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プラハ、カレル橋

 ヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の石橋がカレル橋。
 カレル4世の命によって1357年に着工し60年近くかけて完成した橋。
 先ずは橋塔からみるカレル橋とプラハの景観から。
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  旧市街側にある橋塔から望むプラハ城方向
  全長約520m、幅約10m、アーチの総数15の大きな橋。
  カレル橋の両端には30体の聖人の彫像が並ぶ。
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  同じく橋塔から望む塔直下の広場と旧市街の景観
 「百塔の街」といわれるプラハ、確かに多い。
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  橋の両側に並ぶ聖人像がこの橋を観光名所にしている。
  最も人気があるのはヤン・ネポムツキー像(1683年作)で橋のほぼ真ん中にある。
  頭上に輝く5つの星が聖ヤンさんのトレッドマークで目印にもなる。
  日本でも有名な聖フランシスコ・ザビエル像(1711年)もある。
  写真の先の黒い塔が橋塔。
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  聖ヤン・ネポムツキー像の台座。
  ネポムツキーは14世紀のボヘミアの司祭。ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔内容を厳守したため
  王の怒りをかいヴルタヴァ川に投げ込まれ殺害されたとされる話がレリーフになっている。
  触れると幸運に恵まれると言われておりその部分が光っている。ボヘミヤの守護聖人。

 ※1 ヴルタヴァ川(チェコ語、ドイツ語でモルダウ川。ドイツでエルベ川に合流し北海へ)
  橋塔の近くには、交響詩『わが祖国』第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ)』で知られるスメタナ
  を記念したスメタナ博物館がある。 

 ※2 ゼレーナ・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会
  プラハの東へ約65km、聖ヤンさんの出身地に近いジュヂャール・ナト・サーザヴォウに
  聖人ヤンさんを記念した教会がある。1994年に世界文化遺産に登録されている。
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by bonjinan | 2017-10-29 16:45 | 旅、散歩 | Trackback

プラハ城

 プラハほど多様な建築様式の建物が見られ中世の雰囲気も味わえる街がほかにあるだろうか。
 観たいところが多すぎてほんの一部しか見れていませんが先ずはプラハ城から。
 プラハ城はハプスブルク家も含めたボヘミヤ王家の居城と宗教施設などが一帯となった場所。
 ヴルタヴァ川西岸、小高い丘の上に建つ。プラハのシンボル的存在。
 以下、撮影禁止の王宮を除いての城内の様子です。
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 聖ヴィート大聖堂(正面)
 尖塔の高さ96.6m、幅60m、奥行き124mの堂々たる聖堂。14世紀に改築を開始し20世紀に
 なり最終的に完成。天を突きさすような尖塔はこれぞゴシック建築という感。
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 大聖堂内部
 長さ124m、高さ33mの巨大な身廊。ステンドグラスを通してさす光が神々しい。
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 ミュシャのステンドグラス
 チェコを代表する国民的画家ミュシャ作『聖キリルと聖メトヴィス』1931年
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 聖ヤン・ネポムツキーの墓
 14世紀のボヘミヤの司祭でローマカトリック教会の聖人。チェコの守護聖人の存在。
 ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔内容を厳守したため王の怒りに触れヴルタヴァ川に投げ落とされ
 殺害されたとされる。聖堂内には殉教の絵もある。またカレル橋でも楽しみたいと思う。
 なお聖ヤンさんの像の特徴は頭上に5つの星が輝く聖人として表現されること。
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 聖イジー教会
 920年に完成した現存する城内最古の教会。
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 教会内部
 ボヘミアで最も美しいロマネスク様式(半円アーチ、厚い壁、血さな窓、木の天井)の教会と
 いわれている。音響効果が良くコンサートにも使われるという。
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 旧王宮中庭
 写真の順序としては最初の方に出すべきでしたが、衛兵のいる西の正門、マティアス門を通過
 すると最初にある中庭。コールの噴水が見える。旧王宮の一部は大統領府として使われている。
 旧王宮のヴラティスラフ・ホールは15世紀に建てられたものでリブボールト天井の大ホール。
 奥行 62m、幅16mで戴冠式、舞踏会、最近では大統領宣誓式など行われた。
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 プラハ城内の広場(聖イジー教会側)にて一休み。黄葉が美しかった。
 その他城内には、究極の趣味人と言われたルドルフ2世(在1576-1612)が集めた錬金術師が
 住み、その後チェコの有名な詩人作家カフカが住んだ黄金の小路などみどころたくさん。
 なおルドルフ2世の時代の1583年、神聖ローマ帝国の首都をウィーンからプラハに移している。
 話は逸れるが「ケプラーの法則」で知られるヨハネス・ケプラーはルドルフ2世の時代に宮廷付
 占星術氏として仕え、1609年、ケプラーの第1、2法則を収めた『新天文学』を執筆している。
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by bonjinan | 2017-10-29 13:28 | 旅、散歩 | Trackback

