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藤の花

 藤の花が爽やかに咲いていました。
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  フジ:マメ科フジ属 @目白台運動公園

 藤の花、あれこれ 
 藤の花は古代から日本人が愛でてきた花であった。
 花の美しさはもちろんだが蔓の繊維の強靭さから綱や衣類にも利用されてきた。
 このことは『古事記』、『万葉集』にも記されている。
 また大化の改新を推進した中臣鎌足が天智天皇から最強の姓として藤原姓を賜ったように、
 藤をを含む姓は梅や桜を遙かに超えて多くの人に使われるようになった。
 『万葉集』から2首 
 「恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり」山部赤人、万葉集巻8-1471
 「大王の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも」作者不詳、万葉集巻12-2971
 万葉集では藤の花の房が風に揺れる様が風情ありとして「藤波」としての表現が多数。
 後者は衣服として使われていたことを表している。 
 『枕草子』から
 「藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし」
 清少納言は知性あることの自信からか迷うことなくすぱっと断定している。
 確かにそれも良いが、写真のようにほどほどの長さで白い藤も新緑と相まって清々しい感じ
 である。
 参考:本ブログ、亀戸天神の藤
# by bonjinan | 2019-05-07 14:18 | 季節の花

講談社野間記念館

目白通りに講談社野間記念館がある(文京区関口)。講談社の創業90周年事業として、創業者の野間清治氏の邸宅を改築して、2000年にオープンした美術館。野間氏が大正から昭和初期に収集したコレクションが中核を成すようだ。現在開催されている「村上豊展(後期、うつし世の情景)」(4/19~5/19)。村上豊(1936年~ )は1960年に直木賞を受賞した司馬遼太郎の週刊サンケイの連載小説「風の武士」の挿絵からデビューした画家。企画展では日本人の深層に潜む日本の原風景、人々のいとなみを描き出した作品が展示されている。ますますグローバル化し複雑化する現代社会にあって、描かれた世界を郷愁の世界に留めるのではなく、むしろこれから先、求めるべき世界観を提示しているのではないかと思えてきた。
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目白通りに面した講談社野間記念館入り口(写真中央)
左側に音の葉カフェ、花屋さん、椿山荘入り口へと続く。右側に行けば永青文庫、肥後細川庭園に通じる胸突坂。更には日本女子大、学習院大からJR目白駅に至る文教地区。写真を撮っている反対側には東京カテドラル聖マリア大聖堂がある。

参考:講談社野間記念館公式ホームページ
# by bonjinan | 2019-05-06 14:34 | 文化・歴史

永青文庫

永青文庫(文京区目白台)を訪ねた。永青文庫は1972年、旧熊本藩細川家第16代当主細川護立侯爵によって設立された美術館で、日本・東洋の古美術を中心としたいわゆる細川コレクションが核となっている。(元細川首相は細川家18代当主で現永青文庫の財団理事長、館長)。
訪ねた時は春季展として「漆芸作家、高野松山 生誕130年展」(4/27~7/3)が開催されていた。
「高野松山(1889-1976)は熊本に生れ東京美術学校などで漆芸を学び、後に細川護立(1883-1970)の援助を得、目白台の細川邸内に住み込み「昼は殿様のボデーガード、夜に制作」という生活を送った。この間帝展等への出品を重ね、1955年には重要無形文化財「蒔絵」保持者に認定されている」(同展パンフレッドより)。緻密な蒔絵作品を見ると高度な技術を駆使したものであることは私など素人からみても分かる。良いものを見させて貰った。
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写真は分館で1階にはカフェがあり、ビデオでは永青文庫の概要などが解説されている。

参考:永青文庫公式ホームページ

補足:横山大観との付き合い
芸術家のパトロンでもあった細川護立侯爵。永青文庫には横山大観の作品も展示されている。
また横山大観邸(池ノ端の現横山大観記念館)に細川邸の巨石を庭石として贈呈している。
# by bonjinan | 2019-05-06 14:25 | 文化・歴史

