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カテゴリ:文化・歴史( 119 )

AIの進化が社会にもたらす影響(No.2)

AIの進化が社会にもたらす影響(No.1)の続きです。
以下新規掲載順。

2019.7.23   判断根拠を示すAI
AI活用で悩ませていたのが判断根拠のブラックボックス化であった。深層学習を使うと高度な分析ができる一方で判断根拠が分からなく、問題が起こっても追跡できない可能性があった。そこで最近注目されているのがXAI(説明可能なAI)。富士通、NECなどが取り組み始めたという(7/23日経)。筆者にはその詳細を説明するだけの知識はないがどうやら、深層学習などのAIと既存知識体系と突き合わせ合理的根拠を見出すもののようだ。そうだとすれば無理やり理屈付けした屁理屈にならなければ良いが。

2019.7.7   相関関係と因果関係
コンピュータは大量データから相関関係を見つけ出すことを得意とする。しかし相関関係があるからといって因果関係があるとは限らないにも関わらず原因と結果を平気で論じている場合が多い。こうした誤りは実験室で行う実験であれば検証できるが社会現象のように簡単には実験できない対象については注意を要する。特に、図表を多くし論理的記述を装った書籍に多いような気がする。単なる偶然、交絡因子の存在、原因と結果の一方向性を疑ってみる必要がある。このことは、やや古い本だが、中室牧子、津川友介『原因と結果の経済学』ダイヤモンド社、2017年に詳しく書かれている。
by bonjinan | 2019-07-23 09:14 | 文化・歴史

松方コレクション展(2019年)

国立西洋美術館開館60周年記念「松方コレクション展」に行ってきました。
展示は収集年代順ですが、モネ《睡蓮》1916年に始まり修復後?の《睡蓮、柳の反映》1916年で終る展示でした。確かに松方コレクションはモネの印象が強いのですが展示された155の作品をみると、私のような素人が知る著名な画家の作品をほとんど網羅、収集されていること、また良く知ったつもりでいる画家でもこれまで持っていたイメージとは異なるタッチの絵があることを改めて知ることができ興味深く鑑賞させて貰いました。どれもこれも見ごたえのある作品ばかりでした。
以下、気になった作品のメモです。
モネ《舟遊び》1887年、ゴッホ《アルルの寝室》1889年(オルセー美術館蔵)、ルノワール《帽子の女》1891年、ゴーガン《海辺に立っブルターニュの少女たち》1889年、シスレー《冬の夕日(サン・マメスのセーヌ河)》1883年(個人蔵)、マティス《長椅子に座る女》1920-21年(バーゼル美術館)、ミレー《春(ダフニスとクロエ)》1865年、ピカソ《青い胴着の女》1920年、ムンク《雪の中の労働者たち》1910年、ブリューゲル(子)《鳥罠のある冬景色》、ロダン《接吻》1881-2年頃(原型)・・・。

参考:国立西洋美術館公式サイト

その2 奈良大和四寺のみほとけ(東京国立博物館)
東博にも寄り、奈良四寺(岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院)の諸仏、経巻を拝観してきました。
室生寺《十一面観音立像》(国宝)にまた再会することができました。