街の風景 in プラハ

 プラハ、旧市街広場を中心に散策しながら撮った街の風景です。
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 旧市街の中心、旧市街広場
 写真手前左に天文時計のある旧市庁舎(改装中)、正面に2塔が目を引くティーン教会。
 ティーン教会は15世紀前半、プロテスタントの先駆けとなる宗教改革フス派の拠点となった。
 カレル橋へは人の流れに沿って西に歩けば行ける。 (参考:カレル橋)
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 高級ブランド店が並ぶパリ通り。
 若者たちがテーブルに2列に並びビールを飲み、自転車のペダルのようなものを踏み、大騒ぎ
 しながら前に進んでいった。元気がなければできないね。
 近くには街の雰囲気がちょっと変わるユダヤ人地区がある。
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 市民会館
 プラハを代表するアール・ヌーボー建築。
 内部には音楽祭「プラハの春」の会場となるスメタナホールや入り易いレストランなどがある。
 比較的近くには、アール・ヌーボー、チェコを代表する画家・ミュシャ(チェコ語でムハ)の
 作品を収蔵したミュシャ美術館がある。
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 火薬塔 
 17世紀に火薬庫として使用したという。市民会館近く。
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 プラハの春の舞台となった大通り、ヴァーツラフ広場
 1968年、チェコスロバキアで起きた民主化運動(プラハの春)に対して同年8月、ワルシャワ
 条約機構の弱体化を恐れたソ連ブレジネフ政権はワルシャワ条約機構軍20万人を投入してこの
 運動を圧殺した。ヴァーツラフ通りはこの歴史的舞台。
 プラハの春は結果として失敗に終わったが、その後、東欧諸国の社会主義政権崩壊と前後して、
 1989年には衝突や流血を伴うことなくビロードのように民主化が進んだ(ビロード革命)。
 民主化以降、国民はもちろん喜んでいるが、国民が参加する政治に劇的に変化したとは感じて
 いないようである。民主化を積極推進する魅力ある政治家が出ていないのかも知れない。
 話は飛んで1998年の長野オリンピック(冬季)に関連して、
 アイスホッケー決勝リーグAでロシアに負けたチェコではあったが決勝戦でロシアを破り優勝。
 当時大いに盛り上がり、今でも日本といえば京都より、或いは東京よりも長野が有名だという。
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by bonjinan | 2017-10-29 11:49 | 旅、散歩 | Trackback

チェスキー・クルムロフ

 チェコ南部、ヴルタヴァ川が大きく湾曲する場所にある街。13世紀に南ボヘミアの豪族ヴィートコフ家によって城が築かれたのが街の始まり。その後支配者は変わったが城の増改築が繰り返され、ボヘミア地方ではプラハ城に次ぐ城塞となっている。チェスキークルムロフ城と城下の旧市街を散策した。中世の雰囲気が残る美しい町である(世界遺産)。
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  チェスキー・クルムロフ城(左の崖の上)とヴルタヴァ川に囲まれた旧市街の風景
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  ヴルタヴァ川から眺める城。
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  城内の一部。
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  旧市街の風景。ワイン祭りの横断幕が掲げられていた。
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  お祭りのイベントなのか伝統衣装姿の行列が行進していた。
  広場には数多くの土産屋さんなどあり楽しい雰囲気だった。
  なお広場には欧州のあちこちで見られるペスト終息の記念碑・三位一体の像があった。
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  小路にあった小さなマリオネット博物館
  マリオネットはチェコの人形というより文化。外国の支配を受けチェコ語が禁止されていた
  時代にマリオネットだけはチェコ語が許され苦しい時代にもこれで気晴らし耐えたという。
  そういえばチェコは「ロボット」という言葉を生み出した国でもある。
  あいつは誰誰の操り人形だとかロボットだと言うがどちらもチェコ起源の表現といえる。
  ロボットはチェコ語 robota 労働 の意(robota は古代教会スラブ語の隷属の意)。
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  チェコの伝統菓子、トゥルデルニーク(Trdelnik)屋さん
  小麦粉の生地を棒に巻き付け砂糖やシナモンなどをふりかけた焼き菓子。
  プラハのような大きな街でもあちこちで売られているファーストフード。

