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生理的最適、生態的最適

植物の世界を長年研究されてきた宮脇先生の著書*に面白いことが書かれていた。
植物を単植栽培すると湿りすぎず乾きすぎない場所で最大の成長を示すことは容易に想像できるが、混植すると乾いたところでも最大の成長を示す場合があるという。競争相手のいない場所での成長力と競争相手がいて好立地からはじかれた場所での成長力のどちらが本来の姿と考えるべきか、ある学者が考え、前者を生理的な最適域、後者を生態的な最適域と呼んだそうです。このように地球上のすべての植物は、自然状態にあるので種の生理的最適条件から少しずらされ、少しきびしく、少し我慢を強要されて生育しているのだという。またゴルフ場の芝を調べたところ、ラフで100%芝にみえるところでも20~30%は芝と同じ生活形をもっていて成長点が地際にある草が共存しているとのこと。若し雑草を全部抜き取ってしまうと虫の襲来で全滅することがあるという。こうしてみてくると、我々個人も企業も希望としては生理的最適を望みたいところだがそうはいかない。恵まれてそれが可能だったとしても環境が変れば一気に適応できなくなってしまう。少々不満はあっても居場所を見つけたらそこで成長していくことを考えた方がよさそうである。 
*引用:宮脇昭 『緑回復の処方箋』 朝日選書(1991.6)
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# by bonjinan | 2009-02-09 21:48 | 読書 | Trackback

三方よし

今日NTVの番組で、年末の今年の漢字でも有名な清水寺の森貫主と長島一茂氏の対談の中で、森貫主から”三方よし”のお言葉があった。何か”変”になっている昨今を評するに、真に言いえて妙なるお言葉でした。
三方よしの原典は近江商人(麻布商)だった中村治兵衛宗岸が養嗣子への書置きの中の一節から来ていると言われ、近江商人の心得、今風には経営理念として伝えられている。「売り手よし、買い手よし、世間よし」は正に不況に悩む経営関係者に、ビジネスを原点から見直してくださいと言っているようです。 売り手よしは適正な利潤取得により企業が存続し得ること、買い手よしは顧客満足を得ること、世間よしは企業の社会的責任を果たすことと考えることができ、経営の普遍的要件を包含しています。バブル景気に浮かれいる時は、知らず知らず利益の最高記録が最大の目標となり、顧客満足も社会的責任も軽く考えていたのです。 しかし減益になるとまた増収総益が最大課題になってしまいます。いつになっても自分中心に考えているだけになっているのです。現在、市場原理主義そのものに内臓する問題点も指摘されるようになっています。社会的責任をもっと広く捉え、本当にビジネスそのものが世の中の役に立っているのかどうか、改めて点検する時期になっている。 
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# by bonjinan | 2009-02-08 00:07 | 企業・起業 | Trackback

照葉樹の島、鎮守の森

かなり前のことになるが、長年に亘り植生を調査研究されてきた横浜国大の宮脇昭先生のお話をお聴
きする機会があった。日本の常緑広葉樹林*の主木は”シイ、タブ、カシこれだけは覚えておいてください”と仰られたこのをよく覚えている。植生は気候、土壌、植物同士の葛藤、人間生活などの影響を受け次第に変化している。しかし鎮守の森、お寺の森は、自然をも神とする日本人の宗教観から昔のままで残っている。近年、都市化が進み、元々生きていた樹木がどのようなものか分からなくなってきているが、散在する鎮守の森を調べると、主木はシイ、タブ、カシの種であることが判るという。どんな木か分かっていたつもりではあったが、意識してはみていなかった。幸いなことに最近では美観風致維持の観点から該当する樹木に保存樹木と表示してある。散歩を兼ね近くの神社に行った。タブ、カシの木はあったがシイの木はなかった。近所では同類のクスの木が公園などにも植えられ多いことも知った。この散歩で、どれがタブ、カシの木なのか改めて確認するとともに年中常緑の木あってこその神社仏閣であり、日本人の精神文化は自然とともにあることを改めて感じる。
*常緑広葉樹の内、葉が大きく光っている種類を照葉樹、オリーブなど葉が小さく硬い葉をつけた種類を硬葉樹という。前者は北東アジア、後者は地中海地帯に分布。
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                鎮守の森
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                保存樹林表示
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                タブの木
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                シラカシの木
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# by bonjinan | 2009-02-07 20:36 | 文化・歴史 | Trackback

