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カテゴリ:読書( 94 )

地名が表す元々の地形

谷川彰英 『地名に隠された「東京津波」』 講談社+α新書(2012.1)を読んだ。
東京に10m級の津波が押し寄せたらどんな場所が水没し、また液状化現象により被害を受けるのか。刺激的な仮定だが、東日本大震災を経験してみるとありえない話でもない。
東京は洪積層の台地と土砂の堆積でできた沖積層の平野部、それに埋立地でできている。
今の東京は都市化が進み高低差も知らずに過ごしているし、ましてや元々の景観を知ることなどでき
なくなってしまったが、昔の地図をみると地名は地形と密接に関係して名付けられており、地名から元の地形が類推できるという。例えば、地下鉄、「麻布十番駅」辺りは、約90年前の地図では「網代町(あみしろ)」と書かれている。その昔には海辺だったことが分かるというわけだ。十番は白金御殿の普請にこの辺りが十番と名付けられ駆り出されたことに由来するなど歴史も織り込まれている。興味深く読むことができる。また比較的内陸部でも谷、窪、久保、池など付く場所は低地で水が溜まり易い場所、人工的に平地化された場所の可能性があり、液状化など考えられるということになる。多少なりとも予備知識があれば咄嗟の行動を的確にできるかも知れない。
参考①:国土地理院HP”デジタル標高地形図”
参考②:2009.10.8ブログ”縄文時代の気温、海岸線” 
参考③:flood.firetree.net”津波の水位ごとに水没する地域をマップ上に表したサイト”
余談
東京は坂道の多い町だ。以前、日比谷高校あたりから外堀通り(昔は瓢箪型の溜池があった)を横切
りTBSのある赤坂、そして檜町公園、ミッドタウンまで歩いたことがあった。その時以来、何か月か足の調子を悪くしてしまった。歩くのはいいがほどほどにを知った。写真はきれいな築地塀の報土寺横の「三分坂」(左)と永田町・日比谷高校の辺から外堀通りに下る「新坂」(別名:遅刻坂)(右)。
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参考:2010.2.24ブログ記事「散歩@赤坂界隈」

by bonjinan | 2012-06-10 09:49 | 読書

円高経済学

 齋藤弘 『目からウロコの円高経済学』 ワニブックス新書 を読んでみた。前日銀マン、前山形県知事が書かれた書。経済を勉強しだすと出口のない迷路にはまり込んでしまうものだ。勉強するということは、世の中を動かす普遍的なメカニズム、原理を知ろうとしてのことなのだがなかなかそのレベルには到達できない。本屋さんに行けば社会現象の解説書はたくさんあるが都合のいい資料をかき集めてストーリーを構成したに過ぎないものが多いから本当に理解したことにはならない。本書はそんな時、頭の整理に役立つ。円高になると新聞は問題ばかりを書きたて、業界は政府の為替介入と金融緩和を督促する。マーケットとは恣意的に制御できるものなのか、何かおかしいのだ。プラザ合意以降の急激な円高進行、オイルショック時の急激な原油高も乗り越えてきた、問題を乗り越えてきたから今日の繁栄につながった。真正面から取り組むことが答えであることを暗示している。そんな気になる本であった。
by bonjinan | 2012-06-10 09:47 | 読書

