毎年、秋が深まるにつれ、朝方は霧が立ち込めるというウィーン。
シェーンブルン宮殿も霧の中(宮殿と庭園群は世界遺産)。
宮殿はハプスブルク王朝の夏の離宮
17世紀、レオポルド1世(マリア・テレジアの祖父)の命によりベルサイユ宮殿を意識し建設に着手したが財政難から規模が縮小された。
18世紀、女帝マリア・テレジアの時代に現在みるバロック様式の華麗な宮殿に改修された。
6歳のモーツアルトが女帝の前で演奏し床で転んだ際、手を取ったマリー・アントアネットに「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったとの逸話が残る。
1805,9年、ウイーンを占領したナポレオンの宿舎となった。
1814年9月から翌年にかけ「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議が開かれた。
ともあれ1815年にウィーン議定書が締結され、その後のヨーロッパの国際秩序(ウィーン体制)が定まった。その性格は革命前の絶対王政の体制に戻そうとするものだった。
1918年、ハプスブルク家最後の皇帝カール1世が退位文書に署名、以後共和国のものとなった。
・・・など宮殿はハプスブルク家の華麗な世界であると同時に世界史の舞台ともなった。
現在、所有は国だが運営は民営化され一部賃貸マンションともなっている。
観光は館内だから問題ないけれど庭園の景色ももう少し見たかった。
(参考)
1.シェーンブルン宮殿の名前の由来
宮殿はウィーン中心部から南西に約5km、宮殿ができる前は森林に覆われた狩猟の森であった。その中にあった美しい泉(独語でSchoner Brunnen:シェナーブルネン)に由来している。
2.宮殿の特徴
外観はバロック、内部はロココ様式。内部には1400室超あるという。小さな館から始まり現在の姿になったのはマリアテレジアの時代であった。外装の淡い黄色はマリアテレジアイエローと呼ばれる。上品な色合いである。