日米和親条約(1854年3月)第2条により、鎖国を解きわが国最初の開港地となった
下田。条約が結ばれるとペリー提督は艦隊をひきい開港地となった下田の調査と、
条約の細部を取り決めるため伊豆下田を訪れた。
その歴史的スポットを訪ねてみました。いずれも伊豆下田の代表的観光スポット。

遊覧船「黒船サスケハナ」:1853、1854年旗艦として日本に来航した蒸気外輪の
サスケハナを模したもの。煙突からでる黒い煙、兵装に驚いたのでしょう。
今は観光船として再現され吉田松陰が密航を試みた弁天島など下田港を遊覧。

ペリー艦隊来航記念碑:台座に添えられた錨はアメリカ海軍から贈られたもの。

ペリーロード:ペリー提督が下田条約締結のため了仙寺に向かって歩いたという。
洋風の窓やナマコ壁の建物も見られる。風情ある川沿いの道となっています。

了仙寺:日米和親条約の付録協定「下田条約」(1854年5月)が締結された寺。
了仙寺に掲げられている「調練の図」:欧米式規律を目の当たりにしたことでしょう。
了仙寺に残された1854年11月に押し寄せた大津波の痕跡
下田港から1km弱離れていても標高が幾らもないから大津波を前にしては為す術
がなかったのでしょう。
下田開国博物館:ナマコ壁(防火と美観を目的に平らな瓦を漆喰で固めた壁)で
覆われた資料館。ペリー来航時の航路(米ノーフォーク→大西洋→希望峰→インド洋
→シンガポール→日本)、当時の下田の様子を知ることができる。