挫折した政党政治

 御厨貴『さかのぼり日本史③、挫折した政党政治』NHK出版(2011.9)を読んだ。
前回総選挙で民主党は政党政治の理想と言われる政権交代を果し、切磋琢磨する二大政党時代が訪れるかと思われたが、期待に反し、政治状況はむしろ混迷の度を深めている。
本書をみると、1900年代初頭の桂内閣時代に「ねじれ現象」があり、原敬が先鞭をつけた政党政治の後にも「二大政党が交互に政権を担当する時代」があったが互いの潰しあいから自滅している。御厨は「振り返ってみると、第一次大隈内閣という初めての政党内閣の誕生から崩壊に至る過程でみえてきた「自分の利益しか考えない政党の体質」が、ほとんど本質的には変化することなく、日本における政党政治を貫いていたことにため息をつかざるをえません。そして、そのことが政党政治の自滅を招いたことも重要です」と述べている。しかしまた「政党自身の問題でもありますが、やはり彼らに議席を与える国民自身の問題でもあるのです。政党の現実に悲観したり絶望して見放してしまうのも国民であれば、政党に正しい在り方を求め、厳しくチェックするのも、結局は国民なわけです」とも述べる。政治に関する書物の多くは、天下国家を論じる形をとりながら本質は個人的利害に根差したものであったり、あるいは専門的過ぎて理解できないかのどちらかだが、本書は読み易いだけでなく、わが国政党政治に流れる本質的体質、すなわち選択幅が狭いにもかかわらず僅かな違いをことさら大きくし党利党略に明け暮れる体質、を知ることができる。建設的な議論をするためには共通点と異なる点を区分けし、それぞれの主張を冷静に理解することから始まるがそれができていない。権力闘争が政治だとするならば民主政治そのものが崩壊してしまう。
by bonjinan | 2012-06-04 07:54 | 読書

5つの罠

カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本を追い込む5つの罠』角川書店(2012.3)を読んでみた。
オランダ生まれのジャーナリストがみた日本が嵌りそうな罠として5つをあげている。
TPP、緊縮財政、原発、沖縄、無関心の5つでいずれもこれからの日本の進路を考える上でのテーマだ。TPP問題は経済問題の皮をまとった政治問題だ、財政緊縮が国家を滅ぼすなど、普段、新聞やテレビなどの報道やニュース解説では聞くことのできない解説が続く。思考の幅を広げてくれる。
著者の最大のメセージは、「権力への無関心が政治、社会を堕落させる」ということだと思う。確かにそうかも知れない。最近、リーダー不在論や決定できない政治がしばしば話題になるのだが、特定利害関係者だけの政治、国民不在の政治が行われていることの反証と考えるべきだ。これがわが国の最大の危機かも知れない。
参考:11.12.07ブログ11.12.25ブログ11.12.20ブログ
by bonjinan | 2012-05-15 12:00 | 読書

失敗学

失敗学を創出された畑村さんの一般向け書、畑村洋太郎『想定外を想定せよ!』NHK出版(2011.8)を読んでみた。過去の事故を三現主義(現地、現物、現人)の立場から検証し、同じ事故を繰り返さないようにするための啓蒙書である。そもそも同じような事故が繰り返すのは、「見たくないものは見えない」「考えたくないものは考えない」の人間の心理からきているという。震災時に「想定外」という言葉が責任逃れの免罪符かのごとく使われたが「想定したくなかったから想定しなかった」に過ぎなかったということだ。本書の中に、三陸地方に建てられている「ここより下に家を建てるな」の石碑の話しが出てくる。津波がところにより38mまで遡上し約2万2000人が死亡した明治三陸地震津波(1896年)、同じく29m迄遡上した昭和三陸地震津波(1933年)を踏まえ教訓として建てられたものだが、教訓を守っている村もあればそうでないところもあるという。もちろん先に述べた人間の心理ばかりではなく生活するためにはやむをえないとの事情があってのことだがどんどん風化していく。失敗の記憶消滅には法則性があるという。3日、3月、3年、30年、60年、300年、1200年」という期間で、個人は3日で飽きて、3か月で冷めて、3年で忘れ、30年で組織から忘れ去られ、60年で地域から、300年で社会全体から忘れられ、1200年も経つと起こったことすら分からない状態になるのだという。ちなみに明治と昭和の津波の間が37年、昭和と今回の津波の間が78年だった。繰り返し繰り返し思いだし訓練することが必要になる。「ハインリッヒの法則」も書かれている。重大事故の前には軽微な災害が29件起こっており、「ヒヤリ」「ハット」の出来事が300件おきているという経験則だ。身近なところから災害、事故を食い止めたい。
参考:2011.4.6ブログ”災害は忘れたころにやってくる”
by bonjinan | 2012-04-18 14:27 | 読書