(余談)バドワイザービールのこと
チェスキー・クルムロフの北にビールで有名なチェスケー・ブジェヨヴィツェ市(チェコ)がある。チェコはラガービール(下面発酵)大国。それまでのエールビール(上面発酵)に代り琥珀色でホップの効いた爽やかなラガービールが一気に広まった。プルゼニ(チェコ)で生産される「ピルスナー」とならびチェスケー・プジェヨヴィツェで生産される銘柄「ブドヴァイゼル」(Budweiser)が特に有名。米「バドワイザー」はドイツ系アメリカ移民のアドルファス・ブッシュが「ブドヴァイゼル・ビール」にあやかろうと名付けたもの。かつて欧州と商標権争いになり、米バドワイザー社は米国内では「バドワーザー」をブランド名として使えるが欧州では使えないことで決着している。欧州では「Bud」「Busch」名で販売されているという。ただこうしたラガービールの特徴も、冷凍技術が発達でエールビールとの差は小さくなり、最近ではエールビールがむしろ味の深いビールとして人気がある。
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by bonjinan | 2017-10-28 20:53 | 旅、散歩 | Trackback

ウィーン、シュテファン寺院

 ウィーン旧市街のほぼ中央に位置し天を突くようにそびえる塔は街のシンボル的存在。
 王宮(ホフブルク)、オペラ座とも近い。すぐ傍にはモーツアルトハウス・ウィーンもあり。
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 シュテファン寺院外観
 12世紀半ばにロマネスク様式の教会として建てられ14~16世紀に現在みるゴシック様式の
 大寺院になった。南塔は高さ137mで寺院のシンボル。
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 内陣、巨大な空間で身廊107mという。
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 エレベータで登れる北塔の上から見下ろす寺院前の広場(シュテファン広場)。
 広場はオペラ座に通じるケルントナー通り、ペスト記念碑のあるグラーベン通りとつながる。
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 モザイク模様の屋根瓦。この寺院を特徴づける一つ。
 ハプスブルク家の紋章、鷲が描かれている。反対側の屋根には双頭の鷲が描かれている。
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by bonjinan | 2017-10-28 18:54 | 旅、散歩 | Trackback

ウィーン美術史博物館

美術史美術館ともいわれる美術史博物館(Kunsthistorisches)を訪ねた。
ハプスブルク家が収集した膨大なコレクションを収蔵するヨーロッパ屈指の博物館。
みどころは2階にある名画の数々、中でもフランドルの画家・ブリューゲルの作品の収蔵数は世界最多という。もう一つの特徴はネオ・ルネサンスと分類されている博物館の建築技術と建築美だ。
まず入館するなり圧倒された建築美から振り返ってみようと思う。 

 《建築美》
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 美術史博物館外観
 フランツ・ヨーゼフ1世の命により建設された博物館(1891年に完成)。
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 2階への階段の様子。建築美に圧倒される。
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 天井の中央が吹き抜けになっているドーム型天井(1階の天井)。
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 柱もない1階天井の上が見事なカフェになっているから更に驚かされる。

 《絵画鑑賞》
 数ある作品のなかからここでは有名な3点をピックアップしたい。
 2つは何といってもブリューゲル(父)の作品から。次にフェルメールの作品から。
 (同美術館はフラッシュ撮影は禁止だが通常撮影は可)。
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 ブリューゲル『バベルの塔 Turmbau von Babel』1563年
 旧約聖書の創世記にある伝説上の塔。人間の傲慢さに対する戒めと説明される塔。
 人間がそれぞれ勝手気ままに利益を追求しだし共同体が崩壊していく様を描いている。
 ブリューゲルは調和のある社会を願って描いたと言われる。
 
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 ブリューゲル『農民の婚礼』1568/69年
 農民画家と呼ばれるブリューゲルならではの作品。社会の下層に生きていた農民の、質素な
 しかも粗野なしぐさまでも忠実に描いている。しかしここには庶民への深い愛情と同時に
 権力者や聖職者への権力批判が込められているとされる。
 ほか『謝肉祭と四旬節の喧嘩』『ゴルゴダの丘への行進』『雪中の狩人』など鑑賞。

