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持つこと、あること

エーリッヒ・フロム、佐野哲郎訳『生きるということ』紀伊国屋書店(1984・9)を読んだ。私にとっては読んだというよりも読もうとした程度に過ぎないが、私なりきにフロム(Erich Fromm 1900-1980)の主張を書いてみようと思う。原書名は、”TO HAVE OR TO BE ?” 直訳すれば<持つべきか はたまた あるべきか>であり、人の生き方をこの二つの様式で区分し論じたものである。本書では両者の違いを説明するためにいろいろな側面から例示されているがここでは二つの詩を転記する。
まず<持つ>様式として、イギリスの詩人テニソン(1809-1892)の詩「ひび割れた壁に咲く花よ 私はお前を割れ目から摘み取る 私はお前をこのように、根ごと手に取る小さな花よ---もしも私に理解できたら お前が何であるのか、根ばかりでなく、お前のすべてを--- その時私は神が何か、人間が何かを知るだろう」テニソンは花に対する反作用として、根こそぎ摘み取り所有すること<持つ>ことを望んでいる。所有することでそれをばらばらに分解することが出来、自然を理解し、さらには神、人間の本性への洞察が深まるだろうと考える。結果として、<持つ>ことによって花は破懐される。と解説する。
次に<ある>様式として、芭蕉(1644-1694)の俳句「眼をこらして見ると なずなの咲いているのが見える 垣根のそばに!」(英訳を翻訳したもの)「よくみれば なずな花咲く 垣根かな」(日本語原文)。芭蕉の花への反応はまったく異なっている。彼は花を摘むこと<持つこと>を望まない。彼が望むのは見ることである。それもただ眺めるだけでなく、それと一体化すること、これと自分自身を<一にする>こと---そして花を活かすこと---であると<ある>の姿と解説する。
何となく<持つこと>と<あること>の生き方の違いが分かったような気になってくる。しかも私たち日本人には慣れ親しんだ芭蕉の句が引用されていることから、そんなことは分かっている。あるべき生き方は<持つ>ことに執着する生き方ではなく、<ある>状態での生き方に決まっていると思うかも知れないが、果たしてそんな生き方をしている人がいるのだろうか。特に社会を動かす地位が高い人ほど。財産、知識、社会的地位、権力など一切を放棄してしまえば、虫けら同然だ。できるだけ多く、しかも希少価値のあるものを<持つ>ことによってこそ自己の価値を高められるのだと思ってはいないだろうか。フロムは、限りなき<持つ>ことへの追求が社会を歪め問題を起している。<ある>という生き方は、現状のまま留まることが良いことだというわけではなく、何ものにも執着せず、何ものにも束縛されず、変化を恐れないことで、むしろ創造的成長が可能になるのだと説いている。本書は出版されてから長い時間が経つが生き方、あり方を考える上で今も新鮮である。生き方に限らず多くの問題、例えば尖閣問題などに対象を広げても、問題を解くヒントになるだろう。
補足1
先の二詩に続いて本書では、ゲーテ(1749-1832)の花を持ち帰って家の庭に植えることを詠った詩「見つけた花」を引用しているが、ここでは話を簡単に進めるため省略した。
補足2:語法の変化
過去2,3世紀のうちに西洋諸国の諸言語において名詞の使用が多くなり、動詞の使用が少なくなったという。例えば、私は考えてる→私は考えを持っている。私は欲する→私は欲望を持っている。・・・
本来、動詞は能動性、過程を表現するため、名詞は物を表すためにあり、この例は、能動性を名詞と結び付いた<持つ>という言葉で表現しており言語の誤用であるという。言われてみれば、私たちは、<持つ>という表現を知らず知らず多用していることが分かる。考えるという行動までもパーツ化されているということだ。
補足3
フロムの代表作といえば、『自由からの逃走』(1941年)。フロムはドイツ人がヒトラーの独裁を受入れ積極的に参加したかについて考察し「人間は自由になると孤独と不安を感じ、外部の権威などに依存して、精神の安定を求める」と考えた。(木原武一『大人のための世界の名著50』角川文庫 2014.2)『生きるということ』も『自由からの逃走』も現代人の深層心理を鋭く考察している。「持っていなければ安心できない」心理、「拘束されることによってむしろ安心する」心理を描いている。ここで思いつくのは多くの人が持つようになったスマートフォンのこと。現代人の孤独さの表れともみえる。情報を共有化することまでは良いが、それに飽き足らなくなったとき、また新たな問題が生じてくるのではないか。予想もしない集団心理が働いたり、偏狭なナショナリズムが急激に広がるなど、・・・・。いやそうではないという人もいる。競争社会ではなく人と人の関係性を重視するやさしい社会を求めている現われだという。そうだとするならばそれはそれで良いのであり新たな社会の方向性を若い人たちから提示して貰いたいと思う。
by bonjinan | 2013-12-15 12:58 | 読書