参考:東京国立博物館公式サイト

by bonjinan | 2019-07-21 19:04 | 文化・歴史

横山大観記念館

横山大観記念館(台東区池之端)を訪ねた。
記念館は近代日本画の巨匠・横山大観(1868-1958)が90歳で亡くなるまで暮らした自宅兼画室。木造2階建ての数寄屋風日本家屋と庭は大観が創案。細川護立侯爵から贈られた庭石を中心に石や植木の選定、配置なども自ら行ったという。大観は手入れの行き届いた庭より野趣あふれる庭を好み、庭を良く眺めることで絵画のヒントを得ていたという。現在の家屋は1954年に空襲で焼失する前とほぼ同じ形で再建されたもの。2017年に国の史跡及び名勝に指定されている。
なお庭には謂れは不明だが市松模様の袈裟型手水鉢(銀閣寺型手水鉢)が置かれている。
館内では現在、花鳥風月をテーマとした習作を中心とした作品、スケッチ帖、書簡などが展示されている。ここで知ったこと。日本画の宿命なのだろう、書き直しができなく、大観は何回も何回も納得するまで一から書き直し、最後に落款印を押したという。当たり前と言えば当たり前だが展示されている習作には落款印がない。ただ展示されている作品が習作と言えども単に練習用の絵ではないということだ。横山大観記念館だからこそ見られる絵なのかも知れない。日本画の未来に向けて果敢にチャレンジした技法「朦朧体」についてはここでは省きます。
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  横山大観記念館前庭(不忍通りに面した入り口から玄関に至る間の庭)

補足:山桜のこと
大観の作品で多いのは風景、次に花鳥、人物の順という。桜も良く描いたが園芸品種のソメイヨシノではなく野生種の桜を描いた。自然がもたらす美を最大限に表現したいと考えていたからで、家屋の前にはヤマザクラを植えていたという。じっくり観察し描いたのであろう。

参考:横山大観記念館ホームページ
by bonjinan | 2019-05-23 20:48 | 文化・歴史

生命科学の基礎勉強

私には生命科学に関する基礎知識がほとんどない。しかしこの分野の研究が急速に進展していて、ある程度の知識がなければ仲間と会話ができない時代になってきました。遅ればせながら少しでも知識を得たいと思い、以下入手した知識をメモとして記録していきたいと思います。

2019.6.25   植物の耐乾燥メカニズム
生命科学と言えば動物、特にヒトに関係した分子生物学、遺伝子工学となるが、今日は植物の話。先日、市民講座で理研の高橋史憲先生のお話を拝聴しました。植物は動物と違って動けないが故の生存戦略を持っている。植物は乾燥ストレスにどのようなメカニズムで対応しているのか。あらましは確か、根の細胞から導管にペプチドホルモンが放出され葉っぱに移動すると植物ホルモンの一つアブジン酸(ABA)が合成され、気孔を閉鎖するというもの。神経細胞がない植物はどのようにして組織内で情報伝達しているのか興味あるお話だった。ただ気孔を閉じることで、蒸散できなくなり葉っぱの温度上昇を招くこと、光合成を停止せざるをえなくなることについてはどう考えたら良いのであろうか。答えはどちらを優先するかによるということのようだ。ほか植物研究によく用いられるモデル生物「シロイヌナズナ」(遺伝子数が2万6千と少ない、ちなみにイネ4万4千、コムギ10万8千)のことも知った。またほとんどの野菜は人為的に作られたもの(ケール→ブロッコリー、カリフラワー、キャベツなど)であることも知った。

2019.5.29   がんゲノム医療
がんに関係している遺伝子を特定して最適な抗がん剤を選定することを目的とした医療のようだ。まず検査から始まるが、検査自体が高額であること、遺伝子が特定されても最適な抗がん剤があるのかという難問に突き当たるという。標準的な治療を施しても効果がみられない患者、症状に応じて6月1日から保険適用される。