美の方程式

美しいものには普遍的な法則があるのだろうか。
布施英利『美の方程式』講談社(2010年)を読んでみた。
古代ギリシャの哲学者・プラトン(紀元前427-347)は「美には四つの美、物質的な美、精神的な美、知性的な美、絶対的な美があり、絶対的な美を最上とする。絶対的な美とは燦然と輝くもの」と言ったという。何となく分かるような気がするが良くは理解できない。著者は美の方程式として「美=完璧×破れ」、美を生み出す過程を捉えて「完璧×破れ→美」だと説く。千利休の息子が完璧に庭掃除させたところに利休は木をゆすり葉を散らしたというエピソードを使い、「美にとって、まず必要なのは、完璧であることです。・・・中途半端なもの、いい加減なものはやはり美としては不十分です。しかし完璧なだけでは美しいと言えないのです。・・・仕上げの味付けが破れということになります」と述べる。こんな話を聞くとバルセロナのピカソ美術館に並べられたピカソの幼年期から老年期の絵を思い出す。ピカソと言えば抽象画となるが、幼年期から青年期には極めて精緻な絵を描いていた。しかも歳を増すにしたがって、どんどん上手くなっていったように思えた。ピカソといえども完璧を目指していたのだ。頂点を極めるには先ずは飽きるほど完璧を目指し続けるしかないらしい。 参考:2010.9.6ブログ”美の構成学”2009.6.9ブログ”バルセロナ、ピカソ美術館”

by bonjinan | 2012-04-17 18:19 | 読書

104歳のおばあちゃん

104歳の看板娘~ハワイ日系移民の営み~が3/25、BSジャパンで放送された。
ハワイ島で食堂を営む日系二世・手島静子さんの物語だった。
静子さんの生き様は我々が忘れてしまった日本人の根源的精神を呼び覚ましてくれる。
「今ごろになって、やっとわかることばかり!」、「この歳になっても知らないことばかり」。
この謙虚な姿勢に驚かされます。
「てしま食堂」を開き仕事一筋の人生だったようですが、今では静子さんをグランマ(Grandma!)
と慕いローカル(地元の人)はもとよりアメリカ本土、日本からも多くの人たちが訪ねてくるとのこと。
「こらえて、こらえて、たえて」
「自分が今、できることを一生懸命にやる。それが、生きる、ということです」
お客さんに気配りしながら日々誠実に生きる、そんな生き方が人の心を引付けるのだと思います。
頭では理解できてもなかなか実践できないこと。年輪を積み重ねた人の言葉には重みがあります。
「今なら親孝行がいっぱいできる。でも今はもう、父も母もいない」
筆者もせめて親が生きている間にじっくり話を聞いておけば良かったと思う。
引用:手島静子『104歳になって、わかったこと』イースト・プレス(2011.8)
by bonjinan | 2012-03-29 10:34 | 読書

