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聞き手責任

金田一真澄『身近なレトリックの世界を探る』慶応教養研究センター(2011.5)を読んだ。
この中に、池上嘉彦『「日本語論」への招待』講談社(2000)からの引用として面白い話が紹介されていた。「アメリカの日本語学者ハインズが、談話の際の話し手と聞き手の振る舞い方について、<話し手責任>と<聞き手責任>という区別を立てている。話し手の方に主な責任があるとするのが<話し手責任>、聞き手の方に主な責任があるとするのが、<聞き手責任>ということで、どちらに多く傾くかという観点から、言語社会を類型的に分けることができるというのである。この分類では、例えば英語は<話し手責任>、日本語は<聞き手責任>が優越するとされる。」また「「以心伝心」、「言わぬが花」の言葉があるように、全部を言う事はかえって失礼であり、ヤボである文化があり、また一方で、あとは察して欲しいという日本人的甘えもある」とある。確かにそうだ。言語学では、これを「黙説法」というのだそうで、究極の黙説法を用いた芸術形式が俳句だという。具体的シーンで点検してみたい。ビジネス界では、間違った解釈、理解は大きなトラブルのもとになるので、確認することは決して失礼でもない。中には、自分でも何を言いたいのかハッキリしていないにも拘わらず、しゃべる人がいる。聞き手の確認によってようやく言いたかったことスッキリしたなんていう人も結構いる。政治の世界ではこの黙説法が大流行している。最近の例では、野田首相の「それ以上でも以下でもない」。ご本人は得意になって使うのだが、これでは誰にも分からないから、あーでもない、こーでもないと解釈をめぐって時間を潰す。数学で考えれば以上でも以下でもなければ何も無いである。そうであるならば「今は何も考えていない」の方がすっきりする。野田首相に限らず日本ではどちらにもとれる発言をすることが老練な政治家と捉えられており、都合の悪い方にとられると言葉が足りなかったと逃げるのである。政治家は言葉を弄ぶ職業ではないはずだ。ということで、政治家の発言、公約は注意して聞けよということだ。

※ジョン・ハインズ(John Hinds , 1943-94)
ここでは話し手責任、聞き手責任としているが、書き手責任(writer-responsible language)、読み手責任(reader-responsible language)と言ってもまったく同じことである。
by bonjinan | 2012-10-29 15:38 | 読書