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緑滴る行人坂界隈

  目黒、行人坂界隈を歩いた。喧噪の大都会にあってここは緑が多く静か。
  大円寺、ホテル雅叙園東京では江戸の雰囲気も感じられる。
  東京でも面白い場所だ。
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  行人坂。名前の由来は、湯殿山の行者が現大円寺を建て修行を始めたところ、
  次第に多くの行者(=行人)が集まり住むようになったからと言われる。
  権之助坂ができる前は江戸市中から目黒方面に行く主要道だった。
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  大円寺。1600年代前半に創建された寺院。
  1772年、江戸三大火の一つ行人坂火事の火元ともなった。
  3日も燃え続け目黒から浅草辺りまで延焼したという。
  境内には、520体からなる大円寺石仏群(都指定有形文化財)もある。
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  ホテル雅叙園東京の庭園。緑豊かな庭園は自然の風景のようでもある。
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  今日の目的だった同ホテル百段階段(都指定有形文化財)へ。
  1935年(昭和10年)に建てられ、昭和の竜宮城と言われた超豪華料亭の階段。
  崖に沿って建てられたもので、99段、坂道を上り下りするようである。
  階段にそって7部屋。部屋ごとに著名な画家が襖絵、天井画を手掛け趣が異なる。
  ここでは今、開かれている”和キルト展”を鑑賞した。
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  漁撨の間。江戸元禄時代に紛れ込んだような気分に。
  
  以上、緑を楽しみ、江戸の歴史を垣間見る面白い道筋でした。
  行きは行人坂経由だったが復路は雅叙園隣のオフィスビルのエスカレータを使って
  通称、ドレメ通りに上がった。
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# by bonjinan | 2018-06-09 12:51 | 旅、散歩 | Trackback

西陣織会館

 西陣街歩きで雨宿りを兼ね入ったのが西陣織会館。
 西陣織の世界を垣間見ることができました。
 まず西陣のことから、
 応仁の乱時に西軍(山名宗全側)が本陣を置いたことによる通称としての地名。
 東西陣営のおおよその境は現在の堀川通だった。会館の近くに山名宗全邸宅跡がある。
 西陣織のこと。
 京都の先染め織物の総称だが、応仁の乱後、西陣の地で大きく発展し、西陣織、あるいは西陣
 と言われるようになった。製作には5段階、15~20工程を経て完成する。
 国の「伝統工芸品」に指定されており、綴れ、経錦、緯錦、緞子など12種が指定されている。
 織り方により風合いがまったく異なることを知った。
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  手機(てばた)実演
  紋紙(もんがみ、縦糸制御のためのプログラムで穴の空いた紙)を用いジャガード
  (プログラムに従って縦糸を自動的に開口)を取り入れた手機(手足で動かす織機)を使っ
  て織り上げる様子を間近に見させていただいた。
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  きものショー。華麗なショーを約10分楽しませて頂いた。

  参考:西陣織会館ホームページ
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# by bonjinan | 2018-06-08 07:29 | 旅、散歩 | Trackback

京都、晴明神社

  西陣、晴明神社に参拝してきました。
  1007年、一条天皇の命により、晴明公の屋敷跡に建てられた神社。
  晴明公は平安時代中期に陰陽寮に勤務する天文陰陽博士だった。
  天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当て、朝廷を始め
  多くの人びとの信望を寄せられたと言う。近年、陰陽師が喧伝され広く知られるようになっ
  たこともあって神社は京都のパワースポットの一つとされている。修学旅行生にも人気。
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  晴明神社
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  本殿。提灯に神社の神紋である晴明桔梗印(五芒星)。手前に厄除け桃。
  晴明桔梗印は、陰陽道の基本概念である天地五行(木、火、土、金、水)を表すという。
  桃は古来、厄除けの果物とされる。立札に桃を撫で清々しい気持ちになってくださいとあり。 
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  安倍晴明公像。
  晴明(921-1005)の出自については、「孝元帝の皇子・大彦命の御後胤」(神社HP)とされ
  る。他方、「安倍文殊院」(奈良桜井市)では安倍仲麻呂と同じ同寺で出生したとし安倍晴
  明堂を建て祀っているなどで諸説あるようだ。諸説あるということは、そうであれば地元の
  誇りということであり、それだけ人気があった、また影響力があったということだろう。
  晴明の生きた時代のこと。藤原道長に代表される藤原北家の絶頂期だった。
  一条天皇の中宮・藤原道隆の子・定子と清少納言、同藤原道長の子・彰子と紫式部など、今
  でも多くの人に知られている有名人が活躍していた。
  
