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カテゴリ:読書( 97 )

『日の名残り』

カズオ・イシグロの著作を初めて読みました。
土屋政雄訳『日の名残り』早川書房です。原題は”THE REMAINS OF THE DAY”.
話の舞台は第二次世界大戦前後の英国が舞台。政治の舞台裏を描いたノンフィクション小説かと思わせるがそうではなく、誰しも考えるであろう普遍的なテーマ”人生とは何か、どう生きるべきか”に焦点をあて考えさせる小説と思えた。物語は3つの大きな出来事(提案、行動、意見)があり転回していく。だが登場人物はどのような思いから提案したり行動したり、また語ったのかは想像するしかない。しかしその時の感情、心情まではっきり書かないことでむしろ物語を味わい深いものにし、また品格あるものにしている。第1はダーリントンホールの新たな持ち主、主人となって間もないファラディ氏が執事・スティーブンスになぜ英国国内旅行を勧めたのか。第2は物語のタイトルとも関係する最も重要な部分だが、ダーリントンホールの元女中頭・ミス・ケントン(ベン夫人)はなぜクリスマスカードのような儀礼的なものではなく不遇の中で過ごしているともとれる内容の手紙をスティーブンスに送ったのか。結論からすればいろいろ迷いながらもスティーブンスとの明確な決別の機会を持ちたかったからと考えられるが本当にそうだったのか。そうではない転回も想定していたのだろうか。第3は旅行の最終日、ウェイマスの海辺の遊歩桟橋で出会った男の言葉「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。」をスティーブンスはどう捉えたか。この部分は現役から引退する時期に必ず向き合いそうしたいと思う言葉である。しかしスティーブンスはジョークを学びファラディ氏との新たな関係を築こうと意気込む。執事の物語としては完璧に近い話であるにしてもその選択に迷いはなかったのか、ファラディ氏のスティーブンスへの旅の提案は引退への勧告、いわば実質的肩たたきではなかったのかなど疑念がわかなかったのだろうか。ほかの選択肢もあったのではないかなど、わが身に投げかけられた問題と誤解させるほど引き込まれる小説であった。しばらく読後の余韻を楽しみたいと思う。最後に訳文のこと。とかく訳文は著者の思いとは違った意訳が入り込み読みにくいのが常ですが、本書は訳文が原文かと思わせるほど滑らかなに翻訳されている。訳者の力量を称賛したい。
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by bonjinan | 2017-10-12 17:47 | 読書 | Trackback

ピケティの説

トマ・ピケティ『21世紀の資本』みすず書房(2014.12)が話題になっている。
気になって『週間東洋経済』1/31号を読んでみた。
(その要点)
 r>g (r:資本収益率、g:経済成長率)
株や不動産、債券などへの投資による資本収益率は経済成長率を常に上回っている。資本主義下では、資本を多く保有している富裕層に益々富が集中し、そうでない人との格差がさらに拡大する。
(格差が広がる構造)
(1)β(↑)=s(→)/g(↓) (β:資本/所得比、s:貯蓄率、g:経済成長率)
  低成長と高貯蓄率で、資本/所得比が増加する。βはだいたい5~7。日本は6以上。
  (計算例:β=資本(ストック)K/所得(フロー)Y=3048兆円/482兆円=6.3)  
(2)α(↑)=r(→)×β(↑) (α:資本所得/所得比、r:資本収益率)
  言葉で書けば、α=(資本所得/資本)×(資本/所得)=資本所得/所得
  資本収益率はさほど下がらずとも、資本所得のシェアが拡大する。βが↑ならαも↑の関係。
  (計算例:234兆円/482兆円=0.48、国民所得中、資本収益の割合は48%)   
(3)資本保有は極めて偏在するため、格差が拡大する。
  ※( )内:矢印の方向は上昇、横ばい、下降を表す。
(何が新規なのか、感想)
近年、クズネックの逆U字仮説(所得分布は経済成長の過程で不平等化が進むが、一定の時期を過ぎると一転して平等化に進むとする説(マルクスが資本の集中・集積が労働者の窮乏化をもたらすとして将来に悲観的見方を示したのに対して、クズネックは楽観的な展望をもたらした。)、トリクルダウン(trickle-down)説(まず富める者が富めば最終的には社会全体に富が行きわたる、何よりも経済成長が大切)が政策の基本とまでなっている。これに対しては、そもそも先進国での経済成長は期待するほど可能なのか、失業率は下がったが非正規雇用の拡大でむしろ格差は拡大傾向にあるではないかなど疑問が多いのであるが、成長を前提としなくても明るい展望が開けるとの有力な経済理論はないために成長はすべての良薬と考えることにしようとなっている。これに対してピケティは、上位1%の所得シェアは1970年代以降、上昇し続けている(約10%から約20%)こと、長期的にも資本収益率(r)が経済成長率(g)を常に上回ること(r>g)をデータで示し、資本主義経済は富める者がますます富む経済なのだと論じている。これまでの経済理論からみた位置づけ、評価などは経済学者に任せるとして、ピケティは多くの人が感覚的には感じていたことをストレートに実証したことで新鮮なのである。これから出てくる処方箋は大胆な累進資産課税。現実に採りうる政策なのかと問えば、高所得者の抵抗、世界各国の協調体制が必要となり悩ましいのだが、誰もが容認できる格差の範囲を越え、それが世代を超えて固定化する社会を放置しておいて良いとは言えない。幸い日本は米国ほどの格差はないものの所得再分配前の状態でみると格差は確実に拡大しつつある。日本においては欧米に比べ超高所得者というよりむしろ超低所得者が増えているのではないか。いづれにせよ長期的展望に立って日本社会を見直し社会の仕組を考える良い時期ではある。
参考:2013.10.12ブログ記事(所得再分配調査結果)

参考 トマ・ピケティの略歴
1971年生れ、公立高校卒業後バカロレアのC種(数学と科学)を取得、18歳でフランスの中で最も難易度の高いグランゼコールの一つパリ高等師範学校に入学、わづか22歳で高等師範学校とロンドン・スクール・オブエコノミクスの経済学博士号を取得。現在、パリ経済経済学校教授。経済的不平等の研究者として有名。

参考
ピケティの見方に対して、日本は欧米と様相が異なるという指摘もある。
野口悠紀雄氏によれば、α(国民所得に占める資本所得シェア)に相当する営業余剰/GDP比をみると1950年の40程度から20程度に低下している、αの低下原因はrの低下にあり、r(資本収益率)に相当するものが営業余剰/国富比とみれば1970年代の10から2以下に低下していること、これを法人企業統計の総資本営業利益率でみても1961年の8%から3%内外に低下していること、また貯蓄率sも1970年の30%から0%内外に低下していることを挙げている。わが国における格差の問題はαの上昇によってではなく非正規雇用の増など別の要因から考えた方が良いとしている。参考:ダイアモンドオンライン(野口氏意見) 

参考 民間給与
国税庁による2013年「給与階級別給与所得者数・構成比」によると、上位1%は1500万円以上であった。1%の中での分布は分からないが日本では極端に高額報酬者はいない。
引用:国税庁ホームページ(民間給与実態統計調査)

参考 非正規労働者比率、新卒就職状況
非正規労働者比率等(厚労省労働力調査(12月分)
完全失業者数:3.4%、雇用者数:5308万人、内非正規雇用者数:2016万人(対雇用者比38%)
2014年3月卒業者就職状況(文科省学校基本調査)
高校卒業者:105万人、内一時的な仕事に就いた者+進学も就職もしていない者:6万人(5.6%)
大学(学部)卒業者:56.6万人、内一時的な仕事に就いた者+進学も就職もしていない者:6万人(14.7%)
修士課程修了者:7.3万人、内一時的な仕事に就いた者+進学も就職もしていない者:1万人(13.6%)
博士課程修了者:1.6万人、、内一時的な仕事に就いた者+進学も就職もしていない者:4千人(26.1%)
2013年度奨学金返納延滞者数(日本学生支援機構)
33万4千人、957億円。自己破産者も出ている。
※格差を考える場合、世代間格差も重要だが長期的にみれば世代内格差がより問題である。

参考 相対的貧困率
ピケティは上位1%等の高所得者の総所得シェアを調べた。では下位所得者にフオーカスすればどうなのだろうか。OECDの統計によると、2000年代半ばの時点でOECD加盟30カ国中、相対的貧困率が最も高かったのはメキシコ(約18.5%)、2番目トルコ(約17.5%)、3番目米国(約17%)、次いで日本(約15%)であった。厚労省が2014年7月にまとめた「国民生活基礎調査」でも相対的貧困率は16.1%(子供の貧困率16.3%)だった。日本人の6人に1人は貧困層となる。国民の幸福度を想定する場合、1人当たりのGDPで比較されるが、格差が小さいほど幸福度は高いという調査結果もある。格差を論ずる場合、この観点からの検討も必要であろう。
※相対的貧困率:相対的貧困者の全人口に占める割合。相対的貧困者:等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯員数の平方根で割った数字。平方根で割る理由は家族数が増すほど住宅、生活用品などで共用部分が増え1人当たりの費用が減る、即ち可処分所得が増えることを表現できるからとされる。そういう観点で1人世帯、核家族化をみれば社会全体としてはコスト高な社会ということになる)が全人口の中央値(2012年の日本では244万円)の半分(同122万円)未満の世帯員を相対的貧困者としている。
参考:厚労省ホームページ(国民生活基礎調査)

