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セネカの言葉(その2)

「セネカの言葉」の続きです。
皇帝ネロ(37-68)から莫大な財産を贈られローマ帝国の中で最大の財産家となり、外目には絶頂期
にあったセネカが考えていた「幸福な人生」とはどのようなものだったのか。
「幸福な人生」で多くの徳を掲げるが、簡潔に言えば「最高の善とは、偶然なるものを軽蔑し、自分の徳だけを喜ぶこころである」と説く。またこれを妨げる原因として「心がつねに外に向かい、外に依存し、外なる価値(人の評判とか賞賛とか、金のあるなしとか、美醜に誇ったり悩んだりすることとか)に気持ちを動かされて、それを激しく欲し、動揺しつづけること」をあげる。
表面的には禁欲のストア学派の学者だから言える言葉とも言えるが、始めから出世を約束され職に就いたわけでもなく、いつ殺害されるかも知れない当時の政治環境の中で生きてきた人物であることを思えば、体験を通して自然に発せられた言葉であったと考えた方が良いだろう。あるいは皇帝ネロの立身出世と失敗を見届けてきたからこそ言える言葉と言っても良いだろう。いづれにせよ己を信じ己を愛さないことには幸福は実感できないことはいつの時代でも同じである。一方で立身出世が災いし自己中になり人心が離れて孤立し孤独になることも良くあることである。
*「」内は中野孝次『ローマの哲人セネカの言葉』岩波書店より引用

2019.5.2  マルクス・アウレリウス『自省録』
ストア派の哲学を考える場合、ゲルマン人の侵入など不安定化した時代に生きた第16代ローマ皇帝、マルクス・アウレリウス(121-180)も忘れてはならない。セネカ同様「人間はいかに生きるべきか」の普遍的テーマについて深く洞察し自身の記録として『自省録』を残した。「100分de名著『自省録』」(NHKテレビで放送された)によると、「他者と共生する」「自分の内を見よ」「困難と向き合う」「今ここに生きる」と章分けされ解説されている。過去の回想に耽るでもなく、将来を案じる続けるでもなく、今ここに生きることの意味を改めて考えさせられる。
by bonjinan | 2011-02-02 13:59 | 読書