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清里の自然と開拓史

猛暑の東京を脱出して清里(山梨県北杜市)へ。
八ヶ岳山麓・清里の大自然を満喫し、戦前戦後を通して日本の復興のため全精力を注ぎ、「清里開拓の父」としても慕われる米国人"ポール・ラッュ"の足跡を知る旅になった。
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(八ヶ岳ビューポイントの一つ東沢大橋)
中央手前が手首山、その後ろが主峰・赤岳(2899m)。
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(ポール・ラッシュが建設した「清泉寮」)
「ポール・ラッシュ博士が日本聖徒アンデレ同胞会の指導者訓練キャンプとして清泉寮を建設したのは1938年のこと。戦後、日本の復興とキリスト教民主主義を紹介するためキープ協会が設立され、清泉寮も開拓の拠点として大きな役割を果たしてきました。初代の建物は焼失してしまいましたが、1957年に再建。その歴史を語るアンデレクロスは今も玄関にかざられています」(案内板より)
なお清泉の名前は敷地が当時の清里村と大泉村にまたがっていたことから両方の名前の一字が採られたことによるという。
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(清泉寮からみた富士山)
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(清泉寮からみた南アルプス)
清涼な高原(標高1400m)の空気をたっぷり吸い清泉寮名物ソフトクリームを味わってきました。
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<ポール・ラッシュ記念センターへ>
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(ポール・ラッシュ記念センター(一部、日本アメリカンフットボールの殿堂)
先ず眼に飛び込むのが"Do your best, and it must be first class.(最善を尽くせ、しかも一流であれ)"のメッセージ。ポールの最も尊敬した聖路加国際病院設立者でもあるトイスラー博士から伝授された思想で、この教えを忠実に守り清里を開拓し人々に希望を与え日米友好に尽力した。
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(ポール・ラッシュ(1897-1979)の足跡(抜粋)
1897年米国で生れる、1925年関東大震災で破壊した東京横浜YMCA会館再建のため来日、26年立教大学教授として残留、1927年日本聖徒アンデレ同胞会設立、28年聖路加国際病院建設のため米国で募金活動、34年アメフトを紹介、38年清泉寮を建設、45年GHQ将校として再来日、46年清里農村センター建設開始、57年清泉寮再建、63年清里農業学校開設、79年聖路加国際病院で逝去。元々はYMCA再建で帰国の予定だったそうですが、太平洋戦争時の強制送還を除いては日本に留まり、日本のため清里のため全精力を注いだことが知れる。
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(日本アメリカンフットボールの殿堂)
ポールがアメフトを日本に紹介した草創期から現在までの興隆を知ることができる。「アメリカンフットボールの父」ともいわれ、日本のアメフトの頂点を決めるライスボウルでは最優秀選手に「ポール・ラッシュ杯」が授与される。
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(記念センターに隣接したポール・ラッシュ邸の居間)
管理人さんから博士の人柄、GHQ時代には日本人の目線で戦後日本の望ましい姿を進言したこと、エリザベス・サンダースホームの設立者・沢田美喜(岩崎弥太郎の孫)との交流、天皇皇后両陛下が博士への敬意を表するためここにおいでになったことなどエピソードを聞かせて頂いた。
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(記念センターを取り囲む林)遊歩道も設けられている。

 
by bonjinan | 2010-07-21 13:42 | 旅、散歩