参考 日本における純金融資産の階層別世帯数と保有金融資産規模
超富裕層(5億円以上)5.4万世帯、73兆円、富裕層(1億円以上、5億円未満)95.3万世帯、168兆円、準富裕層(5000万円以上、1億円未満)315.2万世帯、242兆円、アッパーマス層(3000万円以上、5000万円未満)651.7万世帯、264兆円、マス層(3000万円未満)4182.7万世帯、539兆円
(野村総研が2014年11月18日発表した資料)
本報告によると、超富裕層、富裕層の世帯比率は1.9%、純金融資産に占める比率は18.7%となる。マス層をみると世帯比率は79.8%、純金融資産に占める比率は41.9%となる。
2011年、2013年比較では、超富裕層、富裕層の資産が28%増えたのに対してマス層では7.8%増であった。富裕層は金融資産を預貯金以外にも分散しており、アベノミクスによる株価上昇などが富裕層の資産増をもたらした。ピケティの指摘にも良く合っている。ただ富裕層の金融資産のうち約6割がリスク資産と言われるから長い目で見た場合安定的な資産かどうかはわからない。

ピケティは何を語りたかったのか?
r>gは資本主義の基本構造だとするならば資本主義を否定しているわけではない。この関係から問題にしているのはグローバル世襲資本主義であり、それを抑制し効率と公正を両立させる政治体制を改めて考えるべきだと言っている。その例として挙げられているのが累進資産課税(少なくとも金融資産)。ピケティの本に1900~2013年の最高所得税率の各国比較(米、英、独、仏)が載せられており、1940~65年の米国では90%超(現在40%)であったことを示している。米国」が初めから市場主義の国であったわけではなく、その後の政治によって今日のようになった。逆説的言い方をすれば、どのような国にしたいか、それに向けてどう取り組むかの政治哲学があれば社会は納得のいく方向に変えられると言っているのだろう。現実論、技術論を越え、社会の効率と公正をいかに維持するのか問いているのだろう。
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by bonjinan | 2015-01-28 22:22 | 読書 | Trackback

エトス、パトス、ロゴス

パトリック・ハーラン『ツカむ!話術』(角川書店、2014年4月)を読んだ。
「コミュニケーション能力に自信がない」と訴える若者に向けて「ハーバード仕込み」のコミュニケーション技法として解説している。キーワードは、古代ギリシャの哲学者・アリストテレスが『弁論術』の中で述べた「エトス、パトス、ロゴス」を基本に、「コモンプレイス、フレーミング」を加え現代風にアレンジして解説したもの。
グローバルに活躍したいと考える若い人はもとより、魅力ある会話を楽しもうと思っている人、或いは反対に騙されないための知識を得たいと思っている人にとって大いに参考になる。
(使われている用語)
エトス:人格的なものに働きかける説得要素。
パトス:感情(脳科学的には大脳辺縁系)に働きかける説得要素。
ロゴス:頭脳(同、前頭葉部)に働きかける説得要素。著者は論理より言葉の力に重きを置く。
コモンプレイス:共通認識。
フレーミング:話の題材の枠取り。複雑な問題を明快に説明する場合によく採られる。要注意。

(補足)ソクラテス式問答法
アリストテレスの師匠プラトンのそのまた師匠ソクラテスの奨励した教授法。対話を重ね、相手の答えに含まれる矛盾を指摘して相手に無知を自覚(無知の知)させることで真理に導く方法。本書でも触れられているがマイケル・サンデル教授の『ハーバード大学白熱教室』がこれに相当する。教授はロゴスを中心に据えながらも、エトスを軽んぜず、パトスを抑え、生産的議論となるよう誘導している。議論の目的は論破にあるのではなく、参加する者みなが知らなかったことを知り、より高度な結論に到達するため、場合によっては結論に到達しなくてもより高度な議論の出発点とすることにあるからだ。

(補足)ソクラテスの皮肉
自分は知らぬふりをしてソフィスト(古代ギリシャ時代に説得を目的として弁論術を教えていた知識人)に存分にしゃべらせ、彼らの論理の弱点を見つけ、そこを突き、最後に相手を説明不能に追い込んでいった。これをソクラテスの皮肉という。ソクラテスの弟子プラトンが著したソクラテスとソフィストとの議論の中に述べられているもので、ソフィストたちの知ったかぶり、饒舌ぶりをたしなめたもの。しかしレトリックを否定したプラトンが、レトリックにより相手を攻撃する師ソクラテスを痛快に描いているというのも、これまた皮肉である。(金田一真澄『身近なレトリックの世界を探る』慶応大学教養研究センター選書より)
ソクラテスの皮肉的光景は上下関係の中での会話として良くある。上司が上司たるステータスを維持するためだが相手によってはエトス、パトス面でダメージを与えることがある。また同僚同士の会話ではぬけがき屋として嫌われることもある。やはりエトス、パトス、ロゴスはTPOをわきまえて効果的に使うことが肝要だ。
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by bonjinan | 2014-12-05 13:44 | 読書 | Trackback

少子高齢化問題

少子高齢化問題は、つい最近まで盛んに議論されたが消費増税後、依然として日本社会の大問題であるにも関わらずほとんど議論されなくなった。しかし出生率が1に近い数字である以上、議論しようがしまいが人口は確実に減少し続ける。人口の逆ピラミッド構造も延々と続く。人口の減少は経済を縮小させ、逆ピラミッド構造は働き盛りへの負担が永遠と続くことを意味し、近年おける世代内格差はそれに拍車をかける。もちろん組織の活力低下も招く。こうした人口減少は急激な減少とは言え1年2年というレンジでの話ではないから、その影響には気が付かないがじわじわと効いてくる。どこか元気のない社会、皆が不満を持つ状態が続くということだ。本稿は人口減少がどの程度の速度で進むのか、書物を頼りにした点検である。
増田寛也 『地方消滅、東京一極集中が招く人口急減』 中央公論新社(2014.8)を読んでみた。
本書には国立社会保障・人口問題研究所の推計を基にした今後の人口推計(全国平均、及び全国市町村別)が載せられていてとても参考になる。著者は人口減少は地方の問題ではなく、出生率が1.13、全国最低の生活環境にある東京圏への一極集中が日本全体の人口減少を加速すると説く。打つべき手は何でも打つべしだが、とりわけ東京への集中をくい止める地方中堅都市のダム化を提案している。国、地方官僚の相互異動「参勤交代」も提案している。参勤交代については、養老孟司 『自分の壁』 新潮社(2014.6)にも出ている。改めてそうかなと思う。その他、数多くの提言が書かれている。総花的ではあるがそれだけ手を付けなければならないことが多いということだ。ただ統計から導き出される提案はダム化だとしても若者が地方中堅都市に留まる合理的な施策が働いてこない限り大都市への移動は止められないだろう。ともあれ数字を知るだけでも読む価値がある。
以下、『地方消滅』に書かれた要点。
〈人口減少に関わる数字〉 
国立社会保障・人口問題研究所の推計を基本とした予測数字
[人口の推移]
2010年1億2806万人、50年9708万人、2100年4959万人
[合計特殊出生率(1人の女性が1生に産む子供の平均数)]
2005年1.26、13年1.43(数字があがったが、団塊ジュニアが39歳、これから減少?)
[人口置換水準(人口を維持できる出生率)]
2012年で2.07
〈人口減少のプロセス〉
第1段階(~2040年)
老齢人口増加+生産・年少人口減少
第2段階(2040~60年)
老齢人口維持・微減+生産・年少人口減少
第3段階(2060~ )
老齢人口減少+生産・年少人口減少
〈人口減少の加速要因〉
人口減少には自然減と社会減がある。
問題は人口再生産力のある20~39歳の人達の東京への人口移動という社会減。
大都市圏の雇用吸収力増加(プル型)+地方経済、雇用力の低下(プッシュ型)
→結婚適齢世代の大都市圏への集中→子供を産み育てにくい経済的、社会的環境からくる出生率の低下(極点社会:大都市圏への人口集中が日本全体の人口減少をもたらす社会)
※東京の出生率(2013年)1.13(全国最低)、沖縄1.94、全国平均1.43
以上
参考:国立社会保障・人口問題研究所ホームページ

以下、新規追加順

2017.4.10  新規追加分を「日本の人口問題(No.2)」で続けます。

2016.12.22  出生数、初の100万人割れ
2016年生まれの子供の数が100万人の大台を1899年の統計開始以降で初めて割り込む。98~99万人程度になる見通し。15年は100万5677人だった。また15年の合計特殊出生率は1.45だった。団塊ジュニア(71-74年)も中年になり大きく改善する見通しはない。厚労省は近く、16年の人口動態調査の推計を発表する。(日経)働き方改革も子育て世代を考えての改革が必要になっている。

2016.2.26 国勢調査、初の人口減
総務省が2015年国勢調査の人口速報値(15年10月1日時点)を発表した。
日本人の総人口:1億2711万人、前回10年調査比94人減(0.7%減)
世帯数は最多の5340万世帯、前回調査時と比べても首都圏、特に東京への集中のは変わらず。
(補足)
人口が減少するということは人口構成が逆ピラミッドになるということ。これまで触れなかったがこのことは政治に若い人の意見が通りにくくなるということを意味する。これからの日本を背負っていく若い人の意見をどう政治に反映するのかという重大な問題が含まれている。若い人には政治経済をしっかり勉強し、何が問題でどうしたら良いのか自分達の頭で考えしっかり議論して貰いたいと思う。

