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<   2009年 10月 ( 24 )   > この月の画像一覧

レオナルド・ダ・ヴィンチ像@ミラノ

  ミラノ、レオナルド・ダ・ヴィンチといえばサンタ・マリア・デレ・グラッツイエ教会
  の『最後の晩餐』となるが、今回は時間なく断念。
  スカラ広場(スカラ座前、ガレリアの横)にある銅像でとりあえず我慢することに。
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  万能の人、レオナルド・ダ・ヴィンチ像。
  周囲の像は弟子たちとのこと。
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by bonjinan | 2009-10-30 20:30 | 旅、散歩 | Trackback

ミラノ散策

イタリアの旅、最後の街となったミラノ。イタリア経済を牽引しファッションの発信基地としてミラネーゼが闊歩する街をたっぷり味わおうと思っていましたが、買い物に気をとられて写真は僅か。
一応ミラノの歴史から概観します。歴史舞台に登場するのはコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認する「ミラノ勅令」を発布した4世紀。その後は北方東方からの襲撃を受け不安定な時代もあるが12世紀近隣自治都市とロンバルディア同盟を結び自治権を確固たるものとし経済的にも発展。14世紀末からはミラノ公国として黄金時代を迎える。支配したヴェイスコンティ家、スフォルツア家とも芸術を振興し芸術家・建築家を招いた。結果としてダ・ヴィンチの「最後の晩餐」などの名作が残された。1796年からはナポレンの支配下となる。軍の被服など供給したことから繊維産業発展の基盤となった。現代におけるファッションの街の異名もこうした背景に基づく。こうしてみてくるとその時代時代に残すべきものを残し、新たな時代にしたたかに備えてきた街のように思えます。街の規模が膨れ上がったのはここ200年位の間だという。他のイタリアの都市と比較して、コンクリートの建物、最近、高層ビルが目立つ。ビジネスの街だ。
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ドゥオモ:1386年から何と500年を費やして完成したという。後期ゴシック建築の代表
作。外装には2245体の聖者像、135本の小尖塔が立つ。白亜の殿堂。
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ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世:ドゥオモ広場からみたアーケード。
イタリア再統一を記念して統一イタリア初代国王の名をとり1865~1877年に造られた。
巨大かつ豪華、中の十字路にはかかとで回ると幸運が訪れるという雄牛のモザイクがある。
観光客のみならず地元っ子も回るのでへこんでいる。
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夕暮れのドゥオモ広場:電光掲示板にサッカーの画面。ここはセリエA、ACミラン、
インテルの本拠地でした。
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住宅街の出勤風景:ミラノはビジネスの町。朝7時台とはいえバルBARも開いています。
エスプレッソを飲んで気合を入れて出勤。風景は違ってもここでは日本と同じだ。
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by bonjinan | 2009-10-30 19:06 | 旅、散歩 | Trackback

ヴェローナ市街散策

古くから交通の要衝として栄え、ローマ時代には北方、東方の属州への連絡拠点として、14世紀にはスカラ家の支配のもと黄金時代を築いてきた。その後、ヴェネツィアの支配下に入り、ナポレオンの支配も経て今日に至っている。驚くことは、こうした歴史の変遷を経ながらも各時代の歴史遺産が一つのモザイク画のように調和して美しい街になっていることであり、むしろ今日において輝いていること。街路は近くで採れる大理石で敷き詰められ、時にアンモナイトなどの化石もみられる。ともすれば暗いイメージの中世の街もここでは明るく清潔だ。観れば観るほど記録に留めたい街ですが、エルベ広場、シニョーリ広場、ジュリエッタの家、プラ広場を中心に歩いてみます。

<エルベ広場の風景>
古代ローマ時代から公共広場(フォロ)があった。エルベとは野菜を意味し昔は野菜だけが
売られていたというが、今は野菜だけでなく観光土産なども売られている。
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手前マドンナの噴水(14世紀)、後方左ガルデッロ塔(14世紀)
その右マッフェイ宮殿(17世紀)バッロック様式の建物。右はマザンティの家。
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マザンティの家のフレスコ画。神話の世界を描いたもので損傷しているとは言えとても美しい。
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広場の名称の由来ともなっている野菜売り場。新鮮な野菜がたくさんならんでいる。
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この広場、古代ローマ時代には地下3.5mのところにあったという。こうして分るようにして
いるところも歴史を大切にしているこの街の伝統がうかがえます。