時刻社会

現代社会はかくも時間を気にして動かなければならないのだろうか。
古東哲明『瞬間を生きる哲学』筑摩書房(2011.3)に時間にまつわる面白い話が書いてある。
「時間規律が励行されるようになったのは18世紀、産業革命によってだった。日本においてはこれよりかなり遅れ大正期の中頃(1920年前後)だという。それまでは「どき」程度の時間感覚だった。」例えば昼時(ひるどき)、お昼のころ程度のアバウトな感覚で世の中は動いていたのだが、近代産業社会が進展しタイムカードが導入されるとともに「時間厳守」が当たり前になってきた。今瞬間を空しく過ごしているだけなのではないか。そんな観点からせわしない現代社会を点検している。1秒1刻を問題視する現代社会をどう記述しているのだろうか、抜粋してみたい。「世界は『速度』に支配されている。より速く、より遠くへ走るように。それに拍車をかけるのが自由主義経済体制、つまり資本主義的産業構造である。その正体を『前望構造』(project)と看破したのは、G.バタイユだ。projectとは語義的には『前に(pro)+投げること(jacere)』。投機、生命保険、貯蓄利子、年金、株主配当にみられるように、資本主義経済システムは、未来の利得や成果をあてにし、いまこの時この場で味わえる悦びや成果はお預け式の経済構造である」と。ニヒルな物言いだが事実だ。企業が存続するためには適正な利潤をあげなければならない。しかし最近の企業活動は利益の極大化が目的化し本当は何をしたかったのさえ忘れさせるほどに将来の保険としての利益獲得に邁進している。見方を変えれば極めて禁欲的なのだ。これから時価主義会計が厳密に運用されるようになれば本業とは直接関係のない時々刻々変わる資産価値の変動にまで気を配らなくてはならなくなるだろう。未来のために今をもっと空しく過ごさなければならない。著者は瞬間を生きるか、生きないかの二者択一を迫っているわけではない。刹那的な生き方を推奨しているのでもない。今日この時を充実したものにするために瞬間瞬間をどう生きるかを考えてみて欲しいと言っているのだと思う。
参考:2011.1.31ブログ”セネカの言葉”
補足
江戸時代には「不定時法」といって、日の出と日の入りを基準に昼夜を等分した漠然とした時間単位で生活していた。例えば、寺子屋の授業、子供たちが同じ時刻に集まるわけではなかったので「一斉授業」にはなりえなかった。「個人授業」が基本形だったようだ。オランダなどの幼児教育をみるとまさにこの複式授業。これが本来の教育の姿なのかもしれない。一斉授業、すなわちベルトコンベア式の授業は時間を気にする近代の産業社会がもたらした形といえる。
by bonjinan | 2012-03-27 10:10 | 読書

コペルニクスの仕掛人

デニス・ダニエルソン 『コペルニクスの仕掛人』 東洋書林、2008.7 を読んだ。
ニコラウス・コペルニクス(1473-1543)は「コペルニクス的転回」で知られるよう、古代ローマ時代から中世を通じての絶対的な宇宙観であった「プトレマイオスの天動説」に代わりある種の相対論である「地動説」を唱えたことで知られる。(当時は大航海時代、星の観測で船の位置を確認していたが、火星の観測で順行と逆行があることが知られ大問題になっていたことへの解釈として提示した)だがそれ以上のことはあまり知られていない。本書を読むと、コペルニクスはポーランドのバルト海に近い小さな町の著名な行政官、医者ではあっても無名のアマチュア天文家に過ぎなかったこと、彼を歴史上の天文学者に仕立て上げたのは若き天才数学者ゲオルク・レティクス(1514-74)であったことを知る。二人の出会いからはじまってコペルニクスが地動説を主張したことの証となる著作『天球の回転について』(1543年刊)の刊行に至るまでを鮮明に描いている。歴史に if はないというがまさに「レティクスなくしてコペルニクスなし」と主張する書である。

補足:コペルニクスの生きた時代(本書からの整理)
イタリアではレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が、ドイツではルター(1483-1546)が活躍したいわゆるルネサンス期にあった。ルネサンスは直訳すると再生だがその本質は古典の再解釈であった。ルターが神のことばの書物(聖書)の再解釈にあたったとすれば、コペルニクス、ダヴィンチは神の作品の書物(創造物)の再解釈に取り組んだのだと言える。また後年、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)が「宇宙という壮大な書物は数学のことばで書かれている」と述べているように再解釈するための新たな知見、手法が模索される熱気あふれる時代でもあった。因みに前出レティクスは幾何学と三角形の専門家でもあった。今でいう三角関数表などを著した。これは余談となるが、コペルニクスは経済学に関する著作『貨幣制度に関する小論』の中で「悪貨は良貨を駆逐する」を述べているという。いわゆるグレシャムの法則を最初に体系化したのはグレシャム(1519-79)ではなくコペルニクスだという。ルネサンス期はまことに多才な人材を輩出したものだ。

