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科学と技術の生い立ちからみた原子力発電

原発事故の深刻な状況が続いている。
村上陽一郎著『安全と安心の科学』集英社新書を参考にして、科学と技術の相違点という切り口から原発事故を考えてみた。村上によると「科学は一つ一つの科学者共同体の内部でほとんど自己完結的に営まれる知的活動だったと定義できます」と述べる。
では技術に関してはどうなのだろうか。「近代産業の立役者たち、エジソン、カーネギー、ボルズィッヒ、フォードは科学の知識があって成功を収めたわけではなくむしろ全く知らなかった」という。私流に技術の方を定義すると「技術は世の中に便利な物を送り出すための実験検証を経て得る経験の積み重ね活動」となる。科学とは生い立ちがまったく違う。近年、科学が産業に応用展開され産業が科学を必要とするにつれて工学という分野が確立し科学と技術は密接に関係しているが元々の性格は違うのだ。さてここからが本論となるが、最初に科学が産業に応用されたのは何か、村上は「原子力」だという。アインシュタインのE=M×(Cの2乗)公式も原子爆弾、原子力発電を意図し究明されたものではなかったことからもそう思える。結論を急ごう。生い立ちが違えば何が問題なのか。科学の「自己完結的」性格にある。「自己完結的」とは理論を理解できる人たちの世界観で完結している世界ということだ。これは人文科学系でも同じだ。〇〇学会などという大会にでてみれば良くわかることだが、素朴な疑問なのですがなどと素人が質問できる雰囲気ではないし質問したとしても馬鹿にされるか分り易い比喩でいなされてしまうだろう。基本は理論、説を理解できる人たちだけが好奇心をもって集う世界だからだ。しかしこれが科学分野の原風景だとしても社会に貢献できるとなれば昨今は喜んでその魅力ある可能性を説明してくれるだろう。問題はここから起こる。便利さの裏に危険が潜んでいるとしたならばどうであろう。利益が強調され危険は弱められるであろう。ましてや国家プロジェクトともなれば危険性を弱め有益性が誇張されたりもする。本質を知らない私などは原子炉は五重の壁の安全と言われればその気になってしまう。見事に裏切られてしまった。最後にもう一つ強調しておかねばならない。先に私流の技術の定義で述べたように技術は実験と評価の上に成り立っているものであり何度も何度も失敗を経験しているが、原子力発電は理論から始まったもので原理構造が簡単なるゆえに実験的検証が少ないまま巨大プロジェクトとして実用化されていることだ。失敗を繰り返すわけにはいかない原発。あらゆる事故を想定した準備が必要だったのだ。謙虚な姿勢が希薄だったことが悔やまれる。今は貴重な経験と考えるしかない。
参考:NHK原発関連ニュース(4/8震災の夜1号機燃料露出寸前)

(ふろく) 20世紀最大の理論物理学者と称されるアインシュタインがスイス特許局
に勤めていた時期に住んだベルン、クラム通りに面した家。
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by bonjinan | 2011-04-08 18:20 | 読書