2016.1.20 建設業から便利屋に
偶然見たTV朝日Jチャンで岡山市の小坂田建設の事業転換が放送されていた。かつては道路の舗装、補修などを事業としていたが公共事業の減、競争激化などにより赤字に転落。廃業も考えたが建設業のノウハウを活かしての地元の便利屋として再スタート。高齢者に喜ばれる元気な会社として再生したという内容だった。世の中には解決できずに放置されたままになっていることがたくさんある。こうしたことが解決されていけば地方もどんどん元気になって行くのだと思えた。

2016.1.1 出生数5年ぶり増
厚生労働省は31日、人口動態統計の年間推計で、2015年に国内で生まれた日本人の赤ちゃんは統計を始めた1899年以降最低だった前年を4千人上回る100万8千人で5年ぶり増加したとみられると発表した。一方、死亡数は前年比2万9千人増の130万2千人と戦後最多を更新した。これにより自然減は29万4千人で、前年を2万5千人上回って減少幅は過去最大になった。また婚姻件数は9千組減の63万5千組で戦後最少をを更新した。100万組を超えた1970年代前半をピークに一貫して減少している。(日経)

2015.10.30 中国、1人っ子政策撤廃
中国共産党の5中全会は29日、第135カ年計画の草案を固め、その中で成長力の低下につながる働き手の減少を食い止めるため「1人っ子政策」を撤廃し、すべての夫婦に第2子の出産を認める方針を示した。(日経)

2015.7.2 人口(population)という言葉の由来
神野直彦『「人間国家」への改革』NHK出版(2015.6)を読んだ。
財政学の大家が書いた「人間を手段として見る事業国家から、人間の生を最上位に位置付ける人間国家へ」の提言書。本書に「人口(population)という言葉は、古くから存在する言葉ではない。人間の社会を管理・運営する対象とみていた重商主義時代に創り出されている。1690年に、『政治算術』を著したウイリアム・ペティ(William Petty)が社会を数量化することを考え、国家の富みと力は国民の数と性格に起因することを証明しようとしたことが、人口概念の登場を物語っている。人口という言葉は、生身の人間との関係が絶たれている。人口は人間を没個性的存在の集合として取り扱う。」とある。最近、人口減少を食い止める策として、人を地方に移動させる提案がやたらと多くなっているが、どこか違和感を感じていたのだが、人口という言葉そのものにそういう背景があったことを知ることができた。著者は日本は工業化による成功体験がいまだに強く、脱工業化社会を構想しえない状況にあることを認識すべきだと指摘する。これは筆者が思うことだが、真の創造的仕事は神経をすり減らしながら競争社会を生き抜く生活からは生まれない。人より僅かに先行している程度ではすぐさま追い越されてしまう。長い目でみると生産性が低くなり、最後はゾンビ企業を生むことさえある。余裕のある大会社にはぜひほんの一部の従業員でも良いから大自然の中で大いなるチャレンジをさせて欲しいと思う。

2015.6.6 2014年人口動態
合計特殊出生率1.42、05年の1.26を底に緩やかに上昇していたが、前年の1.43から0.01下回った。平均初婚年齢、男性31.1歳、女性29.4歳、女性が第1子を産む平均年齢30.6歳 (日経)

2015.5.5 合計特殊出生率比較
日本の出生率は75年に2.0を下回ってから低下傾向をたどり、05年には過去最低でさる1.26まで落ち込んだ。その後、40歳前後になった第2次ベビーブーム世代の駆け込み出産があり、直近の13年には1.43まで回復した。ただしそれでも世界でもっとも低い水準であることに変わりはない。
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引用:5/5付け日経新聞

2015.4.18 日本の人口(2014年10月1日時点)
総人口:1億2708万人(前年同月比21万5000人減、4年連続減、08年のピークから約100万人減)
年齢階層別:14歳以下1623万人(前年同月比15.7万人減)
15~64歳7785万人(同116万人減、1.47%減)、65歳以上3300万人(同110.2万人増)
自然減(14年1年間):25.1万人減、出生児数102.3万人、死亡者127.4万人
引用:総務省17日発表の人口推計に基ずく4/8日経記事

2015.4.1 公的年金の財政状況
厚労省がまとめた財政状況。給付額50.5兆円(前年度比+1.3%)、受給者3950万人(同+0.2%)、給付の原資となる収入は保険料引き上げ等により31.1兆円(同+3%)、国地方の税負担11.5兆円、年金積立金の取り崩し6.2兆円、年金積立金の残高186.3兆円(同+5%)株価上昇で取崩を上回る運用益があった。(以上、日経)

2015.4.1 公的年金のマクロ経済スライド適用
4月1日から国の年金にマクロ経済スライドが適用される。2004年に制度改定されたが長引くデフレで実施されてこなかったもの。2015年度では、次式により年金額は0.9%増額される。
年金額の改定幅=(物価・賃金の伸び+2.3%)-(マクロ経済スライドの実施0.9%)-(特例水準の解消0.5%) 15年度は名目金額は上がるが物価の伸びに対して実質は下がることになる。なおマクロ経済スライドとは、平均余命や人口減少を勘案して支給を調整するもの。少子・長寿命化に対して減額する仕組み。物価が下落すれば調整はない。上記0.5%は過去のデフレで引き下げが先送りされたもの。適用されれば人口の逆ピラミッドが続く限り長期的な所得代替率は低下することになる。

2015.3.30 年金負担、給付水準
65歳以上の年金世代1人を何人の現役世代(20~64歳)で支えているのか(高齢者支援率)、現役世代の平均収入と比べた年金額の給付水準(総所得代替率)は?。
OECDがまとめた2012年時点の状況。
日本:2012年時点高齢者支援率2.4人、同2050年推定1.3人、2012年時点総所得代替率35.6%
以下、総所得代替率の順で主要国値を抜粋。
オランダ:3.7-1.9-90.7、イタリア:2.9-1.5-71.2、フランス:3.3-2.0-58.8、スウェーデン:3.1-2.3-55.6、ドイツ:2.9-1.5-42.0、韓国:5.6-1.4-39.6、米国4.4-2.5-38.3、英国:3.5-2.2-32.6 
(注)総所得代替率は年金/報酬額。税・社会保険料は控除前。配偶者がもらう年金は含まない。厚労省が発表する総所得代替率は年金は控除前、報酬は控除後、配偶者を含めた世帯単位。この条件では50%。日本と欧米とで算出方法が異なるのは家族制度の違いからきているが近年、夫の収入だけでは家計がなりたたないという状況になってきており、また女性の社会進出が求められている状況になってきていることを考えればOECD式の見方の方が適していると思われる。
(以上、数値引用は日経グローバルデータマップ)
世界最速で少子高齢化進む日本。これから人口の逆ピラミッド構造が延々と続く。わが国にとっていわゆる人口オーナス問題は極めて重要なのだが、問題は多岐に渡り複雑であるために先送りされ、目先の利害にとらわれた短期的な政策に終始している。最重要課題として取り組むべきである。
参考:人口ピラミッドの推移、1950年-2010年-2050年の順(総務省国勢調査、および推計)
   年齢区分:65歳~(老年人口)、15~64歳(生産年齢人口)、65歳未満(年少人口)
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追加2015.3.27 
佐々木信夫『人口減少時代の地方創生論』PHP研究所(2015.3)を読んでみた。
本書は、日本を州制にし州間の競争環境を創ることが日本を元気にする策だとする。その通りだと思う。ただ中央政官界が権限を地方に移譲すること、住民の自治意識をどう高めるかという高いハードルが立ちはだかっている。何から手を付けるべきなのか。それが州制からだとしても、今一つすっきりしない。大阪都構想もなかなか具体化の道に入らないのは、そうすることによって住民にどのようなメリットが生じるかの説明、議論が欠けているからであろうことを思えば州制化についても同じことが言える。

追加2015.3.1 統一地方選
統一地方選が1ヶ月後に迫った。アベノミクスの地方波及、地方創生が論点にされるのだろうが、表向きの議論だけだとすると現実には何の変化も起こらない可能性がある。立候補者には中央政界と直結した政治ではなく地域に根差した地域創生の提案をして貰いたいものである。
(補足)
国政選挙では1票の格差是正が以前から叫ばれながら大胆な改正が一向に進まない。
ここで出てくる意見は「地方議員を減らせば地方の意見が出にくくなる」であるが、中央政界とのパイプを売りにした発言が聞こえてきても、地方議員ならではの発想からの意見を聞いた事がない。東京育ち、地方枠選出二世議員が多い現状をみるととても納得できない。

