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ナンバー2、直江兼続

最近、NHK大河ドラマに歴史上では脇役だった人物が登場する。1億総中流と言われた時代とは異なり頂上に上り詰めた人物より親近感を感じるからだろう。直江兼続(1560-1619)もその一人、下級武士の長男として生まれるが、上杉謙信の姉、仙桃院の眼に留まり、その子、景勝(後、上杉景勝)の近習となり、終生、景勝に使える。殆どめぼしい戦績はないが、上杉家執事として不動の№2にのしあがって行く。豊臣秀吉の№2石田三成と盟友となることにより、後日、上杉家は家康を牽制する役割を受け会津に転封されるが、90から120万石に加増され豊臣政権の5大老に就任につながっていく。しかし三成が家康に倒されると、上杉家は米沢30万石に転封されることにもつながっていく。これも最上攻めからの的確な撤退判断があったればこそ上杉家は存続したとも評される。 その後、上杉家生き残りに尽力、これまた家康の№2といわれた本多正信とも接近、家族を犠牲にしての本多家との縁組、軍役の軽減などに奔走する。晩年、反家康判断の反省から、大阪冬の陣(1614)で景勝と共に見事な采配を振るう。最後は直江家断絶を判断し正真正銘№2の生涯を終える。 一般に、一兵卒から権力に近づき成り上がった者は、自分の才覚のなせる業と思い、特に部下に対しては傲慢になる。場合によっては主従関係を絶ち寝返ることもある。しかし明智光秀を引き合いに出すまでもなく№2は所詮トップをみトップの威光でのし上がった者、カリスマ性が備わっていないから、頂上に上り詰めた途端に組織は崩壊に向かっていく。№2であり続けることが美しいのです。 織田信長の家臣秀吉ですら、その天下はたったの10数年で終わっています。
by bonjinan | 2009-02-11 22:54 | 文化・歴史