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大山街道の歴史

江戸時代に江戸から現神奈川県を通って西に向かう主要街道には、東海道、中原街道(中原往還)、大山街道(矢倉沢往還)、甲州街道の4街道があった。この内の一つ大山街道(赤坂御門から箱根矢倉沢間の一部二子玉川~溝口間)の歴史を振り返ってみました。
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 川崎市大山街道ふるさと館:大山街道の歴史がまとめられ展示されています。
 昔の風景、生活の様子など展示され地域コミュニティーの場にもなっているようです。
 以下、往時の面影を残す歴史的遺産のウォッチングです。
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 道標:大山街道と高幡不動道(現府中街道)の交差点にあったもので、ふるさと館の前
 に移設されています。
 「是ヨリ北 高幡不動道、南 川崎道、西 大山道、右 青山道」と刻まれています。
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 二子橋:この橋ができたのは1925年のこと。それ迄は「二子の渡し」の渡し船で渡った。
 江戸時代には江戸庶民が三々五々「講」を組み「大山阿夫利神社」の「大山講」、富士山
 への「富士講」などでこの「二子の渡し」を渡った。
 「大山詣」の最盛期、江戸中期には年間約20万人も渡ったという。     
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 岡本かの子文学碑:かの子(1889-1939年)の子、岡本太郎作によるもので「誇り」と
 命名されています。「二子神社」境内にあります。
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 光明寺:矢倉沢往還が整えられた時、農民とともに移り、二子村の中心となった。
 なおこの辺りは「溝口・二子宿」でもあり、「時の鐘」が時を知らせたという。
 明治になり「二子学舎」として教育の場にもなった。
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 蔵造りの店(タナカヤ呉服店):明治時代に造られた「蔵造り」で釘を使っていない。
 出窓は「扇垂木造り(おうぎたるぎづくり)」といい当時としては贅沢な造りだそうです。
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 大山街道:右手に見えるのがタナカヤ呉服店。
 江戸時代には、この付近、人の往来だけでなく、巨大消費都市”江戸”を目前にして
 伊豆の乾魚、駿河の茶、秦野の煙草など集積され出荷調整もした。
 現代における物流センター的機能も果たしていた。
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 江戸時代の薬屋(灰吹屋):約200年前から続く薬屋さんだった。大山道では青山から
 ここまで薬屋が無かったそうで、たいへん繁盛したとのこと。建物は明治時代のもの。
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 溝口神社:溝口村の総鎮守。街道筋の神社仏閣は旅人にとってほっとする場所でもあ
 り観光スポットでもあったのだと思います。
 この神社、勝海舟筆の祭礼用の幟が社宝になっているという。
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 庚申塔:溝口駅の西の四つ角にあります。江戸時代、庚申塔は庚申信仰の盛んな江戸
 時代に建てられたものですが、道標(みちしるべ)でもあった。
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by bonjinan | 2010-01-31 11:21 | 旅、散歩 | Trackback
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