追加2015.2.28 人口減少の経済への影響
人口減少はGDPの低下を招くことは明らかだが、最も重要となるのは1人当たりのGDPである。
標準的な経済理論では人口減少は1人当たりの所得を上昇するとも考えれている。人口減少によって、1人当たりの資本(労働装備率)が高まるため、労働生産性が上昇すると考えられているからである。ただそれには前提があり、蓄積された資本が効率的に利用されること、またその効果が労働力率の低下を上回らなければならない。
式で表せば、1人当たりのGDP成長率=労働者1人当たりGDP成長率+労働力率の増加率。
※労働力率=労働力人口(働いている人+働く意志のある人の人口)/生産年齢人口(15歳以上の人口)
引用:津谷典子、樋口美雄『人口減少と日本経済』日経新聞出版社
もっと素直に考えてみよう。GDP=労働力人口(ここでは15~64歳人口とする)×1人当たりの生産性(ここでは一定とする)の関係があるから、2010年と2050年のGDPの比は生産年齢人口の比として求められる。結果は約60%、年平均約1%の減となる。同じく1人当たりGDPを計算すると80%、年平均約0.5%減となる。筆者はこれが標準的と考える。日本の潜在成長率は1%以下、過去20年近くの実質成長率実績でも0.9%程度であることを考えると、現状のままでは0.9%も維持できないということである。
(労働生産性)
日本の1時間当たり労働生産性は2013年に41.3ドル。OECD加盟34カ国のうち20位。トップはノルウェー87ドル、ルクセンブルク、アイルランドと続き4位米国も65.7ドル、以下ベルギー、オランダ、デンマーク、フランス、ドイツ60ドル、スイス・・。労働政策研究・研修機構によると日本では週50時間以上働く人の割合が32%とフランスの3倍に上る。労働生産性は潜在成長率に影響し、人口減少が避けられない日本では労働生産性の向上が不可欠(2015.4.9日経)。

追加2015.2.28
増田レポートに異議を唱えて書かれた書、山下祐介『地方消滅の罠』ちくま新書(2014.12)を読んだ。山下氏は増田レポートはいたずらに地方消滅を煽り、地方在住者への不安を増大させ、大都市への人口流出を加速するものだと批判する。増田氏は人口減少プロセスを若者の進学、就職に伴う都会への移動、都会生活における経済的不安からくる出生率低下に求め、対策としては地方中核都市に人口流出を食い止めるダム機能を持たせるべきと説くのに対して、山下氏はでは所得が少ない沖縄でなぜ出生率が高いのか、経済的理由というより”生活にゆとり”があるかの問題だと説く。結論として今こそ成長・発展指向から循環、持続型のゆとりある生活スタイルに転換すべきなのだと述べる。またその鍵となるのは地方における住民自治の醸成を通しての地方創生だというようなことを述べている。増田氏が統計、地方財政論からみた中央官僚的立論だとすれば、山下氏は官僚的発想を嫌い社会学的アプローチから住民が主役のコミュニティーづくりが重要と説いている。両者の説はそれぞれ理解できるが明日からでも着手できる策を提示しているわけではない。最近、青年たちがゼロからの町おこししている島根県海士町(あまちょう)が話題となるが、地方中堅都市でより活力ある町になったという話は聞かない。人が増えるほどベクトル合せが難しく、増田氏の論には深堀が必要だ。一方、山下氏の論は生き方、生活スタイルの問題としては理解できてもそれを現実の経済活動、長期的に見た1人当たりのGDPの維持向上という課題とどう結びつけていくのか見通せていない。やはり深堀が必要だ。人口減少の影響は多岐に渡り複雑でそれぞれ難点があるのもやむを得ない。地方創生という論点に絞れば、まずそこに住むことが楽しい町村にするにはどうしたら良いかの議論から始めて、所得をどう増やしていくのか。こうした観点から意欲的に取組めばそれに賛同する人、企業が集まるはずだ。統計データから考えられる人口再配置論、生き方としての田舎移住論ではなく、経済合理性とも関連付けて考えようとする、藻谷浩介、NHK広島取材班『里山資本主義』角川oneテーマ21は考えるヒントを与える。
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by bonjinan | 2014-11-13 18:27 | 読書 | Trackback

イノベーションとは?

かつてオーストリアの経済学者・シュンペーター(1883-1950)は、「市場経済はイノベーションが加わらないと均衡状態に陥ってゆく。均衡では企業者利潤は消滅し利子もまたゼロになる。均衡は沈滞である。だから企業者は、つねに創造的な破壊をし続けなければならない」(Wikipedia)と言った。技術革新と訳されるイノベーションとは一体どのようなものなのか。楠木健『経営センスの論理』新潮社を読んでみた。
楠木は、「イノベーションは「進歩」ではない。イノベーションの本質は「非連続性」にある。但しそれが非連続性であったとしても、単純に斬新なだけでは顧客に受け入れられない。多くの人に受け入れられて、その結果、社会にインパクトをもたらすものでなければならない。」と述べる。著者はイノベーションの例として、サウスウエストの戦略(ハブ&スポーク方式からポイント・トゥ・ポイント方式へ)、アマゾンの戦略(単純なEコマースではなく、数ある商品の中から顧客が比較し選択するためのプラットホームを目指した)、アップルの戦略(技術的に「できる」機能と、顧客がその気になって必ず「する」という機能を徹底的に切り分け絞り込む)をあげている。当時の業界常識からは大きく外れた非連続性が認められる一方、ユーザー側からみると非連続でもなんでもなく使い勝手を格段に良くした連続性があったとする。確かに誰でもその気になれば技術的に可能なものばかりだ。著者は「イノベーションは(業界からみた)非連続性と(ユーザーからみた)連続性の組み合わせでできている(内は筆者挿入)」と結論づけている。その通りだと思う。ではどうすればイノベーションを引き起こす環境ができるのだろうか。さすがに著者もその方程式はないとして書いてはいない。もちろん筆者にも書けない。ただこれだけは言える。「人まねをしない」「顧客の利便性を最優先に考える」ことだ。最近、特に気になることがある。日本を代表する通信会社、ドコモ、AUの熾烈な顧客囲い込み合戦だ。ユーザーの利便性を抜きにして格安だと訴求するやり方におどろく。買い替え需要を促す結果として起こるのは端末の輸入増による貿易赤字拡大ではないか。一体、両社は何を考えているのだろうか。イノベーションとは程遠い現実におどろく。このエネルギーがあったなら使い勝手を世界一良くして欲しい。もっと世界に目を向けて欲しい。

(余談)優れた経営者はイノベーター
かつて鎖国の江戸時代に流行った浮世絵が19世紀の西洋画壇に大きな衝撃を及ぼしジャポニズムを引き起こした。単なるエキゾティシズムを越えて、大胆な構図や雨や風をも表現する創作力に衝撃を与えたからだと言われている。この歴史的事実から学ぶことは三つある。一つは、西洋画壇において誰しも考えるトレンドの延長上にはなかったこと、二つ目は、北斎や広重は絵画の基本をしっかり学びながらも画狂と言われるほど創作意欲に燃えていた、その迫力が伝わったということ、三つ目は、良いものは良いと認める人たちがいたということだ。振り返って成長戦略を考えてみても成功のための要件は同じことだろうと思う。優れた経営者、事業家と言われる人をみると、ビジネスの現場でこうしたこと(差別化、熱意、市場環境)を理屈ではなく感覚的に見抜き、人を育て、自ら行動する人たちのような気がする。言い方を変えれば優れた経営者はイノベーターなのだ。コーポレートガバナンスにより経営者が会社の外を気にするあまり防衛的、官僚的になるのだとすれば長期的な活力が失われていくであろう

(追記)イノベーションとは?その2 チャンドラーの考えた企業の発展
「組織は戦略に従う」で有名な米経営学者・アルフレッド・チャンドラー(1918-2007)は、企業活動は非連続的な飛躍よりも、むしろ日々の連続的な経営管理業務、技術蓄積あるいは改良を遂行する経営管理者によって着実に進展するとした。ただその後の経緯をみると起業家型経営風土が薄れ管理者型経営風土(管理者の官僚化、貴族化、変化からの逃避)が強くなってきたと思われる。先進国経済が停滞するとともに改めてイノベーションが問われている。

(追記)イノベーションとは?その3 クレイトン・クリステンセン氏の考えるイノベーション
『イノベーションのジレンマ』(Harvard business school press 2001.7)を著したハーバード・ビジネススクール教授のクレイトン・クリステンセン氏(1952- )の提示したイノベーションについてみてみる。
(1) 「イノベーションのジレンマ」:すべてのことを正しく実行するといずれ失敗する。
ソニー、パナソニックはその代表例。日本の大企業は倒産しない代わりに米シリコンバレーで起こったような破壊的イノベーション(disruptive innovation:市場をリードしていたはずの企業が、技術で劣る企業の新製品でいとも簡単にトップの座を奪い取られる)を知らない。アップルはその例としてあげられる。
(補足)
クリステンセンはハードデスクの歴史を定量的に調べ、面積当たりの記憶容量を引き上げるイノベーションを「持続的イノベーション」と呼んだ。一方、デイスクの容量は小さくなるが小型化により新たな用途を開拓した。これを「破壊的イノベーション」と言った。これに対して、山口はこの破壊的イノベーションに関して「未来社会が求める新しい評価軸を発見して違う未来に向かうプロセス」だたとし、「性能破壊型イノベーション」と呼ぶべきであるとしている。
(引用:山口栄一『イノベーションはなぜ途絶えたか』ちくま新書)

(2) イノベーションのパターンには三つある。
①エンパワリング・イノベーション(empowerring innovation)
精巧で高価な製品をシンプルで手頃な価格に変えるイノベーション。特定の企業、人しか使えなかったものをより多くの人が使えるようにする。実際の仕事を創出する。ソニーのトランジスタラジオ、ウォークマン、IBMのパソコン・・・。
②持続的イノベーション(sustaining innovation)
トヨタのカイゼン運動。またプリウスのような製品、ガソリン車を置き換えるが仕事は創出しない。
③エフィシェンシー・イノベーション(efficiency innovation)
すでに製造され販売されている製品をさらに効率良く、手頃な価格にするためのイノベーション。
労働プロセスを合理化するため資本をつくりだす。但し新しい仕事は創出しない。
企業はこの三つのイノベーションの間を移行していく。理想的にはこの三つのイノベーションを循環するように企業運営されるべきと説く。確かに日本の企業は大局的にみて②段階か、多くは③に移行したままで、①を喪失した状態にある。経常利益は増えても製造業の雇用は20年前と比べると約500万人減ったまま。
参考文献:クレイトン・クリステンセン他、大野和基編 『知の最先端』 PHP新書(2013.1)

