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京都・養源院

京都、三十三間堂の東隣にある養源院を訪ねた。
浅井家、豊臣家、徳川家ゆかりの歴史ある寺院(詳細は付記に)。
春は桜、秋は紅葉。今、紅葉が深まってきた。
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養源院山門。場所は三十三間堂の東隣。     
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もみじの紅葉が始まった境内。
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徳川家の家紋が掲げられた養源院。
内部には血天井、俵屋宗達の出世作といわれる杉戸絵がみられる。(詳細は付記に)。

 ≪付記≫
(養源院の歴史)
養源院は豊臣秀吉の側室・淀殿(茶々)が父・浅井長政の追善供養のため秀吉に願って1595年に創建された寺院。寺名の養源院も長政の院号から採られた。1619年に火災で焼失するが、今度は淀殿の妹で徳川2代将軍・秀忠の正室・崇源院(江)の願いにより伏見城の遺構を移築して1621年に再建される。以後、3代将軍・家光、家光の妹・和子(後水尾天皇の中宮、後に東福門院)の庇護もあって徳川家の菩提所となった。
歴代将軍の位牌(2代・家光から15代・慶喜まで)が納められている。こうした歴史を振り返ってみると、浅井、豊臣、徳川の女性たちがつくった歴史ある寺院であることが分る。なお江戸時代には特別扱いの寺院で、一般人が参拝できるようになったのは明治になってからのことという。
(必見箇所)
①血天井:関ヶ原の戦いの直前、石田三成率いる豊臣方軍勢が大挙して伏見城に攻め入り、留守居役・鳥居元多忠ほか徳川方武将約380名が切腹。その血が染みこんだ板が天井板として組み込まれ、武将たちの冥福が祈られている。約400年も経ち鮮明ではないがそれと知れる。
②俵屋宗達作の杉戸絵:≪唐獅子≫、≪白象≫、宗達が大絵師として第一歩を踏み出す原点となった絵とされる。≪白象≫は客人を迎え、お送りする主の気持ちを表現するサプライズとされたという。
③寺紋:徳川家の家紋「葵」の紋が入った布が入口に掲げられている。ただし内部には皇室の紋「菊」、豊臣家の紋「桐」もみられる。養源院の再建者・崇源院(江)と夫の徳川秀忠の位牌には、葵、菊、桐の3つの紋が刻まれている。これら必見箇所についてはお寺様から丁寧に説明していただける。  以上
by bonjinan | 2014-11-23 14:06 | 旅、散歩