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紅葉@高山寺

  京都中心部とは違って、山深い三尾(栂尾、槇尾、高雄)では紅葉の真っ盛り。
  世界遺産にも登録されている栂尾山(とがのおさん)高山寺(こうざんじ)を訪ねた。
  広大な境内を歩き、石水院(国宝)では静かに紅葉を楽しませていただいた。
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   石水院縁側から望む紅葉。
   石水院は後鳥羽上皇の学問所を移し、明恵上人が住まいとした建物。
   ここでは≪鳥獣人物戯画≫、≪明恵上人樹上坐禅像≫(ともに国宝、複製品)も楽しめた。
   鳥獣戯画は「日本最初のアニメ」とも称される絵巻物。人間とは滑稽な動物である。

  (参考)
  ①明恵上人(1173-1232)の茶との関わり
   和歌山生れ。鎌倉時代前期に高山寺を再興。
   茶祖・栄西禅師(1141-1215)から贈られた茶の実を播き育てた。ここから宇治をはじ
   め全国に茶が普及したとされる。境内には茶園があり「日本最古之茶園」碑がある。

  ②明恵上人の言葉からみる思想
   「我は後世(ごせ)たすからんと云う者に非ず。ただ現世に、先づあるべきようにて
   あらんと云う者なり。」(栂尾明恵上人遺訓)
   古来、死についての考え方には二つある。一つは、死は来世への旅たちである。もう一つ
   は死はすべての終わりであるという考え方だ。宗教は一般に前者の考え方をするが、
   明恵は後者の考え方であった。自力本願の立場に立つ特異な宗教人であったと言える。

   ここで安易に自力本願という言葉を使ってしまいましたが、私見を述べます。
   自力本願とは自分の力だけを信じて他人の力に頼らないということではないと思います。
   先ずは自ら邪念を排し、自(おの)ずからの力、すなわち自然の大いなる力を信じそれを
   取り込むことによって元気を回復しよとすることであり、それが仏様の願いであり、見守
   っていてくださると信じてのことと考えます。
   一方、他力本願は南無阿弥陀仏を唱えることで、全ての人を救いたいとの阿弥陀如来様の
   願い(本願)に身をゆだねるということと思います。一般に表面上の意味だけを捉えて二
   項対立的に論じられることも多いのですが、このように考えれば、どちらも仏様の大きな
   力を信じることを基礎にしているということでは同じであるように思います。
   現に私たち一般人は人生の局面局面で、両者を使い分け困難を乗り切っていると思います。
   もし絶対的自力本願者だとすれば無神論者ということになります。明恵上人は今を大切に
   生きようと考えていた宗教者ということで良いのではないでしょうか。

  ③残された和歌
   「むらさきの 雲のうえへにぞ みをやどす 風にみだるる 藤をしたてて」
   (『明恵上人和歌集』)
   明恵は和歌にも長けていたといわれる。遁世の僧・西行(1118-1190)に似た歌である。
   「ねがはくは 花のしたにて 春しなん そのむらさきの もちつきのころ」
   (西行『山家集』)


  高山寺歴史等:高山寺ホームページ
by bonjinan | 2014-11-20 21:25 | 旅、散歩