<シニヨーリ広場の風景>
エルベ広場から出ると直ぐ隣がシニヨーリ広場、かつてベローナの政治の中心であった。
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ラジオーネ館とランベルティの塔(12世紀)、石とレンガで造られたロマネスク様式の建物。
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カングランデ館(13世紀)、スカラ家の館で今は県庁舎。14世紀にはダンテも滞在したという。
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ダンテの像(19世紀)、ルネサンス期の偉大なる詩人ダンテがフィレンツェを追放された
後、このヴェローナに留まり「神曲」を書き上げたという。
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シニーリョ広場から出るとスカラ家の霊廟とサンタマリア・アンティカ教会(12世紀)

<ジュリエッタの家>
エルベ広場の直ぐ近くにシェイクスピアの悲劇「ロメオとジュリエット」の主人公ジュリエット
のモデルといわれるカプレーティ家の娘の家がある。
1302年、モンテッキ家とカプレーティ家の政治的対立の中で起きた若い男女の物語を題
材に戯曲化したもので若い人たちにはヴェローナを代表するスポットになっている。
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この窓からジュリエッタは身を乗り出していたのでしょうか。
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ジュリエッタはこんな人だったのでしょうか。ファンがなでて光っています。
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入口には恋の成就を願って張り紙がたくさん貼ってあります。

戯曲「ロメオとジュリエット」プロローグより
花の都のヴェローナに、勢威をきそう二名門、古き恨みがいまもまた、人々の手を血にぞ
染む。かかる仇より生まれたる 不幸な星の恋人よ。
あわれふたりはその死もて 親の不和をも埋めたり。・・・・・・

<プラ広場の風景>
アレーナ中心に広大な広場の回りには中世の建物、公園が隣接している。観光客だけで
はなく今もヴェローナ市民の憩いの場所になっている。
古代が今も輝くヴェローナならではです。
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巨大なアレーナ、BC1世紀に建てられた円形劇場(長径152m、短径128m、高さ30m)
で、ローマのコロッセオに次ぐ規模。約2万2千人を収容できるという。
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今もアレーナでは歌劇が公演されており、世界各国から観劇に訪れるという。
参考:開催予定などwww.arena.it

<ブランドショップ街>
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古い町並みばかりと思えば新しい時代感覚の街並みにも変身している。
大理石の敷石には時折、アンモナイトの化石もみることができる。
歴史を捨てた町ではないのだ。素晴らしい町だ。
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by bonjinan | 2009-10-28 11:52 | 旅、散歩 | Trackback

世界遺産 ヴェネツィアの風景 sanpo

アドリア海の根元に位置するヴェネト州の州都ヴェネツィア。
452年、西ローマ帝国が崩壊した際、本土から移住した人たちが形成した都市国家。
12世紀以降、東西貿易の中継地として膨大な富を築き、1204年には十字軍と組んで
コンスタンチノプールを征服した。150の運河、400以上の橋、117の島からなり、
今は風光明媚な海上観光都市となっている。サンマルコ広場を中心に時間の流れを忘
れさせる極上の開放的空間が広がっている。
先ず鐘楼から眺めたヴェネツィアの風景3景から
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 サンマルコ広場とサン・マルコ大聖堂、聖堂は828年アレキサンドリアから運ばれた聖
 マルコの遺骸を安置する礼拝堂を建てたのが起源だが、976年に焼失。
 ヴェネツィア共和国の威信を示すため1063年から400年をかけ再建された。
 内部は当時の財力を物語るかのように贅を尽くした金色のモザイク張り。
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            左に旧行政館、中央に鐘楼、右にドゥカレ宮
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           ドゥカレ宮からみたサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
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         ゴンドラからみたドゥカレ宮と石楼をつなぐ「溜息の橋」(工事中)
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            ここではゴンドラが交通機関、時には大渋滞もあり。
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       小路に入ると買い物天国、カーニバルになると街中がお祭りだという。
           