西欧中世と現代日本

中世(西欧)は一般に西ローマ帝国の滅亡(476年)から東ローマ帝国の滅亡(1453年)の時代をいう。初期(5~9世紀)はローマ帝国が崩壊しゲルマン人諸国が乱立、文化面では後退し暗黒時代*ともいわれる。盛期(10~13世紀)には土地の開墾と農業技術が進み、温暖化と相俟って人口が増加した。当時はイスラム諸国が先進地域でありスペイン、コルドバなど通じてラテン語に翻訳され広まっていた。後期(14から15世紀)は人口増による食料不足、寒冷化による飢餓の常態化、ペストの流行などで人口は1/3に減少した。またこれまで農業本位の封建領主は没落を余儀なくされていった。これが歴史的概観ですが、経済という面からみるとどうだったのか、07年に発売された水野さん**の著作の中から抜粋すると次の通り。「中世では1人当りGDPは概ねゼロ、貯蓄もゼロ、投資による生産増分もゼロの定常状態にあった。投資が教育、福祉、文化等ものをつくることのない投資であった。今でいう労働分配率も一定していたから貴族と農民の関係も恒常的関係にあった」 「現在の日本のドメステック企業の一人当たりの生産性は低下の一方、むしろ成長を目指すのではなく、新中世に入ったと考え、雇用を安定し定常状態で均衡させることが肝要だ」、「グローバル企業においては高成長を目標とすべし」として、二極から考える必要を説いている。歴史をこうした側面からみると面白いことは面白い。ただし成長ゼロでも人々は幸福であったのか、社会が安定していたのかについては言及されていない。当時は教会に納める十分の一税があり、国、封建領主を超えて聖界が俗界も支配していた。宗教が社会を安定させる大きな要素でもあったと思う。このことを抜きにして経済論だけから論じるのはどうかとは思うのだが・・・。
*暗黒時代は14~16世紀のルネサンス期に言われ出した表現のようだ。ルネサンスがギリシヤ、ローマ時代に生まれた芸術の復活再生にあったからこの間を何も良い事がなかった時代と表現したのであってかならずしも暗黒であった訳ではない。この時期、文化の中心は西欧というよりイスラム圏に移っていたのだ。そう考えるならば新しい中世に入ったというより世界の中心は移動しているのだと捉えた方が良いのかも知れない。 **水野和夫「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」日経新聞出版社

2015.5.5 資本主義の終焉
水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』集英新書が売れているようだ。先日、水野氏の講演を拝聴した。講演は本書のタイトルと同じで内容も同じであった。以下、要点。資本主義=資本の自己増殖プロセス、自己増殖の成果を図る尺度=利潤率(利子率)=潜在成長率。従来の記録では17世紀初頭のイタリア・ジェノバの成長率は1%台前半。このころ中世地中海世界の資本主義が終わった。なぜ成長戦略がうまくいかないのか。超低金利の21世紀、資本が自己増殖するのは実物投資空間ではなく電子・金融空間しかなくなったから。ここでの成果を図る尺度は利子率ではなく株価となった。信頼、信義のメカニズムがなくなった。どうすべきか。近代システムを越えて、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」という。以上があらましである。
以下、感想。限りなき成長はありうるのか。もう限界にきているのではないか。こんな思いは最近、誰しも感じていることではある。個人個人の生き方の問題としては分かるが、経済論として成長なき社会は国際関係を含めてどのような社会で、今の社会よりより良い社会であるのかどうか納得できる論を立てた人はいない。水野氏にはこの観点からも論じて貰いたいものである。
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# by bonjinan | 2009-01-29 21:17 | 文化・歴史 | Trackback

禅 ZEN

先週、中村勘太郎主演の映画「ZEN」を観る。
曹洞宗を開いた道元の生涯を画くものであった。道元の言う「只管打坐(しかんだざ)」*
ひたすら坐禅することにより妙法(森羅万象を貫く宇宙、己の心身の原理)体現できる
とする。鎌倉時代、混乱の中で民衆が行き場を失っていた時代に、民衆をこころの面か
ら救おうと必死であった道元の姿をみると、行動家でもあったことに感銘を覚えた。
私も会社の新入社員教育として円覚寺で、中堅社員教育で最乗寺で坐禅しているが、
凡夫の私にはただ形ばかりの経験であった。大宗教家の思想を簡単に頭で理解できる
はずもなく、今は、「こだわりを捨てゆっくり生きること」**位に考えている。
*栗田勇「道元の読み方」祥伝社、**境野勝悟「道元「禅」の言葉」三笠書房
 
