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ウィーン、シュテファン寺院

 ウィーン旧市街のほぼ中央に位置し天を突くようにそびえる塔は街のシンボル的存在。
 王宮(ホフブルク)、オペラ座とも近い。すぐ傍にはモーツアルトハウス・ウィーンもある。
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 シュテファン寺院外観
 12世紀半ばにロマネスク様式の教会として建てられ14~16世紀に現在みるゴシック様式の
 大寺院になった。南塔は高さ137mで寺院のシンボル。
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 内陣、巨大な空間で身廊107mという。
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 エレベータで登れる北塔の上から見下ろす寺院前の広場(シュテファン広場)。
 広場はオペラ座に通じるケルントナー通り、ペスト記念碑のあるグラーベン通りとつながる。
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 モザイク模様の屋根瓦。この寺院を特徴づける一つ。
 ハプスブルク家の紋章、鷲が描かれている。反対側の屋根には双頭の鷲が描かれている。
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# by bonjinan | 2017-10-28 18:54 | 旅、散歩 | Trackback

ウィーン美術史博物館

美術史美術館ともいわれる美術史博物館(Kunsthistorisches)を訪ねた。
ハプスブルク家が収集した膨大なコレクションを収蔵するヨーロッパ屈指の博物館。
みどころは2階にある名画の数々、中でもフランドルの画家・ブリューゲルの作品の収蔵数は世界最多という。もう一つの特徴はネオ・ルネサンスと分類されている博物館の建築技術と建築美だ。
まず入館するなり圧倒された建築美から振り返ってみようと思う。 

 《建築美》
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 美術史博物館外観
 フランツ・ヨーゼフ1世の命により建設された博物館(1891年に完成)。
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 2階への階段の様子、圧倒される建築美である。
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 天井の中央が吹き抜けになっているドーム型天井(1階の天井)。
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 柱もない1階天井の上が見事なカフェになっているから更に驚かされる。

 《絵画鑑賞》
 数ある作品のなかからここでは有名な3点をピックアップしたい。
 2つは何といってもブリューゲル(父)の作品から。次にフェルメールの作品から。
 (同美術館はフラッシュ撮影は禁止だが通常撮影は可)。
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 ブリューゲル『バベルの塔 Turmbau von Babel』1563年
 旧約聖書の創世記にある伝説上の塔。人間の傲慢さに対する戒めと説明される塔。
 人間がそれぞれ勝手気ままに利益を追求しだし共同体が崩壊していく様を描いている。
 この絵を観ていると現代社会にも通じる警鐘と思える。
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 ブリューゲル『農民の婚礼』1568/69年
 農民画家と呼ばれるブリューゲルならではの作品。社会の下層に生きていた農民の、質素な
 しかも粗野なしぐさまでも忠実に描いている。しかしここには庶民への深い愛情が感じられる。
 ほか『謝肉祭と四旬節の喧嘩』『ゴルゴダの丘への行進』『雪中の狩人』など鑑賞。

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 フェルメール『絵画芸術(絵画の寓意、アレゴリー)』1665/66年頃
 ギリシャ神話に登場する女神クリオ(祝福する女の意)を登場させフェルメール自身と向き合う
 構図をとることで絵画という芸術への礼賛、画家という芸術職業への自負を寓意表現していると
 説明されている。手前のカーテンがアトリエの立体感を創りだし空気感まで伝わってくるようで
 ある。フェルメールは晩年の苦しい生活の中でもこの1枚を最期まで手放さなかったという。

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 子供たちが美術館で模写する様子
 立派な施設で最高の芸術に触れている風景をみるととてもうらやましい。
 この中から世界を魅了する画家、芸術で街を活気ずける人材が育ってくるのだろう。

(補足、ブリューゲルとハプスブルク家のこと)
ブリューゲルが活躍した時代は宗教改革が始まった後で教会からの絵画の注文が減り、フランドルでは風景、静物、風俗がテーマとなり市民が絵画を注文しだした時代、また諺や格言集が人気になった時代でもあった。ブリューゲル(1525年頃-69年)はこうした時代に当時の世相を深く観察し、諺を通して人間の本質、社会への警鐘を表現しようとした。表現技術を超えた気迫が感じられる。ただ分からないことがある。フランドル地方はハプスブルク家の影響下にあったとはいえ、なぜ上流階級が嗜好すると思われる上品な絵ではなく、いわば社会派の絵画、風俗画を描いたブリューゲルの絵をたくさん集めたのだろうか(16世紀のフランスアカデミーでは歴史画、宗教画、神話画、風俗画、風景画、静物画といった序列をつけていた)。約650年続いた同家の歴史をみれば同家は同家の立ち位置を常に検証し続けていたと安直な答えを出したくなるがほめ過ぎだろうか。

(補足、サリエラ)
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  ベンヴェヌート・チエッリーニ作『サリエラ』1540-43年
美術史美術館となるとどうしても絵画となるが素晴らしい工芸品も展示されている。その一つがサリエラ(イタリア語で塩とか胡椒入れ、ここではハプスブルク家の繁栄と切っても切れない塩と関係のある黄金の塩入れ)。フランス王・フランソワ1世の依頼によりフィレンツェ生まれの金細工師、彫刻家により製作されチロル大公・フェルナンド2世に贈られたもの(世界史的には15~18世紀半ばまでフランス王家とハプスブルク家は対立関係にあった筈。どのような経緯で贈られたのかは?)。
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# by bonjinan | 2017-10-28 14:30 | 文化・歴史 | Trackback

