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京都、六道珍皇寺

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)、通称「六道さん」を訪ねた。
古来より、現世と冥界の堺、六道への分岐点が、この寺の境内辺りと信じられてきた。
ディープな京都の歴史に触れられる。
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山門と「六道の辻」碑
六道の辻の名称は、当時この地が平安京の東の墓地であった鳥辺野に至る道筋にあり、この地で野辺送りされたこと、後述する小野篁が夜ごと本堂裏の井戸から冥府に通ったことなどから冥途への通路として世に広まっていったと考えられている。
謡曲「熊野(ゆや)」の清水詣では「愛宕(おたぎ)の寺もうち過ぎぬ、六道の辻とかや、げに恐ろしやこの道は、冥土に通ふものなるを」と謡われている。愛宕は地名で愛宕の寺とはかつて六波羅蜜寺付近で創建された現嵯峨野、愛宕念仏寺のこと。
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本堂と六道の辻中心付近に建つ三界萬霊供養塔
六道とは迷いある者が輪廻し続けるとされる地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道を指す。浄土教の基礎を創った源信の『往生要集』(985年)で示されている世界。お寺はお盆前の8月、精霊を迎える「六道まいり」(8月7~10日)で賑わう。
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迎え鐘:お盆にお精霊(おしょらいさん)を迎えるために撞くのでこの名称。
六道まいりには高野槙を購入。迎え鐘で迎えたお精霊さんが槙の葉に乗り移り、里帰りすると考えられている。紐を引き、鐘を撞くと、音響が冥途まで届くという。
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閻魔堂:小野篁(おのたかむら)作と伝わる閻魔大王と篁の木造が安置されている。
小野篁(802-853)は嵯峨天皇に仕えた官僚で武芸に秀で歌人としても知られる。
『百人一首』(11)に、遣唐副使を断り、隠岐に島流しされるときに詠んだ歌、「わたの原八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまのつり舟」(参議篁)がある。
高官ながら反骨精神旺盛で奇行が多く「野宰相」「野狂」とも呼ばれた。特記すべきは、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁に務めていたという奇怪な伝説。夜ごと六道珍皇寺裏庭の井戸から閻魔庁に入り、閻魔大王を補佐していたという。
『今昔物語』巻20第45話に「小野篁、情により西三条の大臣を助くる語」に、病死して閻魔庁に来た藤原良相を閻魔大王との間を執り成し蘇生させたという逸話が残る。
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本堂裏の「冥土通いの井戸」(裏には入れず)
篁はこの井戸から夜ごと地獄に降りて行ったという。なお出口は一般には嵯峨野の福生寺(廃寺)だったと言われている。

参考:六道珍皇寺ホームページほか近くに、六波羅密寺六道の辻地蔵尊建仁寺

小野篁のこと余談
千本ゑんま堂(引接寺:いんじょうじ):開基・小野篁、本尊・閻魔大王、場所も閻魔前町34番地「風祭り」(7/1~7/15):小野篁が風となって冥界と行き来したことに由来。ここでも「おしょらいさん」(8/7~15)が開かれる。
紫式部とのこと:千本ゑんま堂には小野篁の墓と隣り合わせに紫式部(生没年不詳)の墓がある。両者の墓がなぜ隣り合わせなのかは分かっていない。京都にはもう一つ、島津製作所紫野工場の一角に両者の墓がある。
by bonjinan | 2016-05-26 13:52 | 旅、散歩