韮山反射炉、江川邸(伊豆の国市)を訪ねた。2015年、世界遺産「明治日本の産業革命遺産(エリア3)」に登録され整備されている。昨年末にはガイダンスセンターがオープンし、反射炉のいろいろについてパネル展示で解説してくれている。
<韮山反射炉>
韮山反射炉(連双2基4炉、高さ約15.7m)。
韮山の代官、兵学者、江川英龍(ひでたつ、1801-55、江川家当主は太郎左衛門を名乗ったので単に太郎左衛門ともいう)による沿岸防備の建議から、品川台場建設と併せ反射炉建設が具体化。英龍死去後は、息子英敏が引き継ぎ、1857年に反射炉は完成した。石炭火力の炎の熱と炉内耐火レンガから発する輻射熱で銑鉄を溶かし鋳型に流し込み大砲を作った。写真で煙突の前が炉心。
炉の背面。出湯口と呼ばれる穴から溶けた鉄を鋳型に流し込んだ。大きな大砲では4炉から鉄を流し込んだという。炉が違えば鉄の性質も若干違っていたであろう。昔の人の苦労が偲ばれる。
野外展示されている24ポンドカノン砲(複製品)。
最初1857年に鋳込まれたのはもう少し小ぶりの18ポンドカノン砲だった。
<江川邸>
江川邸表門。(反射炉から循環バスで約10分)
江川邸主屋(重文)。主屋には室町時代に建てられた部分、江戸初期に修復された部分などが含まれていいるという。もちろんかつては茅葺屋根だった。反射炉建設を建議した36代英龍、これを完成させた37代英敏はここで生まれ育った。かつて佐久間象山、久坂玄瑞などが英龍を訪ねここで学んだ。邸宅の北側には江戸時代を通じての代官所があり、江川家は世襲で伊豆、駿河、甲斐、武蔵、相模、伊豆諸島など幕府直轄領を広範囲に支配していた。明治維新の廃藩置県では韮山県庁となり38代英武が県令を務めた。後に英武は岩倉使節団に参加した。ほか江川家にまつわる話はたくさんあり。
参考:
伊豆の国市ホームページ(文化財)