霧に包まれたシェーンブルン宮殿

 毎年、秋が深まるにつれ、朝方は霧が立ち込めるというウィーン。
 シェーンブルン宮殿も霧の中。
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 宮殿はハプスブルク王朝の夏の離宮
 17世紀、レオポルド1世(マリア・テレジアの祖父)の命によりベルサイユ宮殿を意識し建設に
 着手したが財政難から規模が縮小された。
 18世紀、女帝マリア・テレジアの時代に現在みるバロック様式の華麗な宮殿に改修された。
 6歳のモーツアルトが女帝の前で演奏し床で転んだ際、手を取ったマリー・アントアネットに
 「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったとの逸話が残る。
 1805,9年、ウイーンを占領したナポレオンが宿舎となった。
 1814年9月から翌年にかけ「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議が開かれた。
 ともあれ1815年にウィーン議定書が締結され、その後のヨーロッパの国際秩序(ウィーン体制)
 が定まった。その性格は革命前の絶対王政の体制に戻そうとするものだった。
 1918年、ハプスブルク家最後の皇帝カール1世が退位文書に署名、以後共和国のものとなった。
 ・・・など宮殿はハプスブルク家の華麗な世界であると同時に世界史の舞台ともなった。
 現在、所有は国だが運営は民営化され一部賃貸マンションともなっている。 
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 観光は館内だから問題ないけれど庭園の景色ももう少し見たかった。
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# by bonjinan | 2017-10-28 13:12 | 旅、散歩 | Trackback

街の風景 in ウィーン sanpo

 ウィーンの街の中心部を歩いてきました。
 オペラ座→旧王宮→コールマルクト通り→グラーベン通り(ペスト記念柱)→シュテファン寺院
 →ケルントナー通り→オペラ座。比較的狭いエリアなの街の風景をゆっくり楽しめました。
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 起点はオペラ座。
 近くにカフェ・ザッハー、モーツアルトなどあり。
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 ミヒャェル広場からみる旧王宮
 オペルリング側から王宮庭園経由で旧王宮に向かったのですが王宮は広く旧王宮の入口を探すの
 にひと苦労。今振り返ればオペラ座からミヒャエル広場に向かって真っすぐに進めば良かった。
 旧王宮のこと。13世紀後半から20世紀初頭までの約640年間、ハプスブルク家の歴代皇帝が居
 城としてきた宮殿。人気の観光スポット。特にエリザベート皇后(愛称シシィ)の部屋は人気。
 入場券購入の列に並ぶこと、中で人が進まなくなる箇所ができるなどと言われていたのですが 
 この時は団体客がいなかったせいかスンナリ入場、また館内を回ることができました。
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 グラーベン通りのペスト記念柱
 1679年ペストが猛威を振るい、その終息を記念して、レオポルド1世(マリアテレジアの祖父)
 によって建てられたもの。柱の最上部に三位一体像があり三位一体像とも呼ばれヨーロッパ各地
 にあるもの。グラーベン通りを進むとシュテファン寺院。
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 シュテファン寺院からオペラ座につながるケルントナー通り
 前出グラーベン通りと同様、ブランドショップが並ぶ通りで歩行者天国となっている。
 ウインドウショッピングしながらウィーンみやげを購入。
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 ウィーンの街でみる赤と白の旗
 ウィーン市観光局が定めた歴史的に意義ある建物に掲げられる。約200カ所あるという。
 写真のマルテーザ教会では今日、教会コンサートがあるようだ。
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# by bonjinan | 2017-10-28 10:45 | 旅、散歩 | Trackback

ブラチスラヴァ

 1993年にチェコとの連邦制を解消し主権国家となったスロヴァキアの首都がブラチスラヴァ。
チェコスロヴァキアになる前は、長い間ハプスブルク家支配のハンガリーの一都市として発展してきた。1536年、ハンガリー帝国の首都ブタがオスマントルコに攻め落とされた際にはハンガリーの首都となったこともあった。

《プラチスラヴァ城》
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 丘の上のプラチスラヴァ城
 ローマ時代の砦から始った城。最も栄えたのは18世紀のマリアテレジアの時代。
 居城とした時期もあった。19世紀には荒廃し復旧されたのは第2次世界大戦後となった。
 四角い建物の四隅に塔をもつ独特の外観で”ひっくり返したテーブル”などとも呼ばれるという。
 現在城内の一部は歴史博物館となっている。
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 城内にあるレストランから眺めるプラチスラヴァ城
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 プラチスラヴァ城から眺めるドナウ川

《旧市街》
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 ミハエル門
 かつて旧市街を囲む城壁にあった4つの門のうちの一つ。
 通りにはカフェやレストランが並ぶ。
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 聖マルティン教会
 1563~1830年まで歴代ハンガリー王の戴冠式が行われ。1741年にはマリア・テレジアが
 この教会で戴冠した。
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 旧市庁舎とフラヴァーネ広場がある。広場に面しては日本大使館がある。

 参考:市中心部の風景については別掲
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# by bonjinan | 2017-10-26 20:20 | 旅、散歩 | Trackback