肥後細川庭園 sanpo

 肥後細川庭園(文京区目白台)を歩いてきました。
 現在は文京区の公園ですがかつては肥後熊本藩細川家下屋敷だった。
 典型的な池泉回遊式庭園、広々としていながら変化にも富む素晴らしい庭園です。
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 庭園の正門側にある松聲閣(しょうせいかく)
 かつて細川家下屋敷だった時代には細川家の学問所として使用されていたという。
 写真後方の森は目白台の傾斜地で、ここから庭園を眺めると立体感が楽しめます。
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 松聲閣休憩室から望む庭園
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 雪見燈籠のある大池の入江から見た景観
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 南門(神田川側)近くの土橋から望む大池、松聲閣
 池は土橋を挟んで大池、小池、小さな岬、入江が変化に富んだ景観にしています。
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 永青文庫に通じる山際から望む庭園、松聲閣
 写真後方の坂道を上がると永青文庫がある(細川コレクションを収蔵展示)。
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 松聲閣前の肥後芍薬
 江戸時代から品種改良を重ねてきた熊本独特の花を「肥後六花」と言い、肥後芍薬は
 肥後椿、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花と並び肥後六花の一つ。
 今が見ごろの芍薬の花でした。

 参考:文京区立肥後細川庭園ホームページ

 補足:肥後六花の特徴
 花形が一重一文字咲きであること、花色の純粋なことが共通する。
 細川家8代・細川重賢公のときに武士のたしなみとして始められたもの。
 (Wikipediaほか)
 筆者としては本ブログで掲載した肥後菊をイメージしています。
 シンプルで凛とした雰囲気の花形を目指したものものと思います。
 花は一重が良いとは、それは好みの問題だが、吉田兼好『徒然草』にも書かれている。
「花は、一重なる、よし。吉野の花、左近の桜、一重にてこそあれ。」(139段)
 
# by bonjinan | 2019-05-06 10:36 | 旅、散歩

神田川沿いの遊歩道

 関口・目白台(文京区)の南斜面の下を流れる神田川沿いに緑豊かな遊歩道がある。
 歌川広重『名所江戸百景』「せき口上水端はせを庵椿やま」では、神田川をはさんで南に
 早稲田の田んぼ、北の高台に芭蕉庵がある水と緑にあふれた道だった。
 現在は田んぼなどもちろんないが緑あふれる道筋であることは今も変わっていない。
 新緑の美しいこの遊歩道を歩いてきました。
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 大洗堰(おおあらいぜき)付近
 このあたりの神田川(写真左側、深く掘ってあるので柵しか見えない)は江戸時代には
 御留川、その後昭和40年頃まで江戸川と呼ばれていたところで、現在の江戸川橋にその名
 を留めています。大洗堰は水をせき止めて江戸の水道につなぐための堰のことで、石樋や
 木樋の水路を通して水戸藩徳川家上屋敷(現小石川後楽園)の中を通り、更に木製の樋で
 神田川を越え(現水道橋の由縁)て枝分かれし給水された。
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 神田川沿いの桜並木と崖沿いのカエデ
 桜の咲く頃、紅葉の頃も楽しめる散歩道。
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 椿山荘冠木門付近
 広重が椿やまと紹介しているように椿の自生地だったようで山縣有朋はこの地に庭園、邸宅
 をつくり「椿山荘」と命名した。冠木門から入りホテルで軽食、一休み。
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 椿山荘横
 料亭横の風情ある通りとなっています。
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 関口芭蕉庵
 芭蕉は神田上水の改修に参加し水番屋(上水の管理)に住んだといわれ、これがいつしか
 関口芭蕉庵と呼ばれるようになったという。中には句碑などがある。
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 胸突坂
 芭蕉庵と永青文庫の間にある急な坂道で登ると目白通り。
 台地の上下で最大約30mあるというから多分それに近い高低差があるのだろう。
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 肥後細川庭園、南門付近、シャガの花が一面に咲いていた。
 永青文庫とともにかつて肥後熊本、細川家の下屋敷、抱屋敷であった。
 肥後細川庭園については改めて書きたいと思います。

 最寄り駅:地下鉄有楽町線江戸川橋
# by bonjinan | 2019-05-06 07:12 | 旅、散歩