(追記)イノベーションとは?その4 ブルー・オーシャン戦略
フランスの欧州経営大学院教授のW・チャン・キムとレネ・モボルニュ『ブルー・オーシャン戦略』(Harvard business school press 2005.2)により提唱されている戦略。競争者のいないまだ生まれていない新たな市場、無限の可能性を秘めた未知の市場のことを「ブルー・オーシャン」と名付けている。ユーザーに高付加価値な製品やサービスを低コストで提供することで高利益を得る。これに対して企業が存続のため、既存製品やサービスを改良することで、激しい競争をする高コストな市場を「レッド・オーシャン」と名付けている。
大きくは差別化戦略だが、競争戦略という視点ではなく高付加価値を持つ新市場を見出すことにフォーカスする。重要ツールとして「アクション・マトリックス」、「戦略キャンパス」などを提示しているが、筆者流にいえば、誰もが見逃していることに気付く観察力である。他社との競争の中に優位性を求めること、損得が考え方の前提にになっている、いわゆる会社人間には難しいだろう。参考:2011.12.20ブログ記事

(追記)イノベーションとは?その5 イノベーターはナウイスト
2015年元旦、Eテレでスーパープレゼンテーション「伊藤穣一×山中伸弥 未来を語る」が放送された。Nowist, Nowism(ナウイスト、ナウイズム)が印象に残る。考えている間、躊躇している間にもイノベーションが起こっている。今やらないリスク、実行したことにより遭遇するであろうリスク、どちらが大きいリスクなのか、後で後悔するのはやはり今やらなかったことのリスクの方と仰る。どうやらイノベーションとは、何を実現したいのか、思ったら動くの行動力に尽きるのかもしれない。「いつやるか?今でしょ(林修)」。もっとも行動が先とは言っても、ほとんどの人が失敗していることと同じことを、何の新しい着眼点もなく、ただ偶然の幸運を信じてやっても失敗する。字義的に幸運は偶然に訪れるものだがもちろん基礎知識あってのこと。

(2015.1.15)イノベーションとは?その6 イノベーターはリアリスト
1/15 NHK BSプレミアム「英雄たちの選択、信長は本当に天下を狙ったのか?」が放送された。
信長のイメージは、戦国の革命児、破壊者など天下統一という野心のためには手段を択ばない人物であった。しかし最近の研究から、従来はかいらいとして利用していたとされる将軍・義昭に、実は忠義立てしていたことが新資料からみえてきたというもの。ここでの討論で「イノベーターはリアリスト」なのではないかという意見が出てきた。優れた経営者はイノベーター、イノベーターはナウイストとも符合し興味深かった。

(2015.1.15)村上隆的イノーベーション
 2013.1.12ブログ記事

(2015.1.16)キャッチダウン型イノベーション
発展途上国の企業が、途上国の所得水準、需要、社会環境に適合的な製品を生み出すために、先進国企業とは異なる方向に技術を発展させる活動が、世界経済の中で存在感を高める中国やインドで観察される。この動きを「キャッチダウン型イノベーション」と呼んでいる。これまで技術力で世界をリードしていると自負してきた日本企業だが、自分達は世界の先端を走っていると思っていたら、後を振り返ってみたら誰もあとをついてこず、ガラパゴス化しているということもありうる。
出典:丸川知雄「発展途上国のキャッチダウン型技術進歩」 『アジア経済』LV-4 (2014.12)

(2015.2.16)言葉としてのオープンイノベーション
自社技術だけではなく他者が持つ技術やアイデアを持ち寄り、組み合わせて革新的な商品やビジネスモデルを生み出すこと。ハーバードビジネススクール、ヘンリー・チェスブロウが提唱した。ベンチャー企業の増加によりお互いの技術を組み合わせる場面、開発期間を短縮する必要性が増していることで注目されている。最近の話題では、トヨタが燃料電池車(FCV)に関する特許の公開を決めたこと。FVC普及にはFCVそのものが約700万円と高価な上、水素製造、水素ステーション設置など膨大な投資が必要となることからトヨタ単独では普及に限界があるとの判断による。ただトヨタにとって競争優位が維持される中で市場が成長するのでなければ慈善行為となってしまう。オープンイノベーションの本来の意味は対等な協力関係の中で商品開発し市場開拓することにあとすればトヨタの場合はやや違う。

(2015.3.25)改めてシュンペーターが考えたイノベーターとは?
「起業家が必要とするものは何か。それは、「意志と行動のみ」である。起業家の意志と行動が体現するものとは、指導者精神(ledership)である。指導者のタイプに固有の機能とは、新たな可能性を生み出したり、見つけ出したりすることではない。実践である。指導者精神に必要なものは、知性よりも意志であり、思想よりも権威や魅力といったものなのである。」(中野剛志『資本主義の預言者たち』角川新書より)

(2015.4.22) 17年以降、従来型携帯の生産終了
日本の携帯端末メーカー独自のOSを搭載した従来型携帯電話(通称:ガラケー)の生産を2017年以降に中止する。開発コスト削減などのためで、開発する全端末のOSをスマホの標準である米グーグルのアンドロイドに統一する。現在、スマホと従来型携帯の出荷台数比率はほぼ半々となっている。(日経) 従来型携帯電話の需要がまだ依然としてある。年寄を中心にして使い方に慣れていること、電話、簡単なメール以外はあまり使わないなどの理由からだろうが、メーカーは何か重要なことを無視しているように思えてならない。ユーザーが携帯に求めているものは何か、それを無視しているように思えてならない。これから日本では高齢化社会に突入する。アジア各国でもそうだ。こうした需要に真摯に立ち向かうことこそ大事なのではないか。

(2016.2.14) イノベーションをヘーゲル「ミネルヴァの梟」から考えてみる
岩崎武雄編『世界の名著35ヘーゲル』中央公論(1981.4)、「法の哲学、序文」 P.174 より
「世界がいかにあるべきかを教えることにかんしてなお一言つけくわえるなら、そのためには哲学はもともと、いつも来方がおそすぎるのである。哲学は世界の思想である以上、現実がその形成過程を完了しておのれを仕上げたあとではじめて、哲学は時間のなかに現われる。・・・・・哲学がその理論の灰色に灰色をかさねてえがくとき、生の一つのすがたはすでに老いたるものになっているのであって、灰色に灰色ではその生のすがたは若返らされはせず、ただ認識されるだけである。ミネルヴァのふくろうは、たそがれがやってくるとはじめて飛びはじめる。」 ミネルヴァの梟:知性ないし哲学。

(2017.5.6) 越後屋三井呉服店
これまでわが国における立派なイノーベーションを忘れていた。三井高利(1622-94)、高平(1653-1737)が創始した三井越後屋呉服店の商法だ。良く知られている現金掛値無、さらには店頭での注文仕立て、広告(今でいうチラシ)など画期的な商売方法だった。それまで誰も考えもしなかった商法を考え出したことが素晴らしいのだが、時代は武断政治から文治政治へ、世の中の変化からその可能性を感じ取ったところがまた素晴らしい。外国の例を見るまでもなく三井は正真正銘のイノベーターだったのだ。ところで最後のチラシのこと。奥村政信(1686-1764)画『駿河町越後屋呉服店大浮絵』ではしっかり遠近法(近くの物は大きく、遠くのものは小さく)が採用されていること。今では当たり前になっていることがこの時代に開発されていることを考えれば、当時の人がいかに自由な発想をしていたかが分かる。
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by bonjinan | 2014-08-11 18:47 | 読書 | Trackback

幸福論

日本全体の高齢化が進み、老齢人口(65歳以上の人口:2012年で総人口1億2752万人の約24%)が年少人口(15歳未満の人口:同13%)を上回っている。また年間死亡数(2012年126万人)が年間出生数(同104万人)をはるかに超え、喜びより悲しむことの方が多い時代になった。そのせいか、最近、生老病死、特に老病死に関する話題が多くなった。また並行して、少なくとも幸福な晩年を過ごしたいと願う人が多くなったことからか幸福論も話題にされるようになった。幸福論については古今東西の哲学者、文学者などが論じ有名な言葉を残している。それも参考にはなる。しかし言葉が発せられた背景が分からないから、単に知識として知るだけであり、結局は個人個人の心もちの問題だで終わってしまう。哲学的ではなくもっと身近に感じられる説明がないかと思っていたところ、二つのベストセラー書に書かれていた。その気になれば誰にも実行できそうである。仏教でいう「無財の七施」(特に和顔愛語)と同じかも知れないが・・・。

①三木清『人生論ノート』新潮文庫、(2014年4月第107刷、初版1954年9月) より
P.24 「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人ではない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。」

②渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎、(2014年7月第56刷、初版2012年4月) より
P.60 著者が30代に感化されたという「ほほえみ」という詩
「もしあなたが 誰かに期待したほほえみがえられなかったなら 不愉快になる代わりに あなたの方からほほえみかけてごらんなさい ほほえみを忘れた人ほど それを必要とする人は いないのだから」