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by bonjinan | 2009-10-26 21:58 | 旅、散歩 | Trackback

フィレンツェ歴史地区

14世紀頃から始まったルネッサンス芸術の中心に位置したフィレンツェには街のあちこちに歴史的遺産が点在し今も中世の香りを漂わせている。「花の聖母教会」という美しい名を持つフィレンツェのシンボル、ドゥオモを中心に歩いた。
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ミケランジェロ広場から見たフィレンツェの街並み:左からアルノ川とヴェッキオ橋、ヴェッキオ宮殿の塔(現市役所)、ドゥオモ、サンタ・クローチェ教会がみえる。
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左手前からサン・ジョヴァンニ礼拝堂、ドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の大聖堂、ドーム、ジョットの鐘楼が。近づくごとにドゥオモの巨大さに圧倒される。
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ドゥオモ正面、ファサード(壁飾り)には聖母マリアと12使徒が彫られ、幾何学的デザインはイタリアの国旗の色、赤・白・緑の大理石で彩られている。
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八角形の赤色クーポラはまさに巨大、高さ91m、階段463段を有する。1296年に建設を開始したものの建築が難航しブルネレスキが発案した二重構造により 1436年に完成させたもの。人間の理性の力、エネルギーを示すような建造物。 若い人は登頂を楽しみに訪れるが、私にはきつ過ぎ断念しました。
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          大聖堂内部、ドームのフレスコ画は「裁きのキリスト」
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ヴェッキオ宮殿、1314年築、かつてメディチ家の宮殿、新生イタリア王国の国会議事堂であったことがあるが、現在は市庁舎になっている。正面にはミケランジェロ作「ダビデ像」(レプリカ)が飾られている(実物はアカデミア美術館)。宮殿の奥にウフィッツィ美術館(撮影禁止)がある。メディチ家が収集した約3万点の絵画を所蔵している。西洋絵画発展の原点を知る事ができる。神の世界の絵解きとしての絵画も、平面的な絵から遠近法・陰影法を使って立体的になり、生身の人間になっていくその変遷が楽しめる。破戒僧リッピの<聖母子と二天使>、ボッティチェッリの<春>、<ヴィーナスの誕生>、ラファエロ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチの<受胎告知>などルネッサンス最盛期を代表する画家の絵画が展示されている。
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サン・ジョヴァンニ礼拝堂のキベルティ作の扉、旧約聖書の逸話を表わしたもので、ミケランジェロが「天国の扉」だと絶賛した。
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ウフィッツイ美術館から撮ったヴェッキオ橋、橋の上には宝石店などがならぶ。二階通路はヴェッキオ宮殿からピッテイ宮までつながっているという。
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        街を歩くとまさに中世に紛れ込んだ感じになる。
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by bonjinan | 2009-10-26 13:42 | 旅、散歩 | Trackback

フィレンツェ、サン・ロレンツォ教会

  ドゥオモの北側にある教会。簡素な壁が印象的。
  4世紀頃に設立された古い教会だが、メディチ家当主・コジモ(1389-1464)によって
  1461年に再建された教会。コジモ、ピエロ(1416-69)が眠る。
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  ミケランジェロ(1475-1564)も設計に参加したという未完のままのファサード。
  ミケランジェロはメディチ家当主・ロレンツォ(1449-92)に庇護されていた。
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  外観とは違って緑豊かな中庭がある。
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by bonjinan | 2009-10-26 08:50 | 旅、散歩 | Trackback

