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アラブ革命のゆくえ

2010年末にチュニジアでおきた民主化運動に端を発して、チュニジア、リビア、エジプトで独裁政権が崩壊し、アラブ諸国では「アラブ革命」、欧米では「アラブの春」と呼んだ。しかしその後の選挙で、エジプトではイスラーム主義政党が与党となったことでこれまた欧米で「イスラームの春」と呼ぶようになった。しかしイスラーム主義政党が政権を握ったとはいえ混乱が落ち着いたわけでもない。民主化をめぐる混乱はチュニジアでも再発している。アラブの人びとの考える民主主義はどのようなものなのだろうか。またどう考えたらよいのだろうか。臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』講談社現代新書(2013.1)を読んでみた。臼杵は著書の中で著名な学者の意見を紹介している。イギリスの歴史学者・エリック・ホブズボームは「今回のアラブ革命をヨーロッパにおける1848年革命に例え、革命を成し遂げた若者たちも自分たちの国に待ち構えている命運に強い不安を覚えていた。・・・あたかも失敗してしまったかにみえるが長期的にみれば成功したともいえる」。東大名誉教授・板垣雄三氏「新市民革命とも呼ぶべき、夜明けの虹のような、本格的な変化の前触なのです」。ジョン・オーウェン・ヴァージニア大学教授「19世紀のヨーロッパの自由主義と今日のアラブ世界のイスラーム主義は、ある世代の活動家により掘り進められ、その次の世代によって時として静かに開放し続けられてきた水路のようなものである。ヨーロッパであれ、中東であれ、革命の嵐が到来したとき、水はその水路を見出す。イスラーム主義が成功しているのは、それが今日のアラブの人びとの不満が流れ込む、もっとも深くて幅広い水路であるからである」。どうやらアラブの人びとが考える民主主義は、欧米人の考えるような国民主権を前提とした民主主義ではなく、神の主権を前提としての自由裁量範囲である世俗法や慣習法などをどう民主的に運営していくのか、いわばイスラーム的規律をもったイスラーム的民主主義をどう構築するのか汎イスラーム主義とも絡んだ新しい秩序を求めているのかも知れない。西欧諸国は国民国家の成立を経て欧州連合から欧州合衆国のようなものを模索しているが、アラブ諸国はうまく国民国家を形成しえなかった分、それをジャンプして新たな共同体を理想として動いているのかも知れない。その困難さゆえに、アラブの春はゆっくりゆっくり進んでいるとみるべきだろう。世界の平和、アジアの平和を考える上でもウォッチしていかなければならない出来事とも思える。
(注)1848年革命:ヨーロッパ各地で起こった革命で、2月にフランスで勃発した2月革命、翌月3月にはヨーロッパ各地に伝搬した。1948年の春に起こったことから「諸国民の春」と総称される。ナポレオン亡き後に構築されたウィーン体制を事実上崩壊させるものであった。
関連ブログ:2012.11.19”アラブの春、イスラムの春”

2015.5.18 中東の液状化現象
中東地域が液状化してきたと言われる。若者が民主化を求めたアラブの春以降、その政治的空白をぬってISIS、ISIL、IS(イスラーム国)が出現し、シーア派国民が約65%を占めるイラクが国家分裂を招きかねない事態となってきた。ISはザルカーウィーの指揮した組織が前進とされるが、ここに旧サダム・フセイン政権のスンナ派官僚・軍指導部の一部が協力しタクフィール主義(不信仰者と断定した相手を排除)を柱としたカリフ制国家(ムハンマドの没後、政治、宗教の両面で最高指導者とされる称号、バグダーディーがカリフと名乗っている。イスラーム諸国にカリフは長い間、存在しなかったが、イスラーム教徒の間では誰がカリフにふさわしいかは別としてその存在を否定する者はいないとされる)の形態をとっている。なぜここまで急速に成長してきたのだろうか。イラン革命(1979年)によてシーア派が多数を占めるイランにイラン型イスラーム共和制が樹立されたことが遠縁となり、現イラクにスンニ派を排除した共和制が敷かれていることへの不満が、これとは異なる体制確立を模索する動きを加速させたのだと言う。王政を採る湾岸諸国とイランの対立、米国のイランへの接近、サウジの不満などが加わり、中東はますます流動化しつつある。
参考:池内恵『イスラーム国の衝撃』文春新書など

2015.11.16 パリ同時多発テロ
13日夜、パリで起きた同時テロについて、フランス当局はパリ郊外を含む6か所でのテロ事件について「テロリストは3つのチームに分かれて連携して行動したとみられる」と述べた。(日経)
by bonjinan | 2013-02-20 09:29 | 文化・歴史