追加
アラン(本名:エミール・シャルティエ)『幸福論』1925(世界三大幸福論の一つとされる)
「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが上機嫌である。これこそ、贈ったり、貰ったりすべきものだろう。これこそ世のすべての人を、何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。」
木原武一『大人のための世界の名著50』角川文庫(2014)より引用
木原は「不機嫌な顔を見ればこちらも不機嫌になる。こちらが少々不機嫌でも笑顔を見れば、心が和らぐ。ドイツの詩人ゲーテは「不機嫌は犯罪」であるとさえ言っている『若きヴェルテルの悩み』」を紹介している。

追加
元ウルグアイ大統領、ホセ・ムヒカ(1935- 在位2010.3-15.3)の言葉
「我々は発展するためにこの地球上にやってきたのではない幸せになるためにやってきたのです」、「貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ」。
(4/8フジTV 来日緊急スペシャル、世界一貧しい大統領×宮根×池上彰より)
古代ローマ時代の哲学者セネカの言葉にも通じる「質素」であることの幸福感が伝わってくる言葉だ。

参考:moreに「幸福の語源」、「幸福の象限」

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by bonjinan | 2014-07-29 12:39 | 読書 | Trackback

宇宙論を垣間見る

池内了『宇宙論と神』集英社新書(2014.2)
望遠鏡の発明を機に、人々が認識する宇宙は太陽系を越え、銀河宇宙へと広がった。さらにはそうした宇宙が数多く存在するというようなことが言われるようになった。宇宙は神が創造したとするならばはたして神はどこにおられるのか。人々の知見の広がりとともに遠くに行ってしまうのか、そんな論調で宇宙論の発展を解説してくれている。ここではハッブルとアインシュタインにまつわるエピソードをピックアップしたいと思う。まずハッブルから。宇宙が膨張していることを観測結果から決定的に突き止めたのはハッブル(1889-1953)だった。「ほとんどの銀河はわれわれから遠ざかっており、その遠ざかる速さは距離に比例する」、すなわちハッブルの法則を見出してからであった。しかしハッブルは「自らの観測結果の解釈に疑問を持っていた。自らの観測結果を宇宙膨張の直接証拠とは考えず、銀河からくる光がエネルギーを失い、赤い方にずれるからだという説を採用していた」という。次にアインシュタインにまつわる話。ハッブルが観測結果を発表する10年以上前の1916年にアインシュタイン(1888-1925)は「一般相対性理論を発表し、1917年にはそれを宇宙全体に適用した宇宙方程式を提案していたが、その方程式によれば、宇宙は収縮するか膨張するかの運動をしなければならなかった。永遠に不変であり、静的であると信じていたアインシュタインは、自らが提案した方程式に宇宙項を人為的に付け加え、宇宙が運動をしないよう操作した。彼は静かな宇宙を統括している平和的な神を考えていたのである」。1922年、フリードマン(1888-1925)が「アインシュタインの方程式を正確に解き、宇宙が距離に比例して膨張しているという解を示した時、アインシュタインはクレームをつけたくらいである」。ハッブルの観測結果が示されてからようやく有名な言葉「生涯で最大の失敗」として宇宙項を引っ込めた。二人の偉大な科学者には共通したところがある。時代は変っても現代の科学者も同じだと思うが、自然は神の創造物、そこには必ず秩序(法則)があるはずとの思いが探究心を駆り立てていること。しかし自ら導き出した理論、苦労してえた観測結果とはいえ、無限に広がる宇宙、すなわち無秩序に拡散しばらばらになってしまう宇宙など神が創るはずがないと考えていたと思われること。衝撃的な知見に直面し逡巡する二人の姿は天才科学者とはいえまさしく人間だ。そのほか面白い話がたくさんある。基礎知識不足の私には良く理解できない個所が何か所あったが、それでも興味深く読めた。
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by bonjinan | 2014-02-25 20:44 | 読書 | Trackback

日中関係をどうみるか

天児慧『日中対立-習近平の中国をよむ』ちくま新書(2013.6)
尖閣事件発生以降、日中関係を論じた書が激増した。筆者も日中関係を論じた書を結構読んだ。楽観論から脅威論までさまざまだったが、心して客観的事実の観察に努め、冷静に物事を考えようとした書は比較的少なかった。本書はこうした観点からすると、書名は少々過激だが、長年、中国政治を研究してきた著者だけに内容が豊富で、「中国とどうつきあうか?」を静かに考えさせてくれる。
あらまし次の通り。2010年9月の「尖閣近海中国漁船衝突事件」、2012年9月の「尖閣諸島国有化」が日中関係悪化のすべての原因とみる人は多いが、著者は必ずしもすべての原因ではなく、これ以前に中国側における外交戦略上の変節があり、尖閣事件はその変化を対外的にも示す格好のトリガーになったのだと述べる。その変節とは高度経済成長に自信を得つつあった2002年の共産党第16回全国大会において高々と掲げられた「中華民族の偉大な復興」に端を発した「大中華圏」形成に向けての具体的動きであり、2010年は時あたかも中国が世界第2位の経済大国に台頭した年でもあったことから転機の年になったのだと言う。確かに、2010年を境にしてみれば、それまでは鄧小平の「韜光養晦」(とうこうようかい;目立っ行動を控え、力を醸成せよ)路線に則り「中国はまだ弱小国家である」というリアルな認識で動いていた。わが国との関係においても多少のぎくしゃくはあっても「戦略的互恵関係」という枠組みの中で処理されていた。しかしその後をみると、冷戦後の新たな覇権構造としての「G2論」、米国との「新しい大国関係」、経済の成功モデルとして「中国モデル」、「国家資本主義」がとりあげられるようになり、さらに自信を深めたのか国際社会に向けて「核心的利益」、「海洋権益拡大」、「積極有所作為(積極的になすべきことをする)」という言葉を前面に出すようになった。またこのことが周辺国における「中国脅威論」を増幅させ今日に至っている。著者は、結論として、ささいなこと、あるいは良かれと思うことがナショナリズムも絡み予測もしえないような事態を引き起す可能性があるとして、尖閣問題については「現状維持が最良の策」だとする。また「双方とも一方的な主張を繰り返すだけでなく、相手の主張にも耳を傾け、或いは国際社会を意識しながら日中関係のあるべき姿を考え、展望することを念頭に置き、辛抱強く関係改善を図っていく必要がある」としている。現状ではその通りだと思う。筆者が思うには、中国は自ら大国と言わずとも人口、国土、歴史からしてもともと大国だ。中国が抱える格差問題も環境問題もレベルの差はあっても世界中の共通課題であり、経済大国になった今こそこうした問題に真摯に立ち向かい、絶え間なく起こる地域紛争に対しても理性的解決策を提示するならば、自ずと勢力均衡論、覇権論を越えた未来志向の大国になりうるのだが、そう向かわないところが不思議なくらいだ。もしそれが共産党内部における組織間の組織論理、権力闘争に根差すものだとするならば通常では予測されない展開を招くことも考えられる。今は動向を注意しつつ見守り、長期的展望に立って関係修復を図るしかない。

補足:中国のナショナリズム
東大・川島準教授によると、中国に中国人という意識が生まれたのは、またナショナリズムが形成されたのは清王朝末期の10年間においてであった。同じく植民地支配しながら西欧とは異なり日本だけが攻撃対象となるのは日本はこの時期の最後に侵略したことが影響しているとする。(2013.6日本記者クラブ講演)

追加2013.12.26
安倍首相、靖国神社参拝、第1次内閣含め首相として初めての参拝。
在日米大使館は「近隣諸国との緊張を悪化させる行動を取ったことに失望している」との声明を発表した。これまでこの問題への公式な論評を避けてきた米国だが安倍政権の自制力、バランス感覚に疑義が生じたということだろう。また予想される事態を避けるためこの問題で対中外交に入るとの宣言でもあろう。防空識別圏の設定で東アジアの緊張を高めるとして国際世論の反発を招いた中国であったが、今回の問題で日本が反発を招く材料を与えてしまったことは残念だ。二国間で理解し合うまでは刺激しないことが肝要だ。もちろん参拝に関して日本の伝統的宗教感(霊を鎮める鎮魂)から合理性を説明することは可能である。しかし諸外国に説明しようとしても、二元論的宗教論争におちいり、これを乗り越えることは不可能に近いであろう。また宗教はその国の価値観、ナショナリズムとも密接に関連していることからナショナリズムを煽りかねない。特段の配慮が必要だ。ナショナリズムは世論を収斂させる一方で、外交、政策の幅を狭める制御しがたい性格を持つ。注意すべきだ。またこうした議論とは関係なく、両国で働く、あるいは働かざるをえない人たちもいることを念頭におけば静かに祈るというのが現実的である。そもそも祈りはわが国宗教の原型でもある。

追記2014.1.24
安倍首相は22日の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、外国メディアと懇談した際、日中関係を第1次世界大戦で戦う前の英独関係の例え、「当時英独は多くの経済関係があったにもかかわらず大戦に至った。・・・このようなことにならないようにしなくてはならない」と説明した。良い例はともかく、微妙な例においては他国の例を引用することは誤解を招きやすい。戦争に絡む話であるだけに慎重を期して欲しい。

