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武相荘@東京,町田

 白洲次郎(1902-1985)、神戸一中の同級・今日出海が評して「野人」*、正子夫人曰く「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」*という。白洲を振り返ってみよう。太平洋戦争敗戦直後、まだ大日本帝国憲法を基本とした国体護持が支配層の大勢を占める中、吉田茂(1878-1967)、外相、首相の右腕、黒子として、国際的視野から日本の採るべき進路、姿を冷静に見据え、日本国憲法草案に深く関わった。GHQ評して「従順ならざる唯一の日本人」*だったと云われる。昨今、日本国憲法草案をつくる過程を捉えてマッカーサーから押し付けられたものとの意見がある**。白洲は言っていた「新憲法のプリンシプルは立派なものである・・・・戦争放棄の条項はその圧巻である。押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではなかろうか」***と。厳しい交渉の当事者として万感の思いをもって述べたのでしょう。結果として、天皇制を国家統合の象徴として残したことで今日の日本の安定と繁栄に導いたことを重く受け留めたい。最近、NHKで白洲次郎が採り上げられている。日本の今後を考える機会としたい。
*武相荘のしおりより、**鶴見紘「白洲次郎の日本国憲法」光文社
***清水蒋大「男の品格Ⅱ白洲次郎名言集」コミック新書
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1943年、鶴川(現東京都町田市能ケ谷町)に移り住み「武相荘(ぶあいそう)」と名付けた。
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ケンブリッジ時代の親友ロビンから送られたというスコッチの樽
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学生時代はベントレーボーイ、80歳までポルシェを乗り回した根っからのオイリーボーイだった。
by bonjinan | 2009-02-22 17:57 | 文化・歴史