補足:『天球の回転』における隠れた成果
本書では、観測に基づく各惑星の配置(内側から水星、金星、地球、火星、木星、土星)が初めて示されていること。

補足:『週刊エコノミスト』(2016年5/31号)より
もう一つ。コペルニクスの生きた時代のヨーロッパ社会は、それまで数百年間ほぼ安定していた物価が突然上昇し大混乱になっていた。コペルニクスはインフレの原因を考察し国王に提出した。これによると航海技術の発展で新たな航路が開拓され、アメリカ大陸から金銀が大量に流入するようになり、それが通貨として使われたため通貨総量が増加し通貨価値が下落し、物価が上がったと述べているという。「悪化は良貨を駆逐する」と並び「金融緩和」の本質を観察していたことになる。
参考:2011.1.19ブログ(科学ってなに?)2010.9.6ブログ(美の構成学)

補足:オッカムの剃刀
「ある事柄を説明するために、必要以上に多くを仮定すべきではないとする考え方で思考節約の原理と呼ばれる。オッカム(1285-1349、通称はイングランド・オッカム地方のウイリアム)はキリスト教とアリストテレスの天動説とを結びつけたトマス・アクイナスと同じスコラ学の代表的神学者。しかし学問上はアクイナスに反対する立場をとり、アリストテレスの自然学についてもすべて受け入れる必要はないと考えていた。コペルニクスがこのオッカムのことを知っていたかどうかは分からないが、天動説では順行・逆行を説明するのに80個を越える周転円という、あまりに多くの仮定を必要としていたのに対して、コペルニクスの地動説では地球の公転という発想の逆転以外には、追加する仮定は一つもありませんでした」(三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか』講談社より抜粋)
by bonjinan | 2012-02-16 20:25 | 読書

為替相場

輸出企業を悩ます円高ですが為替相場はどのような要因で動いているのだろうか。
佐々木融 『弱い日本の強い円』 日経新聞社(2011.10) を読むとスッキリする。
あらまし次の通り。ニュースでは短期金融市場の動きが報道されるために投機的な動きがすべてを決めているような誤解を招いている。短期的な資金移動は行きと帰りで相殺される性格のものでニュートラル。為替相場を動かしている中長期的要因は各国のインフレ率の違いからくる貨幣価値の変動、及び貨幣交換の向きの2つ。すなわち相手国のインフレ率>日本のインフレ率の関係では円の価値は上がるから当然円高に(購買力平価説)。また日本の貿易黒字が続く限り米ドル売り円買いのフロー、即ち円高基調は続くと説明する。為替相場の本質を淡々と説明してくれているのでわかり易い。次に本書をベースに現実の問題を考えてみたい。そもそも円高は悪か?確かに米ドル建ての輸出企業にとっては競争力を失うことになるので困ることだ。しかし日本全体では米ドル建て輸入>米ドル建て輸出の関係があるからすでに円高を享受しているのだ。問題は円高を内需拡大、海外直接投資など円高を上手く活かせないことにある。反対に急に円安に転じたならばどういうことになるのだろうか。むしろ恐ろしいことになる。間違いなく貿易赤字は更に拡大するだろう。しかも大赤字の電機などはウォン安が続いている限り輸出は増えない。デフレが悪いと言っているが望んでもいないインフレの時代が訪れるだけなのだ。利ざや稼ぎに外貨が短期的に流入し更なる円高となるだろうがその後はリスクを恐れて一気に円売り外貨買いの超円安、国債の暴落などまさに経済崩壊のシナリオしかない。著者が言うように短期的な資金移動は長期的にはニュートラルとはいえ現実にはキャピタルゲインを目的とした投資家の行動が同期するとバブルに続いて金融危機を引き起こすことは歴史が教えている。次に貿易赤字が長引くとどうなるのか?確かに経常収支としては黒字だから今すぐどうということはない。しかしそもそも所得収支も貿易黒字により積み重なったものであるから貿易赤字が恒常化すればこれも少なくなってくる。また所得収支の中身も株式投資などによるもので欧米の景気低迷が長引くと収益率が低下してくる。近年その傾向にある。今考えなければならないのは抜本的に輸出競争力を高めるための産業構造の転換ということになる。
by bonjinan | 2012-02-14 17:16 | 読書