追記2014.1.26(米中首脳会談)
オバマ大統領は3月下旬、オランダ・ハーグで開く核安全保障サミットの機会を利用して中国・習近平主席と会談する方向で調整中。オバマ大統領は北朝鮮の核・ミサイル問題のほか中国の東シナ海における緊張緩和について議論すると思われるが、一方中国は「新しい形の大国関係」(いわゆるG2論)を取り上げると見られている。(以上日経夕刊)。東アジアの問題を東アジア諸国で解決でできない時代になっているのだとすれば残念なことである。中国には自国の利益を越えた大国としての果たすべき責任がますます求められる。

追記2014.2.6(世界の軍事費)
英国のシンクタンク、国際戦略研究所(IISS)は5日、世界の軍事情勢をまとめた年次報告書「ミリタリー・バランス2014」を発表した。それによると2013年の主要15か国の軍事予算は次の通り。米国6004億ドル(以下単位は億ドル)、中国1122、ロシア682、サウジアラビア596、英国570、フランス524、日本510、ドイツ442、インド363、ブラジル347、韓国318、オーストラリア260、イタリア252、イスラエル182、イラン177。米国を除く14か国の合計は6345で、前年から7%減となった米国を追い抜いた。08年から13年にかけての増減をみると、新興国は中国の43.5%を筆頭に、ロシアが31.2%、ブラジルが10%と大幅増。(以上、日経)東アジアでの増は地域の緊張を高める動きとして困った話だ。

追記2014.2.26(強制連行)
戦時中に日本へ強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人元労働者や遺族の合計27人が26日、三菱マテリアル、日本コークス工業(旧三井鉱山)の2社を相手取り、謝罪と損害賠償請求を求める訴状を北京市大中級人民法院(地裁)に提出した。1人100万元(約1700万円)の損害賠償や日中主要17紙に謝罪広告を載せる事を求めている。(日経)

追記2014.3.5(オバマ夫人中国訪問)
米ホワイトハウスは3日、ミシェル・オバマ大統領夫人が19~26日に中国を訪問すると発表した。(朝日) 日本外交は? 全人代関連については中国経済の稿で触れたので省略。

追記2014.3.16(外資たたき)
中国が国営メディアを通じ、日本製品の批判キャンペーンに乗りだしたようだ。ニコンのデジタルカメラ(D60)には欠陥があるとの内容で、撮影した写真に黒い粒状の像が写り込む現象が多発していたことを取り上げたもの。中国がたびたび繰り返す「外資たたき」の矢面に立たされた格好だ。今年は消費者権益保護法の施行20周年ということもあって事前の注目度も高かった。なお13年には米アップルの製品保証・サービス対応の悪さを指摘、米中が激しく応酬した。(引用:3.16日経) 

追記2014.3.19(強制連行訴え受理)
「戦時中の強制連行を巡り、中国人労働者らが三菱マテリアルなどに損害賠償を求めた訴えについて中国の裁判所は訴状を受理した。」(3.19日経) 日中関係の更なる悪化が懸念される。

追記2014.3.21(戦争賠償)
中国政府は1972年の日中共同声明で放棄した戦争賠償の請求について「民間や個人の請求権は放棄していない」との公式見解を初めてまとめた。近く公表する。(以上、3.21日経)

追記2014.3.24(習主席、朴大統領会談)
中国・習近平国家主席と韓国・朴槿恵大統領は23日、ハーグ近郊で会談。韓国大統領府によると、習氏が「安重根記念館の設置は、私が直接指示した。両国民の絆になる」と表明。朴氏は謝意を示しながら「韓中の友好協力の象徴になる」と語った。(以上、日経夕刊) 中国は日米韓首脳会談を前にその連携をけん制したものと言われている。一般論としてナショナリズムを高揚することは国内意見をまとめる上では有効に働くがそれを制御できなくなる危険性が伴う。これはわが国の近代史でも観察されている。東アジアの政治状況がますます複雑化しているが、日本は長期展望に立って冷静に考え過剰反応しないことが肝要だ。

追記2014.3.25(オバマ大統領、習近平主席会談)
核保安サミット開幕に先立ち24日、ハーグで3度目の首脳会談を行った。オバマ大統領は中国に対ロ制裁への指示を求めたとみられる。中国はロシアの軍事行動には指示しづらいものの、ロシアを戦略的パートナーとして重視、制裁には否定的な姿勢。またオバマ氏は「習近平主席とは新たなモデルの二国間関係を強めていくことで合意している」と強調。習氏は「新型大国関係を築くという(オバマ氏の)声明に感謝する」と応じ、改めて中国の領土統一に絡む「核心的利益」の尊重を求めたとみられると伝えている。(以上、朝日)。中国は国益に絡む案件については一歩も譲らず、災いを招きそうな案件については中立の立場を採ることで、ますます存在感を高めていると言えよう(機会主義的ヘゲモニー)。またロシアのG8参加停止も加わって、ロシアはロシアの主張をこれから強めていくであろう。大国が自国の利益を優先し国際協調のかたちが崩れていくさまは、かつてのウエストファリア条約後のヨーロッパ(とそれに続く国富増大をめざした重商主義の時代)、最近では冷戦時代のパワー・ポリティクスの時代に後戻りしているように思えてならない。

2014.3.30(習主席発言)
中国・習近平国家主席が28日、ベルリンでの講演で「ブラント元西独首相は『歴史を忘れたものは同じわだちを踏む』、旧日本軍の南京占領時の犠牲者に関し『30万人以上を虐殺した。惨劇の記憶は今も鮮明に残る』と述べた。またで講演後の質疑応答で、周辺国との摩擦に関し、「自分から事を仕掛けないが、それを恐れない。主権・領土の重大な原則上の問題では断固、正当な権益を守る」と述べた。(3.30日経)
サッカー指導者の岡田武史氏が21日、NHKのニュースウォッチナインに出演。中国での監督経験を踏まえて「中国では反日教育をしているので若者も反日だが、日々の生活ではこうしたこととは関係なく生きていくために必死になっている。どこの国でも90%位の国民はお互い仲良くやっていくことを望んでいる。しかし10%位の人があれこれ言って対立を激化しているのでないかな。」と述べられた(文言は記憶で書いたものなので正確ではない)。対立を深めるも緩和するのもやはり政治ということだ。日中首脳の建設的発言を望みたい。

2014.4.21(船舶差し押さえ)
中国当局は20日までに、商船三井が中国で保有する大型輸送船1隻を差し押さえると発表した。日中戦争が始まる直前に日本の海運会社に2隻を貸し出した中国企業の経営者親族が、当時未払いだった賃貸料や損失の賠償を求めていた。同社が賠償に応じないため異例の差し押さえになったもの。日中国交正常化をうたった1972年の共同声明は「中国政府は日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」となっており日本政府は個人の請求権を含めるとの立場をとっている。(以上、日経) 中国政府は対日圧力を緩めないとの姿勢を改めて示したものだ。個人の請求権は過去に遡って存続し続けるとなれば民間活動はリスクが大き過ぎてできないということになろう。トップ交流による和解、現実的解決の道を期待したい。
2014.4.24追加、商船三井は裁判所に供託金約40億円を支払い、差し押さえが解除された。

2014.5.8(南シナ海で中越公船が衝突)
中国が石油掘削を始めた南シナ海でベトナム船と中国公船が衝突。アジアの緊張が高まってきた。
参考:産經Webニュース
これまで「中国の台頭が、東アジア地域における戦略的ダイナミクスのゲーム・チェンジャーになるのか、従来アメリカの主導する国際的な協調体制の中で形成されてきた、自由で開かれた(リベラルな)国際秩序の規範やルールを変更することになるのかは、まだ明確に見えてはきていない。」(一橋大東アジア政策研究pj編『東アジアの未来』東洋経済新報社2012.3)と見られてきた。しかし今回の衝突をみると、中国は米国のとるであろう外交政策(力ではなく対話、中米は対等な関係)を見据えて、一方的に宣言してきた「核心的利益」(譲れない一線)を明確にするため、一歩踏み出したようだ。大国の軍事力を背景としたパワー・ポリティクスが復活してきたのだとすれば極めて残念だ。

2014.5.19「中国、ベトナムに圧力」
中国政府は18日、ベトナムとの一部の交流計画を停止すると発表した。南シナ海の領有権問題で中国がベトナムへの圧力を強めているもの。米国は中国に自制を促すがその影響力は確認できていない。最近、米国外交は「口先外交」と揶揄されるがどう振る舞うのかは今後の東アジアの国際秩序に大きく影響してくるだろう。ただ米国の影響力もそうだが、東アジアの各国自身が、特に大国が自国の利益を少し抑えて、海洋をグローバル・コモンズ(コモンズ=共有地)とみる考え方に変えていかなければ、長い目でみた地域の協調関係は発展しない。

2014.5.21(米けん制で足並み)
中国・習近平国家主席とロシア・プーチン大統領は20日、上海で会談後、共同声明を発表し、米欧を念頭に「内政問題への干渉」や「一方的な制裁」に強く反対すると表明した。また「ドイツ・ファシズムと日本の軍国主義に対する先勝70周年記念の共同行事」を開くことも盛り込み日本をけん制する姿勢も示した。(日経)

2014.5.20(中国、アジア安保主導)
中国・習近平主席は21日、上海で開かれているアジア信頼醸成措置会議(CICA)の首脳会議で基調演説し「中国がCICAの役割りをさらに高め、アジアの安全保障協力の新局面を開きたい」と強調した。(日経)

