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吉野、吉水神社

吉水神社は、元は吉水院と称し、役行者が創立した吉野修験宗の僧坊だった。明治以降、神仏分離により吉水神社となった。吉水神社の歴史は華やか。吉野へ行幸された後醍醐天皇を迎え南朝の皇居となった、源義経が静御前や弁慶たちと逃げ延び潜居した、豊臣秀吉が開いた盛大な花見の本陣となったなどと伝わる。神社には様々な宝物が展示されている。最近は、後醍醐天皇や義経に倣い、再起を願い誓う人が参拝するという。
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参道の紅葉

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神社と檜皮葺の書院(書院は日本最古の書院。世界遺産に登録されている)
書院には冒頭に記した歴史上の人物が住まいとし、或いは滞在した。
後醍醐天皇玉座、義経・静御前潜居の間、秀吉愛用の金屏風など残されている。
(著名人の和歌)
「身はたとえ南山の苔に埋まるとも魂魄は常に北闕の天を望まんと思う」後醍醐天皇辞世の句
「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」静御前
「年月を 心にかけし吉野山 花の盛りを今日みつるかな」豊臣秀吉

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吉水神社境内からの眺望。一目千本。桜の咲くころには吉野の山桜が一望できる。
今は桜の葉が散ってしまったが、モミジと桜の紅葉が一瞬重なる時期があるという。

参考:西行の和歌より
西行は奥吉野に庵を結び3年間、桜の園で暮らした。西行はいかに桜を愛したか、2首書き留めておきたい。「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」(辞世の歌)、「ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば 散る別れこそ悲しけれ」(新古今集)

by bonjinan | 2016-11-24 17:17 | 旅、散歩