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日銀・貨幣博物館、東京証券取引所見学 sanpo

日本橋にはわが国で唯一紙幣を発行する「日本銀行」と世界三大証券市場の一角を担う
「東京証券取引所」があります。日本橋に出ましたので、日銀・金融研究所「貨幣博物館」、
「東証Arrows」を見学してきました。いずれも無料で見学できます。

【貨幣博物館】
日銀本店(かつて江戸幕府の金貨を独占的に製造した「金座」があった)の南側にある。
物品貨幣の時代から現代に至るまでの様々な貨幣が展示されています。
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   物品貨幣:矢じり、米、砂金など誰でも価値を認めるものがその役割を果たした。
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      貝貨:中国・殷、周時代に装飾品としても珍重された宝貝が貨幣だった。
      このためお金に関係した漢字には貝の付く漢字が多い。
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     コイン:708年に鋳造された「和同開珎」がわが国最初のお金と言われている。
     銀銭、銅銭がある。「わどうかいほう」とも「わどうかいちん」とも言われる。
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   金貨:写真は「天正長大判」で安土桃山から江戸初期にかけ鋳造された。
   豊臣家が金細工師の後藤家に鋳造させた10両金貨。
   現在の金の価値(1g約3,000円)で換算すると165g×品位75.7%×3,000円
   374,715円となる。
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 江戸時代の通貨:金、銀、銭貨がそれぞれ同時並行的に流通していた(三貨制度)。
 産金地域を抱えた東国を基盤とした徳川家康は、金貨(小判、二分金、一分金、二朱金、
 一朱金)を発行し銭貨による計数貨幣を流通させた。小判1枚の価値に対して順に1/2、1/4、
 1/8、1/16、小判=4分=16朱の関係であった。一方、銀の産地の多い関西では重さを単位と
 する秤量銀貨が流通した。金、銀、銭貨の交換では公定相場はあったものの、現在の円、ドル、
 ユーロの交換のように交換レートが日々変わった。その交換に当たったのが両替商だった。
 1両に対して時期、日により銀50~60匁、1文銭4,000~10,000枚だった。
 写真は金貨・小判1両を基準とした金、銀、銭(最小単位の1文銭)の等価表。
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   紙幣:1600年頃初めて紙幣「山田羽書」が流通するが、全国的には流通しなかった。
   写真は最初の日本銀行券。大黒様にねずみまで描かれている。
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   1億円(1万円札1万枚)の重さは? 約10㎏だそうです。
   歳はとってもお札の重みを感じたことはただの1回もありませんでしたが、知識だけは
   重たくなったような気になりました。

【東証Arrows】 
かつては株券売買立会場があり関係者で賑わっていましたが、今は全てがコンピュータ化
され中には管理業務を行う人たちだけになりました。昔に比べると寂しくなりました。
なお同所には証券歴史コーナーがありその歴史的変遷を知ることができる。
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09年の大納会にはプロゴルファーの石川遼選手がここで取引終了の鐘を鳴らし手締めを
した。
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動くものは電光掲示板、TOPIX(現在時価総額/1968年1月4日時価総額×100)と主要
銘柄100社の取引価格がめまぐるしく動いている。
ちなみに東証1部の時価総額は約313兆円。

(注)日本最初の貨幣
日本最初の貨幣は、15年位前までは「和同開珎」(和同元年、708年鋳造)とされてきたが、現在は「富本銭」が最初となっている。ただ富本銭がどの程度流通したかは分かっていなく、厭勝銭(えんしょうせん、呪い銭)だったという説もある。和同開珎については機内だけでなく東山道などの駅家(うまや)付近を中心に発見されておりそれなりに流通貨幣として使用されていたと考えられている。そういう意味では「和同開珎」の地位が完全に失墜したわけではない。
by bonjinan | 2010-01-07 15:29 | 旅、散歩