の文殊堂
  ほか大講堂、戒壇院、阿弥陀堂、東塔に参拝。

  <西塔>
  東塔より北に1km、釈迦堂を中心に諸堂が点在。
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  釈迦堂
  本尊は伝教大師御自作の釈迦牟尼如来立像。
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  常行堂(写真右)と法華堂(左)、通称、弁慶のにない堂。
 
  <横川、よかわ>
  西塔からさらに北へ4km、昔日の面影を今に残す聖地。
  平安の昔から文学作品の舞台ともなっている。『源氏物語』に登場する「横川の僧都」は
  架空の人物だが、985年『往生要集』を著した恵心僧都源信がモデルとされる。
  横川で出家したとされる吉田兼好は『徒然草』238段で「三塔巡礼の事侍りしに、横川の
  常行堂の中、龍華院と書ける、古き額あり。」と記している(龍華院は四季講堂の別名)。
  古典を材料とした芥川龍之介『邪宗門』などにも横川の僧都は登場する。
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  巡拝受付を過ぎるとこれまた霊気漂う霊場の雰囲気。
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  横川中堂。横川の中心となる御堂。
  848年慈覚大師円仁によって開創された。本尊は聖観世音菩薩立像。
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  横川域内に点在する西国三十三ヶ所石仏の一つ。
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  四季講堂、或いは元三大師堂(がんざんだいしどう)
  ここを住房とした慈恵大師良源は延暦寺中興の祖、一般には元三大師として知られる。
  中世以降、厄除け大師、角大師、豆大師など様々な別称があり、広く信仰を集めている。
  前出の源信は良源に師事したことでも知られる。
  また全国あちこちの社寺でみられる「おみくじ」の創始者は良源だという。

 参考:延暦寺ホームページ

 参考:天台宗の本尊
 (東塔)根本中堂の本尊は「秘仏薬師如来像」、(西塔)釈迦堂は「釈迦如来像」、
 (横川)横川中堂は「聖観音立像」。さてどう解釈したら良いのか調べてみました。
 「現在も未来も人々を救いとるという「久遠実成の釈迦牟尼仏を本尊とする。したがって、
  その働きの属性を象徴した薬師如来や観音菩薩などあらゆる諸仏、諸菩薩をまつっている」
 (松濤弘道『仏教のわかる小辞典』PHP新書)
 
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by bonjinan | 2018-06-03 08:20 | 旅、散歩 | Trackback

京都東山、無鄰菴

 東山の閑静な別荘街の一角にある無鄰菴(むりんあん)庭園を訪ねた。
 明治の元勲、山県有朋が1895年に建てた別荘(現在は京都市所有)。
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  無鄰菴入口。小路を挟んで隣は瓢亭。
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  書院造の母屋の中から眺める庭園。
  少々歩き疲れ休ませてもらった。座った場所からは庭園の特徴とする東山を借景とした広が
  りはなくなるものの外界から遮断された感じでの落ち着ける眺めでした。
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  母屋の前から眺める庭園(名勝)。
  東山を借景とし、横を流れる琵琶湖疎水を引き入れた池泉回遊式庭園。
  今池泉式と書いたが山県は「従来の人は重に池をこしらえたが、自分はこれより川の方が
  趣致がある」と語っており、池よりも自然な流れを好んだようです。確かに池というより
  水がさらさら流れる庭園。造園好きの山県自らが設計し、7代目小川治兵衛が築いた庭園。
  山県はほかに東京目白・椿山荘、小田原・古稀庵を別荘として建て築庭している。
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  苔むした庭園。
  無鄰菴にはウマスギゴケ、コバノチョウチンゴケなど約50種が生育。
  山県は「苔の青みたる中に名も知らぬくさの花の咲出でたるもめづらし・・・」
  と記していたことから苔を愛でていたことが知れる。
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  洋館の一室。
  説明文に「1903年4月21日。元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、
  外務大臣・小村寿太郎の4人によって日露戦争開戦直前の日本の外交方針を決める無鄰菴
  会議が行われた」とあり。

 参考:無鄰菴ホームページ
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by bonjinan | 2018-06-02 15:26 | 旅、散歩 | Trackback

平安神宮神苑 sanpo

 花菖蒲の咲くころ。平安神宮神苑を歩いてきました。
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  応天門から大極殿(外拝殿)を望む華麗な景観。
  神苑入口は、外拝殿から見て右側、白虎楼付近。
  神苑は、南神苑(八重紅枝垂桜の名所)、西神苑、中神苑、東神苑と本殿東西を取り囲む。
  明治を代表する造園家・七代目小川治兵衛が作庭したもの。
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  西神苑白虎池の花菖蒲
  神苑には日本古来の花菖蒲(伊勢系、肥後系、江戸系など)が植えられている。
  睡蓮の花も見ごろ。
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  中神苑蒼竜池の河骨(コウホネ)
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  コウホネ:スイレン科
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  蒼竜池を渡る臥龍橋。
  豊臣秀吉が造営した三条・五条大橋の橋脚(白川石:花崗岩)を再利用したもの。
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  東神苑栖鳳池に架かる泰平閣(橋殿)。御所から移築したもの。
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  橋殿から眺める東御苑。
  街中とは違って広々としており、静かに景色を愛でることができる。
  橋殿を渡ってしばらく歩くと神苑出口。神楽殿横に出る。

 参考:平安神宮公式ホームページ(同公式ブログ「はんなり便り」)
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by bonjinan | 2018-06-02 11:19 | 旅、散歩 | Trackback

京都東山、圓徳院

 緑豊かな京東山、高台寺塔頭、圓徳院を訪ねた。
 円徳院は、秀吉の妻、北政所ねねが秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を移築し
 移り住んだ場所。1624年に77歳で没するまでの19年間を過ごした北政所の終焉の地とされる。
 高台寺が秀吉の菩提を公式に弔う場とすれば圓徳院はねねの日常生活の場であった。
 没後9年目に、木下利房により木下家の菩提寺として開かれ高台寺塔頭となっている。
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  正門。木下家歴代藩主の墓が置かれ、木下家の屋敷になっていたため長屋門の形態をとる。
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  緑豊かな院内。方丈、白砂の前庭が見える。
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  方丈から望む前庭。近くに見えるのは松竹梅図襖(木下育徳作)の一部。
  方丈は1984年解体修理が行われ新しく見えるが柱、梁などは昔のままという。
  方丈裏には長谷川等伯作障壁画「冬の絵」部分(複製)が見られる。
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  北庭(国名勝指定)。伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもの。巨岩を配し、特に池泉に
  架かる分厚い巨石は桃山時代の豪華さ豪胆さを表していると評される。
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  三面大黒天尊天。福徳信仰の象徴として、秀吉が念持仏とした尊像が祀られる
  三面大黒天は、大黒天、毘沙門天、弁財天の三天合体の霊像。

  参考:圓徳院ホームページ
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by bonjinan | 2018-06-01 21:27 | 旅、散歩 | Trackback