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宇治・平等院

  何十年かぶりで宇治の街を散策しました。
  JR宇治駅→上林茶店→平等院→興聖寺→宇治神社→宇治上神社→源氏物語M→京阪宇治
  寒からず暑からずのんびり過ごせました。
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  平等院鳳凰堂
  まじかに拝む阿弥陀如来様はもちろん良いが池越しに拝むとまたありがたく思える。
  鳳凰堂は東向き、池越しに望む鳳凰堂、特に夕日の指す風景は西方浄土の様相。
  なお平等とは「仏の救済が平等ということを意味します」(平等院ホームページ)と
  のこと。今も修学旅行の定番スポットらしく学生がたくさん参観していた。
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  宇治川
  平安時代には宇治は貴族の別荘があった地。
  京都の町とは違ってプライベートな時間を過ごせる場所だったのだろう。
  平等院ももともとは藤原道長の別荘だったところを関白藤原頼道が寺に改めたもの。
  宇治川は『源氏物語』浮舟の舞台。作者・紫式部は道長の娘・一条天皇の后・彰子に
  仕えたこともあって宇治は縁ある地と言える。
  平安末期には、1180年、平家滅亡のきっかけとなる宇治平等院の戦い(平氏に反抗
  した以仁王、源頼政の討ち死に)、1184年には宇治川の戦い(源義仲軍と源頼朝か
  ら派遣された範頼、義経軍の戦い)があった。

(補足)平等院鳳凰堂建立の背景
6世紀頃の中国で起こった三時説(末法思想)によれば、釈迦滅後の500年間を仏教が正しく行われる「正法」時代、正法後の1000年間を仏法はあり修行者もいるが証(さとり)のない「像法」の時代、像法後の10000年間を仏法はあるが行も証もない「末法」の時代だとした。平等院が創建された1052年は丁度、末法元年と考えられていた。当時、天災人災が続いたこともあって末法思想が貴族、僧侶の心をとらえ、死後の極楽往生を願う浄土信仰が広く流行していた。鳳凰堂は西方極楽浄土での往生を強く願って翌1053年に建てられた。
by bonjinan | 2014-11-21 17:02 | 旅、散歩