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 フェルメール『絵画芸術(絵画の寓意、アレゴリー)』1665/66年頃
 ギリシャ神話に登場する女神クリオ(祝福する女の意)を登場させフェルメール自身と向き合う
 構図をとることで絵画という芸術への礼賛、画家という芸術職業への自負を寓意表現していると
 される。手前のカーテンがアトリエの立体感を創りだし空気感まで伝わってくるようである。
 フェルメールは晩年の苦しい生活の中でもこの1枚を最期まで手放さなかったという。

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 子供たちが美術館で模写する様子
 立派な施設で最高の芸術に触れている風景をみるととてもうらやましい。
 この中から世界を魅了する画家、芸術で街を活気ずける人材が育ってくるのだろう。

(補足、ブリューゲルとハプスブルク家のこと)
ブリューゲルが活躍した時代は宗教改革が始まった後で教会からの絵画の注文が減り、フランドルでは風景、静物、風俗がテーマとなり市民が絵画を注文しだした時代、また諺や格言集が人気になった時代でもあった。ピーテル・ブリューゲル(1525年頃-69年)はこうした時代に当時の世相を深く観察し、諺を通して人間の本質、社会への警鐘を表現しようとした。表現技術を超えた気迫が感じられる。ただ分からないことがある。フランドル地方は当時、スペイン・ハプスブルク家の支配下にあったとはいえ、なぜ上流階級が嗜好すると思われる上品な絵ではなく、いわば社会派の絵画、風俗画を描いたブリューゲルの絵をたくさん集めたのだろうか(16世紀のフランスアカデミーでは歴史画、宗教画、神話画、風俗画、風景画、静物画といった序列をつけていた)。同家にはルドルフ2世のような異常なほどの収集家がいたことにもよるが、約650年続いた同家の歴史をみれば庶民の生活にも常に関心をもち同家の立ち位置を検証し続けていたとの答えは安直でほめ過ぎだろうか。

(補足、サリエラ)
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  ベンヴェヌート・チエッリーニ作『サリエラ』1540-43年
美術史美術館となるとどうしても絵画となるが素晴らしい工芸品も展示されている。その一つがサリエラ(イタリア語で塩とか胡椒入れ、ここではハプスブルク家の繁栄と切っても切れない塩と関係のある黄金の塩入れ)。フランス王・フランソワ1世の依頼によりフィレンツェ生まれの金細工師、彫刻家により製作されチロル大公・フェルナンド2世に贈られたもの(世界史的には15~18世紀半ばまでフランス王家とハプスブルク家は対立関係にあった筈。皇帝との関係を裂こうと画策してのことだったかなどどのような経緯で贈られたのかは?)。
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by bonjinan | 2017-10-28 14:30 | 文化・歴史 | Trackback

霧に包まれたシェーンブルン宮殿

 毎年、秋が深まるにつれ、朝方は霧が立ち込めるというウィーン。
 シェーンブルン宮殿も霧の中。
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 宮殿はハプスブルク王朝の夏の離宮
 17世紀、レオポルド1世(マリア・テレジアの祖父)の命によりベルサイユ宮殿を意識し建設に
 着手したが財政難から規模が縮小された。
 18世紀、女帝マリア・テレジアの時代に現在みるバロック様式の華麗な宮殿に改修された。
 6歳のモーツアルトが女帝の前で演奏し床で転んだ際、手を取ったマリー・アントアネットに
 「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったとの逸話が残る。
 1805,9年、ウイーンを占領したナポレオンが宿舎となった。
 1814年9月から翌年にかけ「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議が開かれた。
 ともあれ1815年にウィーン議定書が締結され、その後のヨーロッパの国際秩序(ウィーン体制)
 が定まった。その性格は革命前の絶対王政の体制に戻そうとするものだった。
 1918年、ハプスブルク家最後の皇帝カール1世が退位文書に署名、以後共和国のものとなった。
 ・・・など宮殿はハプスブルク家の華麗な世界であると同時に世界史の舞台ともなった。
 現在、所有は国だが運営は民営化され一部賃貸マンションともなっている。 
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 観光は館内だから問題ないけれど庭園の景色ももう少し見たかった。
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by bonjinan | 2017-10-28 13:12 | 旅、散歩 | Trackback

