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街の風景 in プラハ

 プラハ、旧市街広場を中心に散策しながら撮った街の風景です。
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 旧市街の中心、旧市街広場
 写真手前左に天文時計のある旧市庁舎(改装中)、正面に2塔が目を引くティーン教会。
 ティーン教会は15世紀前半、プロテスタントの先駆けとなる宗教改革フス派の拠点となった。
 カレル橋へは人の流れに沿って西に歩けば行ける。 (参考:カレル橋)
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 高級ブランド店が並ぶパリ通り。
 若者たちがテーブルに2列に並びビールを飲み、自転車のペダルのようなものを踏み、大騒ぎ
 しながら前に進んでいった。元気がなければできないね。
 近くには街の雰囲気がちょっと変わるユダヤ人地区がある。
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 市民会館
 プラハを代表するアール・ヌーボー建築。
 内部には音楽祭「プラハの春」の会場となるスメタナホールや入り易いレストランなどがある。
 近くには、アール・ヌーボーでチェコを代表する画家・ミュシャ(チェコ語でムハ)の作品を
 収蔵したミュシャ美術館がある。
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 火薬塔 
 17世紀に火薬庫として使用したという。市民会館近く。
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 泊まったアールヌーボー様式のホテル。ミュシャ美術館のすぐ近くだった。
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 プラハの春の舞台となった大通り、ヴァーツラフ広場
 1968年、チェコスロバキアで起きた民主化運動(プラハの春)に対して同年8月、ワルシャワ
 条約機構の弱体化を恐れたソ連ブレジネフ政権はワルシャワ条約機構軍20万人を投入してこの
 運動を圧殺した。ヴァーツラフ通りはこの歴史的舞台。
 プラハの春は結果として失敗に終わったが、その後、東欧諸国の社会主義政権崩壊と前後して、
 1989年には衝突や流血を伴うことなくビロードのように民主化が進んだ(ビロード革命)。
 民主化以降、国民はもちろん喜んでいるが、国民が参加する政治に劇的に変化したとは感じて
 いないようである。民主化を積極推進する魅力ある政治家が出ていないのかも知れない。
 話は飛んで1998年の長野オリンピック(冬季)に関連して、
 アイスホッケー決勝リーグAでロシアに負けたチェコではあったが決勝戦でロシアを破り優勝。
 当時大いに盛り上がり、今でも日本といえば京都より、或いは東京よりも長野が有名だという。

補足 リヒャルト=クーデンホーフ=カレルギー(1894~1972)の事
チェコの西、ドイツとの国境近くにポベジョヴィツェ(独語ロンスベルク)という小さな町がある。オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のハプスブルク家の重臣、クーデンホーフ=カレルギー伯爵家の領地だったところだ。このボヘミアの小さな町に東京牛込の骨董商・青山喜八の三女・みつが東京の同国代理公使だったハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギーに見初められて、18歳の時嫁いだ。チェコに戻ってからの経過については割愛するが、両人の次男、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは後にEU統合の起点ともなる書『汎ヨーロッパ』(1923)を著す。EUはチェコの田舎で育ったしかも日本人の血を引くリヒャルトの主張から始まったと思えば誇らしいことではないか。近年、EU懐疑派が台頭しているが、米中二大大国、しかも政治体制の異なる両国が自国ファーストを訴える中で、日本を含めた中小国がどう振舞えばよいのか、リヒャルトの理念を改めて見直すべき時期にきているのではないだろうか。
by bonjinan | 2017-10-29 11:49 | 旅、散歩