人気ブログランキング |

AREKORE

bonjinan.exblog.jp
ブログトップ

新しい中世

中世(西欧)は一般に西ローマ帝国の滅亡(476年)から東ローマ帝国の滅亡(1453年)の時代をいう。初期(5~9世紀)はローマ帝国が崩壊しゲルマン人諸国が乱立、文化面では後退し暗黒時代*ともいわれる。盛期(10~13世紀)には土地の開墾と農業技術が進み、温暖化と相俟って人口が増加した。当時はイスラム諸国が先進地域でありスペイン、コルドバなど通じてラテン語に翻訳され広まっていた。後期(14から15世紀)は人口増による食料不足、寒冷化による飢餓の常態化、ペストの流行などで人口は1/3に減少した。またこれまで農業本位の封建領主は没落を余儀なくされていった。これが歴史的概観ですが、経済という面からみるとどうだったのか、07年に発売された水野さん**の著作の中から抜粋すると次の通り。「中世では1人当りGDPは概ねゼロ、貯蓄もゼロ、投資による生産増分もゼロの定常状態にあった。投資が教育、福祉、文化等ものをつくることのない投資であった。今でいう労働分配率も一定していたから貴族と農民の関係も恒常的関係にあった」 「現在の日本のドメステック企業の一人当たりの生産性は低下の一方、むしろ成長を目指すのではなく、新中世に入ったと考え、雇用を安定し定常状態で均衡させることが肝要だ」、「グローバル企業においては高成長を目標とすべし」として、二極から考える必要を説いている。歴史をこうした側面からみると面白いことは面白い。ただし成長ゼロでも人々は幸福であったのか、社会が安定していたのかについては言及されていない。当時は教会に納める十分の一税があり、国、封建領主を超えて聖界が俗界も支配していた。宗教が社会を安定させる大きな要素でもあったと思う。このことを抜きにして経済論だけから論じるのはどうかとは思うのだが・・・。
*暗黒時代は14~16世紀のルネサンス期に言われ出した表現のようだ。ルネサンスがギリシヤ、ローマ時代に生まれた芸術の復活再生にあったからこの間を何も良い事がなかった時代と表現したのであってかならずしも暗黒であった訳ではない。この時期、文化の中心は西欧というよりイスラム圏に移っていたのだ。そう考えるならば新しい中世に入ったというより世界の中心は移動しているのだと捉えた方が良いのかも知れない。 **水野和夫「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」日経新聞出版社

2018.2.21 資本主義下の現局面
市民講座で水野先生の講義を再び拝聴した。「利子率の長期的低下はマネーの需要縮小を意味する。資本が資本を生み出すのが資本主義とすれば資本主義の限界を意味した」「しかし一方で企業等が依然としてROEなど指標に利益の最大化を狙っている」「こうした現在の局面を先生はどう評しますか?」と質問してしまった。先生曰く「アベノミクスの三本の矢もそうだがドン・キホーテのようなものだ」と即座にお答えになった。こうした内容の答えるだろうとは想像していたが、ドン・キホーテを例に出されたところがシンプルで印象に残る。セルバンテス『ドン・キホーテ』(1605年、1615年)は、騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士が自らを騎士と任じ冒険の旅に出る物語である。騎士道物語を成長物語と置き換えてみれば分かり易い引用である。

2015.5.5 資本主義の終焉
水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』集英新書が売れているようだ。先日、水野氏の講演を拝聴した。講演は本書のタイトルと同じで内容も同じであった。以下、要点。資本主義=資本の自己増殖プロセス、自己増殖の成果を図る尺度=利潤率(利子率)=潜在成長率。従来の記録では17世紀初頭のイタリア・ジェノバの成長率は1%台前半。このころ中世地中海世界の資本主義が終わった。なぜ成長戦略がうまくいかないのか。超低金利の21世紀、資本が自己増殖するのは実物投資空間ではなく電子・金融空間しかなくなったから。ここでの成果を図る尺度は利子率ではなく株価となった。信頼、信義のメカニズムがなくなった。どうすべきか。近代システムを越えて、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」という。以上があらましである。
以下、感想。限りなき成長はありうるのか。もう限界にきているのではないか。こんな思いは最近、誰しも感じていることではある。個人個人の生き方の問題としては分かるが、経済論として成長なき社会は国際関係を含めてどのような社会で、今の社会よりより良い社会であるのかどうか納得できる論を立てた人はいない。水野氏にはこの観点からも論じて貰いたいものである。
by bonjinan | 2009-01-29 21:17 | 文化・歴史