  参考:晴明神社ホームページ
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# by bonjinan | 2018-06-07 08:25 | 旅、散歩 | Trackback

京都、釘抜地蔵

  京都西陣、千本通りに面した釘抜地蔵尊を訪ねた。
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  正式には家隆山石像寺(しゃくぞうじ)。弘法大師空海によって819年に創建されたお寺。
  遣唐使として唐に渡った空海が持ち帰った石に、自ら地蔵菩薩を彫り、人々の苦しみを
  救い助けようと祈願されたという。昔「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれる時期もあったが、
  その後、手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘
  を抜いて救ったことから釘抜地蔵と言われるようになったという。
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  参道を進むと地蔵堂の前に大きな釘抜きのオブジェがある。
  地元の人びとが何かとお願いに来られるようで腰掛も用意されている。
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  地蔵堂の壁を埋め尽くす八寸釘と釘抜きを張り付けた絵馬。
  願いが叶ったお礼に奉納されたものという。
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  地蔵堂の裏には鎌倉時代の阿弥陀三尊石仏(重文)
  誰でも気軽に来れそうな祈りの場である。
  近くには平安時代の歌人・小野篁が開いた千本ゑんま堂もある。

  釘抜地蔵尊の場所:京都市上京区千本通上立売上ル花車町503
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# by bonjinan | 2018-06-05 15:24 | 旅、散歩 | Trackback

京都、千本釈迦堂

 京都西陣、千本釈迦堂大報恩寺を訪ねた。
 本堂建立に当っての阿亀(おかめ)の悲話で有名ですが、霊宝館でみる六観音像(定慶作)
 はとてもやさしいお姿で迎えてくれる。よく京都は庭園、奈良は仏様などと言われるが
 千本釈迦堂の諸仏を拝観すると必ずしもそうとは言えないことが分かる。
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  北野天満宮から花街の上七軒を通り、千本通に向かうと千本釈迦堂。  
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  本堂(国宝)
  今から約800年前、鎌倉初期の1227年に創建された京洛最古の建物。
  京都に多い雅な造りとは違って中世の雰囲気が漂う魅力的な建物である。
  本堂西側に霊宝館。六観音(聖、千手、十一面、馬頭、准胝、如意輪)像の他、
  十大弟子像(快慶作)など重文が安置されている。
  写真の左に見えるのは阿亀桜(枝垂桜)。  
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  本堂内部。本尊、釈迦如来像。
  近くの小学生が説明を受けたり、子供たちがお参りするなど地元に密着した雰囲気が良い。
  12月7~8日にの成道会には境内で「大根炊き」が行われ参詣者に振舞われる。
  本堂の柱には、応仁の乱当時の槍や刀の傷が残る。
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  おかめ塚とおかめ像
  おかめは本堂造営の棟梁だった夫のミス(大事な柱の切り誤り)を機転をきかせて枡組を
  提案し救ったが、そのことが世間に知れては夫の恥と自ら命を絶ったと伝わる。
  こうした苦労があってか、本堂は奇跡的に応仁の乱の災火を逃れ今日に至っている。
  お参りすると縁結び、子授けにご利益があるとされる。

  参考:千本釈迦堂大報恩寺ホームページ
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# by bonjinan | 2018-06-04 10:42 | 旅、散歩 | Trackback