街の風景 in ウィーン sanpo

 ウィーンの街の中心部を歩いてきました。
 オペラ座→旧王宮→コールマルクト通り→グラーベン通り(ペスト記念柱)→シュテファン寺院
 →ケルントナー通り→オペラ座。比較的狭いエリアなの街の風景をゆっくり楽しめました。
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 起点はオペラ座。
 近くにカフェ・ザッハー、モーツアルトなどあり。
 オペラ座前の大通りはリング通り。19世紀後半まで城壁だったが、フランツ・ヨーゼフ1世の代
 に取り壊され大通りとなった。オペラ座ほか通りに面した建物はその頃に建てられている。 
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 ミヒャェル広場からみる旧王宮
 オペルリング側から王宮庭園経由で旧王宮に向かったのですが王宮は広く旧王宮の入口を探すの
 にひと苦労。今振り返ればオペラ座からミヒャエル広場に向かって真っすぐに進めば良かった。
 旧王宮のこと。13世紀後半から20世紀初頭までの約640年間、ハプスブルク家の歴代皇帝が居
 城としてきた宮殿。人気の観光スポット。特にエリザベート皇后(愛称シシィ)の部屋は人気。
 入場券購入の列に並ぶこと、中で人が進まなくなる箇所ができるなどと言われていたのですが 
 この時は団体客がいなかったせいかスンナリ入場、また館内を回ることができました。
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 グラーベン通りのペスト記念柱
 1679年ペストが猛威を振るい、その終息を記念して、レオポルド1世(マリアテレジアの祖父)
 によって建てられたもの。柱の最上部に三位一体像があり三位一体像とも呼ばれヨーロッパ各地
 にあるもの。グラーベン通りを進むとシュテファン寺院(別掲)。
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 シュテファン寺院からオペラ座につながるケルントナー通り
 前出グラーベン通りと同様、ブランドショップが並ぶ通りで歩行者天国となっている。
 ウインドウショッピングしながらウィーンみやげを購入。
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 ウィーンの街でみる赤と白の旗
 ウィーン市観光局が定めた歴史的に意義ある建物に掲げられる。約200カ所あるという。
 写真のマルテーザ教会では今日、教会コンサートがあるようだ。
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by bonjinan | 2017-10-28 10:45 | 旅、散歩 | Trackback

ブラチスラヴァ

 1993年にチェコとの連邦制を解消し主権国家となったスロヴァキアの首都がブラチスラヴァ。
チェコスロヴァキアになる前は、長い間ハプスブルク家支配のハンガリーの一都市として発展してきた。1536年、ハンガリー帝国の首都ブタがオスマントルコに攻め落とされた際にはハンガリーの首都となったこともあった。

《プラチスラヴァ城》
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 丘の上のプラチスラヴァ城
 ローマ時代の砦から始った城。最も栄えたのは18世紀のマリアテレジアの時代。
 居城とした時期もあった。19世紀には荒廃し復旧されたのは第2次世界大戦後となった。
 四角い建物の四隅に塔をもつ独特の外観で”ひっくり返したテーブル”などとも呼ばれるという。
 現在城内の一部は歴史博物館となっている。
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 城内にあるレストランから眺めるプラチスラヴァ城
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 プラチスラヴァ城から眺めるドナウ川

《旧市街》
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 ミハエル門
 かつて旧市街を囲む城壁にあった4つの門のうちの一つ。
 通りにはカフェやレストランが並ぶ。
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 聖マルティン教会
 1563~1830年まで歴代ハンガリー王の戴冠式が行われ。1741年にはマリア・テレジアが
 この教会で戴冠した。
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 旧市庁舎とフラヴァーネ広場がある。広場に面しては日本大使館がある。

 参考:市中心部の風景については別掲
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by bonjinan | 2017-10-26 20:20 | 旅、散歩 | Trackback

中欧の秋

 中欧の旅。例年は札幌より寒いはずなのですが、旅行中はむしろ東京より暖かい陽気に恵まれ、
 各地で美しい黄葉を楽しむことができました。ここでは街の中で黄葉をたっぷり楽しめたスロ
 バキアの首都、ブラチスラヴァの風景を中心にアップします。
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 大通りの黄葉。後方に有名なカールトンホテル。
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 上の写真と同じくスロバキア国立劇場に通じる公園のような大通りの風景。
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 ブラチスラヴァ近郊の黄葉と菜の花畑
 菜の花畑は中欧のあちらこちらに点在していました。
 菜の花は夏播きの西洋油菜で菜種油はディーゼルエンジンの燃料などに使われ、
 欧州では環境対策、休耕地活用として積極的に栽培されたもの。

 補足:欧州の紅葉
 ヨーロッパではカエデのような赤く染まる葉っぱの紅葉はなく黄色い葉っぱの黄葉。
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by bonjinan | 2017-10-26 19:18 | 旅、散歩 | Trackback