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                    横浜・総持寺 磨かれた廊下
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# by bonjinan | 2009-01-24 12:10 | 文化・歴史 | Trackback

バブルの物語

ジョン・K・ガルブレイス著「バブルの物語」(日本語訳本)ダイヤモンド社(2008.12)が発売されている。1991年に発売された初版をほとんど訂正することなく復刊されたものとのこと。
今読んでもとても18年前の著作とは思えないほど金融バブルとその本質を鮮やかに描いている。
「陶酔的熱病(ユーフォリア)=金融バブル」は繰り返し起こる現象であり、それにとりつかれた個人、企業、経済界全体を危険にさらすものだ。予防の働きをする規制は明らかな形では全く存在しえないのであって、個人的、公的な警戒心を持つこと以外に予防策はない・・・・」。
その本質の第一として、「金融に関する記憶は極度に短いということである。その結果、金融上の大失態があってもすばやく忘れさられてしまう。またさらにその結果として、ほとんど同一ないし同様な状況が再現する」と述べている。事実、01年ITバブルの崩壊からいくらも経っていない内に、今回のバブル崩壊はおきている。第二の本質として、「金と知性とが一見密接に結びついているかのように思われていることである。あらゆる自由企業性的な態度においては、個人が所有もしくは関係する所得とか資産とかいう形での金が多ければ多いほど、彼の頭脳の働きは機敏で鋭い、と考える強い傾向がある。金こそ資本主義的成功の尺度である。金が多いほど成功の度合いも大であり知性もすぐれている、というわけだ」と述べる。本項もその通りだと思う。金融を語るエコノミストの番組も多くの人がみる。頭の良い人はどう考えているんだろうかと。また儲けた人はいかにも世の中の動きを的確に掴み先取りしたんだと自慢話として語る。しかし損すると何も語らず、失敗の原因は闇の中に葬られる。今、バブル崩壊の影響が深刻になっている。しかし次のバブルの芽はどこかででている。またそれが経済回復のトリガーになることもある。資本主義は歴史的にも否定できないしくみではあるが、こうした病根も持っています。病根を徹底的に追求し制限すると資本主義の自己否定になるからまた誰もそこまでは追求しない。バブルは繰り返すだろう。しかし世の中に有用なものを生み出すこと、提供することがあくまでも基軸でなくてはならない。
メモ:John Kenneth Galbraith(1908-2006)、カナダ生まれ。
カルフォルニア大学バークレー校にて経済学博士号取得、ハーバード大学教授、アメリカ経済学界会長など歴任。
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# by bonjinan | 2009-01-24 09:16 | 読書 | Trackback

オバマ大統領就任

 09年1月20日、バラク・オバマ氏が第44代米大統領に就任した。米国の現状について、危機に瀕していること、戦時下にあること、経済がひどく衰弱しているとの認識を示した上で、元気を出しアメリカを再生しようと訴えた。また、今、新たな責任の時代と認識し、一人ひとりの米国人が自分たち自身と国、世界に対する責任があると述べた。それにしても就任式には200万人が参加したと報じられている。あれだけ貧富の差がありながらも国民の85%が支持しているという。驚きだ。単純と言えばそれまでだが、いろいろな事情があるにせよ未来の可能性を信じられるとは羨ましい限りである。わが国もその動きを注視するだけでなく、世界にメーセージを発信できる国になりたいもの。

就任演説から抜粋*
①"Starting today,we must pick ourselves up,dust ourselves off,and
begin again the work of remarking America."
私たちは今日から、自らを奮い立たせ、ほこりを払い落として、アメリカを再生する仕事
を、もう一度始めなければならない。
②"We will begin to responsibly leave Iraq to its peopele"
私たちは、責任ある形でイラクをその国民の手に委ねる過程を開始する。
③What is required of us now is a new era of responsibility"
今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。
*2009年1月24日 朝日新聞より
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# by bonjinan | 2009-01-21 19:56 | 政治・経済 | Trackback