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室町時代の日明関係

橋本雄『なぜ、足利将軍家は中華皇帝に「朝貢」したのか』NHK出版(2013.3)
室町幕府三代将軍・足利義満は、天皇は外国でいう皇帝、国王と考えられていた中で、なぜ、中華皇帝に朝貢し、異国に臣下の礼をとり冊封を受けてまで国交を開いたのであろうか。最新の研究結果を踏まえて当時の状況が書かれている。本書の結論から言えば、当時、日明双方は大きな国内事情を抱えていた。これを乗り越える手段として国交回復が成ったとする。どのような国内事情を抱えていたのか。もう少し具体的にみてみると、明は倭寇対応、建文帝の即位をめぐるクーデター説などあり、それまでの国際秩序(中華思想に基づく華夷秩序、冊封体制、朝貢=勘合貿易)をより強固にすることで政治的基盤を強化したいと考えていたこと。これには遠交近攻的意味合いも込められていたと述べる。一方、室町幕府においては、不安定な財政を立て直し、経済的、文化的求心力を高めることによって、しばしば反旗をひるがえす守護勢力を手なずけ、幕府体制をより強化したいと考えていたこと。その方策として莫大な利益を生み出す勘合貿易が考えられていたと述べている。国交の動機はそれぞれ微妙に違っていたが、それぞれが抱える国内問題を解決する手段として国交回復に至ったとする。しかしそれにしても国交にあたり、なぜ蒙古襲来以降、神国思想が蔓延している中で、義満は日本国王を名乗れたのか。依然として疑問が残るのだが、著者は、そもそも中世日本において、日本国王として認定・冊封されること自体には余り政治的な意味はなかったとし、良く言われる皇位簒奪計画を否定している。その証拠に、義満は国内に向けては日本国王の称号を一切使用しなかったことをあげている。しかし義満のこと、明使接見儀礼においては、明との関係から明使と鄭重に接するとともに、参列者を昵懇者だけにとどめるなど内外に細心の注意を払っていたとも述べている。こうしてみてくると、義満は、外交にあっては正確な情報収集による時宜を得た交渉、体面を傷つけない交渉、内政にあっては予想される批判に対して細心の注意を払いつつ、したたかに財政の立て直しによる権力基盤の強化を進めていたことが分かる。現代における国際関係論からすれば内外不一致の政策ともとれるが、義満の外交力、政治力に加えて、日明間に大きな緊張関係がなかったことが幸いしたのだろう。ひるがえって現在の日中関係をみると、尖閣問題発生以降、国家主権の衝突という事態に陥ってしまった。ナショナリズムも絡み内外不一致の政策は採りにくい状況になっている。お互いの立場を尊重しつつ、静かに関係修復を図っていくしかないのかも知れない。
<関連する歴史年表>
蒙古襲来(1274、1281年)、明(1368-1644年)、建文帝(在位1398-1402)、義満(3代将軍在職1368-1394年)、1372年懐良親王への明使捕縛、1378年義満、室町に花の御所造営、1394年義満、太政大臣に、また同年辞任、1401年義満、第1回遣明船派遣、1402年永楽帝即位、義満、明使と接見、

関連Webサイト:NHKネットクラブ
by bonjinan | 2013-10-29 20:03 | 読書