2019.5.5&12
NHKスペシャルで山中伸弥×タモリ W司会、人体Ⅱ 遺伝子が放送された。
5日はトレジャーDNA、12日はDNAスイッチだった。
(あらまし、トレジャーDNA)
①遺伝子にはさまざまな定義があるが、「遺伝子=DNAの2%=体をつくる設計図」、②DNAの残り98%は数年前まではジャンク(ゴミ)と呼んでいた、③最近、このジャンクと言われてきた部分は実は宝物(番組ではトレジャーDNAと呼ぶ)であることが分かってきた。
このDNAの98%の部分には「体をつくる物質の量やタイミングをコントロールする役割りがあること」、「人類の進化のほとんどはDNAの98%に生じた突然変異によってもたらされていること(例えば一卵性双生児が宇宙に滞在したかどうか、すなわち環境によりトレジャーDNAに差が生じていることが確かめられた)」。またこうした知見から「病気から体を守るDNAを膨大なDNAデータから見つけ出す新しい医療のアプローチが始まっている」。
(あらまし、DNAスイッチ)
①ジャンクといわれてきたDNAの98%のDNA、今は「トレジャーDNA」には「DNAの2%=遺伝子」の働きを変える約2万個のスイッチがある。これを番組ではDNAスイッチと呼ぶ。②例えば一卵性双生児が同時にがんになる確率は8%、残りは生活習慣による。これはがんを抑える遺伝子がONになっているかOFFになっているかの違いだと考えられるようになった。③DNAメチル化酵素を抑える物質を投与することでDNAスイッチをONにしがん細胞を縮小した例もある。もっと身近な例では、女王バチほかの働きバチとDNAが同じでもローヤルゼリーを食べ続けることで女王バチに変異する、即ち環境によってDNAスイッチが切り替わったと考えられるようになった。③これまで精子のDNAスイッチは受精されると初期化、すなわちニュートラルになるとされてきたが、最近その一部が残る可能性が示されているようになった。卵子でも妊娠中に過度なダイエットをすると胎児のDNAスイッチに影響を与える可能性も指摘されているなど、リセットされないまま記録として残る場合がある。このことに期待し子供をつくる前に体力増強を図るなどの精子トレーニングを実施している人たちがいる。こうしたDNAスイッチに着目し研究するアプローチをエピジェネティクス(後成遺伝学)と言う。④進化を考える場合、長い時間をかけて環境に適応する進化とDNAスイッチのような短期間の環境変化に対応していく進化の両面から人類は生き延びてきたと思われる。
by bonjinan | 2019-05-13 18:42 | 文化・歴史

講談社野間記念館

目白通りに講談社野間記念館がある(文京区関口)。講談社の創業90周年事業として、創業者の野間清治氏の邸宅を改築して、2000年にオープンした美術館。野間氏が大正から昭和初期に収集したコレクションが中核を成すようだ。現在開催されている「村上豊展(後期、うつし世の情景)」(4/19~5/19)。村上豊(1936年~ )は1960年に直木賞を受賞した司馬遼太郎の週刊サンケイの連載小説「風の武士」の挿絵からデビューした画家。企画展では日本人の深層に潜む日本の原風景、人々のいとなみを描き出した作品が展示されている。ますますグローバル化し複雑化する現代社会にあって、描かれた世界を郷愁の世界に留めるのではなく、むしろこれから先、求めるべき世界観を提示しているのではないかと思えてきた。
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目白通りに面した講談社野間記念館入り口(写真中央)
左側に音の葉カフェ、花屋さん、椿山荘入り口へと続く。右側に行けば永青文庫、肥後細川庭園に通じる胸突坂。更には日本女子大、学習院大からJR目白駅に至る文教地区。写真を撮っている反対側には東京カテドラル聖マリア大聖堂がある。

参考:講談社野間記念館公式ホームページ
by bonjinan | 2019-05-06 14:34 | 文化・歴史

永青文庫

永青文庫(文京区目白台)を訪ねた。永青文庫は1972年、旧熊本藩細川家第16代当主細川護立侯爵によって設立された美術館で、日本・東洋の古美術を中心としたいわゆる細川コレクションが核となっている。(元細川首相は細川家18代当主で現永青文庫の財団理事長、館長)。
訪ねた時は春季展として「漆芸作家、高野松山 生誕130年展」(4/27~7/3)が開催されていた。
「高野松山(1889-1976)は熊本に生れ東京美術学校などで漆芸を学び、後に細川護立(1883-1970)の援助を得、目白台の細川邸内に住み込み「昼は殿様のボデーガード、夜に制作」という生活を送った。この間帝展等への出品を重ね、1955年には重要無形文化財「蒔絵」保持者に認定されている」(同展パンフレッドより)。緻密な蒔絵作品を見ると高度な技術を駆使したものであることは私など素人からみても分かる。良いものを見させて貰った。
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写真は分館で1階にはカフェがあり、ビデオでは永青文庫の概要などが解説されている。

