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時刻社会

現代社会はかくも時間を気にして動かなければならないのだろうか。
古東哲明『瞬間を生きる哲学』筑摩書房(2011.3)に時間にまつわる面白い話が書いてある。
「時間規律が励行されるようになったのは18世紀、産業革命によってだった。日本においてはこれよりかなり遅れ大正期の中頃(1920年前後)だという。それまでは「どき」程度の時間感覚だった。」例えば昼時(ひるどき)、お昼のころ程度のアバウトな感覚で世の中は動いていたのだが、近代産業社会が進展しタイムカードが導入されるとともに「時間厳守」が当たり前になってきた。今瞬間を空しく過ごしているだけなのではないか。そんな観点からせわしない現代社会を点検している。1秒1刻を問題視する現代社会をどう記述しているのだろうか、抜粋してみたい。「世界は『速度』に支配されている。より速く、より遠くへ走るように。それに拍車をかけるのが自由主義経済体制、つまり資本主義的産業構造である。その正体を『前望構造』(project)と看破したのは、G.バタイユだ。projectとは語義的には『前に(pro)+投げること(jacere)』。投機、生命保険、貯蓄利子、年金、株主配当にみられるように、資本主義経済システムは、未来の利得や成果をあてにし、いまこの時この場で味わえる悦びや成果はお預け式の経済構造である」と。ニヒルな物言いだが事実だ。企業が存続するためには適正な利潤をあげなければならない。しかし最近の企業活動は利益の極大化が目的化し本当は何をしたかったのさえ忘れさせるほどに将来の保険としての利益獲得に邁進している。見方を変えれば極めて禁欲的なのだ。これから時価主義会計が厳密に運用されるようになれば本業とは直接関係のない時々刻々変わる資産価値の変動にまで気を配らなくてはならなくなるだろう。未来のために今をもっと空しく過ごさなければならない。著者は瞬間を生きるか、生きないかの二者択一を迫っているわけではない。刹那的な生き方を推奨しているのでもない。今日この時を充実したものにするために瞬間瞬間をどう生きるかを考えてみて欲しいと言っているのだと思う。
参考:2011.1.31ブログ”セネカの言葉”
補足
江戸時代には「不定時法」といって、日の出と日の入りを基準に昼夜を等分した漠然とした時間単位で生活していた。例えば、寺子屋の授業、子供たちが同じ時刻に集まるわけではなかったので「一斉授業」にはなりえなかった。「個人授業」が基本形だったようだ。オランダなどの幼児教育をみるとまさにこの複式授業。これが本来の教育の姿なのかもしれない。一斉授業、すなわちベルトコンベア式の授業は時間を気にする近代の産業社会がもたらした形といえる。
by bonjinan | 2012-03-27 10:10 | 読書