世界遺産 ポンペイを訪ねて

ポンペイを訪ねた10/15、この頃、例年とは異なりイタリア南部で寒く、北部では暖かか
ったようでした。たいへん寒く厚着をしての観光となりました。
さて本論、ポンペイは紀元前7~8世紀からの歴史を有し、前80年頃からローマの支配
下になった後も港湾を有する商業都市、別荘地として栄えていた。
ところが79年、ヴェスヴィオ山が突然噴火、一瞬にして火山灰に埋もれてしまった。
噴火直前の人口1~万人のうち約2000人が犠牲になってしまったという。
発掘される18世紀半ばまで地中に眠る町だった。今みると当時の生活の営みまでも思
い描けるような遺跡でした。
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     碁盤の目のような街路。坂道をあがったところにはフォロ(公共広場)もある。
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     部屋の床に描かれたモザイク画。生活の中に芸術もあったことに驚きます。
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      秘儀荘と呼ばれる宗教施設。”ポンペイの赤”を背景に描かれたディオス
      (ギリシャ神話の酒神)を描いたフレスコ画。芸術性の高さもうかがえます。
      フラッシュ禁止のため暗い中でかろうじて撮れた写真です。
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            パン工房。手前が粉を挽く石臼、後方がパン焼き窯。            
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             馬車の行きかった痕跡
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             公共の水飲み場
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by bonjinan | 2009-10-25 21:12 | 旅、散歩 | Trackback

カプリ島@南イタリア

  イタリア・ソレント半島沖のカプリ島を旅しました。
  当初、青の洞窟を予定していましたが、波がかなり静かでないと入れないとか。
  幸いにもソラーロ山からの絶景を楽しむことができました。これはこれで良かった。
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  ナポリ港から高速船で約40分でカプリ島へ。後方はヴェスヴィオ山(標高1281m)。
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  ソラーロ山(標高589m)からの絶景。
  眼下にカプリの町、その先ソレント半島を望む。
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  リフトから眺めたアナカプリの白い街並み。
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  カプリ・ウンベルト1世広場付近のレストラン。古来よりリゾート地。
  第2代ローマ皇帝・ティベリウスは在位中の後半をカプリ島で過ごした。
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by bonjinan | 2009-10-25 17:24 | 旅、散歩 | Trackback

世界遺産、ヴァチカン市国を訪ねて sanpo

人口約1000人という世界最小の独立国だが、約10億人の信者を有するカトリックの
総本山でローマ法王の御座所となっている。エルサレム、サンティアゴ・デ・コンポステ
ラとともにカトリック教会三大聖地の一つとされる。
歴史を振り返ると、4世紀コンスタンティヌス帝がそれまでのキリスト教迫害の歴史を
一転、ミラノ勅令を発布しローマの宗教として正式に公認し、キリストの1番弟子・初代
ローマ教皇・聖ペテロ殉教のこの地に大聖堂建設を命じて今日の発展につながる。
現サン・ピエトロ大聖堂は16世紀に大改修が始まり120年の歳月をかけ完成したバロ
ック様式の大聖堂。ラファエロ、ミケランジェロなど歴史上の天才が建設に参画している。
とにかくサン・ピエトロ大聖堂の規模、豪華絢爛な内部装飾には圧倒されます。
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        サン・ピエトロ広場:140人の聖人像が回廊上からみおろしている。
        バロック時代を代表する建築家ジャン・ロレンツオ・ベルニーニの設計。
        母が両腕を広げて訪ねる人々を受け入れる様をイメージして設計したとされる。         
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       サン・ピエトロ大聖堂内部:ドーム(クーポラ)も大きいが天蓋も巨大だ。
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              大聖堂ドーム:ミケランジェロが手がけた。
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   ヴァチカン美術館内部:天井のフレスコ画も精緻かつ華麗だ。かの有名なミケランジ
   ェロ作「最後の審判」が飾られているシスティーナ礼拝堂は撮影禁止になっている。
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     美術館内部ピオ・クレメンティーノ美術館:ギリシャ、ローマ時代の彫刻を展示
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by bonjinan | 2009-10-25 08:09 | 旅、散歩 | Trackback

トレヴィの泉

  古代ローマ時代の水道を利用して1762年に完成。
  ポーリ宮殿と一体としてのデザインになっている。
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  トレヴィの泉
  後ろ向きにコインを泉に投げると願いが叶うという。
  コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚だと恋が成就、3枚だと分かれられるとか。
 
  
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by bonjinan | 2009-10-24 11:41 | 旅、散歩 | Trackback