参考:永青文庫公式ホームページ

補足:横山大観との付き合い
芸術家のパトロンでもあった細川護立侯爵。永青文庫には横山大観の作品も展示されている。
また横山大観邸(池ノ端の現横山大観記念館)に細川邸の巨石を庭石として贈呈している。
by bonjinan | 2019-05-06 14:25 | 文化・歴史

新元号は「令和」

2019.4.1  新元号は「令和」
新元号は「令和」と発表された。万葉集にある梅花の歌32首の序文「初春の令月にして 気淑(よ)く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」から引用されたという。ここでの「令」は「よい」の意味。令嬢、令名などで使われている。ただ「令」は命令の令も連想されることから圧迫感を感じるという人もあろうが良いように解釈し「令和」時代が良き時代になることを祈りたい。5月1日から適用される。

年号と元号
年号も元号も年に付ける称号という意味では同じだが使われ方においては違う。年号を最初に使い始めたのは古代中国・漢の武帝で、西暦紀元前140年に「建元」と号した。武帝はめずらしい兆候やおめでたい印が現れたときに年号を変更し、その治世に5つの年号が使われた。日本でも同じで明治天皇の前の孝明天皇の時代には自然災害などを契機にして6回年号が変わっている。日本初の年号は大化の改新で知られる「大化」で645年に始まり、南北朝時代のそれぞれの年号を合わせて平成まで247を数える。「令和」は248番目。一方、元号はひとりの天皇に対してひとつ(一世一元)で、そう決められたのは「明治」からであった。しかも元号は誰が決めるのかを含めて法的に決まったのは1979年(昭和54年)の元号法によってであった。このように年号にかわり元号が使われるようになったのは比較的最近のことのようだ。
(参考:中牧弘允『暦の不思議』イーストプレス、2019.1)


2019.4.29 令和はどんな時代になるのだろうか。
昭和が戦争と高度成長の時代。平成は戦争がなかったことでは平和な時代であったが東日本大震災など大きな自然災害に見舞われるとともに経済は停滞の時代であった。令和の時代は現状では各国とも国際協調より自国第一の政策に移りつつあり経済戦争、或いは新冷戦の時代に入るかも知れないとも言われている。わが国は平和と国際協調の中でのみ繁栄しうるのであり国際社会に向けて有益な考え方をどれだけ提案できるかがより重要な時代になってくるであろう。
by bonjinan | 2019-04-01 12:19 | 文化・歴史

貨幣博物館見学

日本銀行金融研究所「貨幣博物館」に入ってきました。
2015年11月にリニューアルされてからは初めての入館でした。
富本銭など改めて見てみたいなと思い入ったもの。
なお展示物の撮影は禁止なので写真はありません。
(富本銭)
『日本書紀』によれば、683年に銀銭の使用を禁じ、銅銭の使用を命じたと記されているという。発掘調査により、使用を禁じられた銀銭が無文銀銭(丸く中央に小さな穴があるだけ)で、同時に使用を命じられた銅銭が富本銭とされる。正方形の穴を中心に、縦に「富夲」、両側に「7つの点」が亀甲型に配置されている(七曜星)。かつて日本で最初に造られた銭貨は8世紀初頭に発行された和同開珎とされてきたが、今日では富本銭が最初の銭貨とされている。ただ和同開珎が街道筋など比較的広範囲で使われていたのに対して、富本銭がどの程度流通したかは定かではなく、七曜星の文様を見ると厭勝銭(ようしょうせん:まじない用)であったのではないかとの説が残るのもうなずける。
(いろいろな紙幣)
17世紀初頭に伊勢山田地方の商人により発行された日本最初の紙幣「山田羽書(はがき)」、各藩で発行された藩札、戦時中に発行された軍票、外地で発行された紙幣(横浜正金銀行券、五円券、百円札に「永遠通用」などと書かれた紙幣)、目の不自由な人のためにパンチした紙幣、加刷紙幣(最初に印刷した金額に対して新たな金額を追加印刷したデノミ対応紙幣)、預金引き出しに紙幣が追い付かず表面だけ印刷された海外紙幣などいろいろな紙幣があることを知りました。
(ほか面白いと思ったこと)
古代には13種類の銅銭が発行されたが(7世紀後半の富本銭~958年の乾元大宝)、材料となる銅の産出量が次第に減少したことなどから粗悪になり人々から嫌われ、銅銭は発行されなくなった時期があった。これを解消したのが12世紀半ば以降、大量に流入した中国の銭貨(渡来銭)あった。貨幣がなくなるとどうなるか。米や絹などがお金として使われた。米俵を背負って旅に出た絵があった。こんな重いものを持って旅に出たかどうかは定かではないが滑稽だ。ほか両替商の必須ツールであった秤、銀行マークの基となった分銅、蓄財を目的とした分銅金(375g、金含有率95%前後)など・・・貨幣にまつわる歴史を楽しめました。

