「大江山いくのの道の遠ければ まだふみも見ず天橋立」(百人一首60、小式部内侍)
京都府ながら京都の町からは遠い感じのする天橋立。ようやく行ってきました。
天橋立は言わずと知れた日本三景の一つだが、日本三文殊の一つ智恩寺もある。

天橋立ビューランドから眺める天橋立。
龍が天に上る姿に見えることから「飛龍観」と名付けられている。
ちなみに北側の笠松公園からの眺めは一直線で「斜め一文字」、雪舟『天橋立図』(国宝)
の眺めは東側からで「雪舟観」と言われる。但し雪舟観は地上からは観ることができない
風景でかなり高い空中からでないと観られない鳥観図と言われている。

股のぞき、天地が逆転。これぞ名前の由来の元となる天界と下界を結ぶ梯子のように思えた。
ちなみに天橋立はその梯子が倒れてそのまま陸地になったものだという。
補足:雪舟『天橋立図』(国宝、京都国立博物館蔵)のこと
日本三景という語句が文献で最初に表れるのは貝原益軒『己巳紀行』(1689年)とされる。
だだこれより前に全国に天橋立の名を広めたのは雪舟(1420-1506?)とも言われる。
『天橋立図』(落款がないことでも知られる)を観ると観光スポットがパノラマ的に描かれ
ている。手前に天橋立の白砂青松、左側に文殊菩薩の智恩寺、右側に元伊勢・丹後一の宮
・籠(はこ)神社、山側に観音霊場・成相寺(なりあい)が描かれ一大霊場のようである。
一般の水墨画は実際の風景を抽象化し理想の風景として描かれるが『天橋立図』では実際
の風景を松一本から精緻に描いている点において独特であり、自然、霊場への敬意が感じら
れる。