詳細:貨幣博物館ホームページ
by bonjinan | 2019-01-11 22:05 | 文化・歴史

2018年ノーベル賞

2018.10.1 ノーベル生理学・医学賞に本庶佑氏
2016年ノーベル生理学・医学賞に本庶佑(ほんじょたすく、76)、京都大学特別教授らに授与されることになった。免役の働きを抑える物質を発見し、がんの治療薬「オプジーボ」の開発につながった。がん治療は、外科手術、放射線照射、抗がん剤の三つであったが、先生の開発した方法はもともと体に備わっている免役の仕組みを利用してがんを攻撃する第四の治療法。この治療法のもととなったのは、免役細胞の表面にあるPD-1というたんぱく質の発見。がん細胞がこのPD-1と結合し免役細胞を働かせないようにしていることを突き止めたことで(1992年)、その結合をブロックすればもともとの免疫細胞ががん細胞を攻撃し続けるはずとの発想で新薬が開発されたようだ。ただどんな薬もそうだが全てのがんに効くわけではない。また人により、その時の体の状態により免疫力が強すぎることによる薬害もでる。人の体は微妙なバランスで成り立っている。専門医と相談するしかない。
(語録)報道されている先生の言葉「Stick to the question(疑問にこだわれ)」、「何ができるかより、何をしたいか」、「ナンバーワンより、オンリーワンを目指せ」、「論文の90%はウソ」など。先生にとっては当たり前のことなのだろうが厳しい言葉だ。自立するとはこういうことなのかも知れない。先ずは疑い、自分の頭でどこまで考えたが重要ということだろう。
参考:http://www.nobelprize.org

by bonjinan | 2018-10-01 18:37 | 文化・歴史

大田区立龍子記念館

  大田区立龍子記念館を訪ねた。
  龍子記念館は、日本画の巨匠・川端龍子(1885-1966)によって、文化勲章受賞
  と喜寿とを記念して1963年につくられた記念館(1991年~ 大田区立)。
  現在、「ベストセレクション龍子記念館の逸品」(2018.4.28~8.26)開催中。
  伝統的な日本画とは違った迫力ある日本画を堪能できました。
  例えば、《筏流し》1959年、245×727cm
      《虎の間》1947年、245×727cm
      《爆弾散華》1945年、249188cm
      《波切不動》1934年、342×302cm
  川端は、日本画を床の間芸術から会場芸術に、あるいはパブリックアートに変えたと
  評される。巨大な絵ではあるが粗削りではなく軽妙な筆致、色使いには上品さがある。
  館内のスペースも広く、ゆっくり鑑賞できる。また行きたい美術館の一つ。
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  龍子記念館、
  写真の右側は龍子公園。旧宅とアトリエが保存されている。

  参考:大田区立龍子記念館ホームページ
by bonjinan | 2018-07-31 18:53 | 文化・歴史