2014.6.10
中国政府は10日、旧日本軍が中国人を虐殺したとされる「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」に関する歴史資料をユネスコ「世界記憶遺産」に登録申請したとNHKなどが報じた。同日日本の菅官房長官は「政治的意図があるなら抗議したい」と表明した。大国であればあるほど控えめであって欲しいがどうもそうではない。

2014.7.9 ドイツの中国戦略
独フォルクスワーゲンは7日、中国の天津市と山東省青島にそれぞれ年間生産能力が約50万台の工場を新設すると発表した。投資額は合わせて20億ユーロの計画。発表はメルケル首相の中国訪問に併せて発表された。(日経) ドイツの実務的、政経一体の対中戦略がみえる。わが国は政治的対立関係にあることもあるが、どのような業種がどのような形で進出し撤退するのか長期的展望で見直すべき時期にはある。

2014.7.9 米中戦略・経済対話
9日から北京で米中戦略・経済対話が始まった。習近平主席は昨年6月、オバマ大統領との首脳会談で提起した「新しい形の大国関係」という米中協調路線に繰り返し言及。「中国は平和路線、各国との友好関係を堅持する。広大な太平洋は中米両国を受け容れられる」と語った。と同時に「主権と領土を相互に尊重すべきだ」とも強調。(以上日経) 経済力を背景に自国の権益を拡大しようとする中国、これまで形成されてきた秩序を維持しようとする米国の対話だが、東シナ海、南シナ海におけるトラブルをどう収斂させていくのか。それが出来なければ両国の直接対決を避けることはできても周辺国からの不信はむしろ高まる可能性もある。大国が大国たるには小国から尊敬されること以外にはないのだ。

2014.8.4 日中首脳会談
中国の習近平国家主席が7月末に訪中した福田康夫元首相と北京で秘密裏に会談、対日関係の改善に意欲を示した。11月に北京で開くAPECの際に首脳会談を実現する方向で調整に入る模様。(報道各社)

2014.9.3 習氏日中関係改善に意欲
中国新華社は、中国が定めた抗日戦勝記念日の3日、習主席は、「日中が長く平和友好関係を維持することはアジアと世界の平和と安定を守るというニーズにも合致する」と述べるとともに「日本軍国主義が侵略した歴史を深刻に反省することが、日中関係の政治的基礎になる」とも指摘したと新華社は伝えている。また尖閣問題についての言及はなかったとしている。(日経) 中国は習体制が軌道に乗ってきたことを示すとともに、南シナ海周辺国との関係悪化を踏まえて、トーンを和らげたのだろう。日中間には対立する多くの問題を抱えているのであり、あせらず相互理解を進めていくということが肝要だ。

2014.9.30 香港、民主派デモ拡大
香港のトップを選ぶ2017年の行政長官選挙をめぐり市民、学生の幹線道路選挙が続いている。問題の発端は17年からの同選挙で普通選挙が導入されるものの企業や労働組合が選んだこれまでの選挙委員会にあたる指名委員会で半数以上の賛成を得ることが出馬条件となっており、8割以上が親中国派とみられる委員会の状況では実質、中国政府の意に添わない人物は出馬できないとしての不満からと言われている。

2014.11.5 サンゴ密漁
200隻を超える中国船が連日、小笠原、伊豆諸島周辺の排他的経済水域(EEZ)で違法なサンゴ漁。中国の主張する領有権とはどのような状況によるものなのか、法治国家をうたう中国であるが誰のための法治なのか、疑義を持たざるをえない行動である。

2014.11.8 日中首脳会談
北京で10日から開かれるAPEC首脳会談に合せ日中首脳会談が固まったようだ。それに先立ち4項目の合意文書が発表された。現状では、基本的対立点、意見の相違を確認するだけと報道されているが事実ならそれで十分だ。本質的解決は関係改善が相互の利益になると確認されない限り崩れるものだ。合意事項の解釈を巡って揉めないことを願うのみ。焦らないことが肝要だ。

2015.3.9 王毅外相記者会見
王毅外相は8日、全人代に合せ記者会見した。今年は戦後70年に当たることについて、「加害者が責任を忘れなければ、被害者の傷も癒える可能性がある」「70年前に敗戦した日本が、70年後に再び良識を失ってはいけない」「歴史の負担を背負い続けるか、過去をバッサリ断ち切るかは、最終的には日本自身の選択だ」など歴史問題をめぐる牽制球を投げかけた。また抗日戦争勝利70周年を祝う記念行事に安倍首相を招待するかを問われ「誰であろうと誠意をもって来る人は歓迎する」と述べた。(日経)

2015.3.17 尖閣諸島が日本語名の地図
外務省は16日、同省HPに、中国政府が1969年に発行し、尖閣諸島が日本語名で書かれた地図を掲載した。地図は日本の国土地理院にあたり、送料などを担う政府機関「中国国家測絵総局」(当時)が発行した地図集の一部、尖閣諸島を「尖閣群島」と記し、日本名である「魚釣島」の表記もある。政府はこの地図を、尖閣諸島が日本固有の領土であることを示す「新証拠」と位置付け、国際社会にアピールしたい考えだ。(以上、毎日新聞配信、yahooニュース)

2015.3.22 日中韓外相会談
3年ぶりとなる日中韓外相会談が21日、ソウルで開催され、日中韓首脳会談を「最も早期で都合のよい時期」に開くよう努力する方針で合意した。共同文書には歴史問題に関して「歴史を直視し、未来に向かう」との文書も盛り込んだ。(以上、日経) こじれた日中、日韓関係。お互いに良好な関係が必要と思わなければかたちだけの関係改善はすぐ崩れる。じっくり熟成することが肝要だ。

2015.4.16 南シナ海の岩礁埋立問題
ドイツ・リューベックで開かれているG7外相会合で「海洋安全保障に関する外相宣言」が初めてまとめられ、海洋の大規模埋め立てなどの一方的な現状変更に反対するとし、中国による南シナ海での岩礁埋立を非難した。(読売)

2015.4.23 日中首脳会談
アジア・アフリカ会議の開かれているインドネシアで、5か月ぶり安倍首相、習近平主席会談が開かれた。日中関係は改善しつつあるとの認識が共有されたようだ。また中国はアジアインフラ投資銀行AIIBへの参加を呼び掛けたようだ。歴史認識については積極的には踏み込まなかったようだ。

2015.6.19 香港の選挙制度改革白紙に
2017年の次期香港行政長官選挙をめぐり、香港政府が提出した民主派の立候補を実質的に制限すると見られていた選挙制度改革法案(指名委員会で過半数の指示をえた候補者を2、3人選び、18歳以上の市民で選挙し選ぶ)が否決され白紙に戻った。今回は直接的には香港の問題ではあるが将来の中国の問題でもあったと思われる。1党独裁は絶対条件であるにしても国民の意志を何らかの形で反映させ政権を安定化させる必要がかならず来るからである。否決されたことで、中国が多分、考えていたであろうまず形としての民主化がどのようなものになるのか分からなくなった。

2016.2.18 中国、南シナ海の西沙(パラセル)諸島に地対空ミサイルとみられる設備を設置。
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by bonjinan | 2013-12-25 08:46 | 読書 | Trackback

持つこと、あること

エーリッヒ・フロム、佐野哲郎訳『生きるということ』紀伊国屋書店(1984・9)を読んだ。私にとっては読んだというよりも読もうとした程度に過ぎないが、私なりきにフロム(Erich Fromm 1900-1980)の主張を書いてみようと思う。原書名は、”TO HAVE OR TO BE ?” 直訳すれば<持つべきか はたまた あるべきか>であり、人の生き方をこの二つの様式で区分し論じたものである。本書では両者の違いを説明するためにいろいろな側面から例示されているがここでは二つの詩を転記する。イギリスの詩人テニソン(1809-1892)の詩 <持つ>様式として「ひび割れた壁に咲く花よ 私はお前を割れ目から摘み取る 私はお前をこのように、根ごと手に取る小さな花よ---もしも私に理解できたら お前が何であるのか、根ばかりでなく、お前のすべてを--- その時私は神が何か、人間が何かを知るだろう」テニソンは花に対する反作用として、根こそぎ摘み取り所有すること<持つ>ことを望んでいる。所有することでそれをばらばらに分解することが出来、自然を理解し、さらには神、人間の本性への洞察が深まるだろうと考える。結果として、<持つ>ことによって花は破懐される。と解説する。
芭蕉(1644-1694)の俳句 <ある>様式として
「眼をこらして見ると なずなの咲いているのが見える 垣根のそばに!」(英訳を翻訳したもの)「よくみれば なずな花咲く 垣根かな」(日本語原文)
芭蕉の花への反応はまったく異なっている。彼は花を摘むこと<持つこと>を望まない。彼が望むのは見ることである。それもただ眺めるだけでなく、それと一体化すること、これと自分自身を<一にする>こと---そして花を活かすこと---であると<ある>の姿を解説する。
何となく<持つこと>と<あること>の生き方の違いが分かったような気になってくる。しかも私たち日本人には慣れ親しんだ芭蕉の句が引用されていることから、そんなことは分かっている。あるべき生き方は<持つ>ことに執着する生き方ではなく、<ある>状態での生き方に決まっていると思うかも知れないが、果たしてそんな生き方をしている人がいるのだろうか。特に社会を動かす地位が高い人ほど。財産、知識、社会的地位、権力など一切を放棄してしまえば、虫けら同然だ。できるだけ多く、しかも希少価値のあるものを<持つ>ことによってこそ自己の価値を高められるのだと思ってはいないだろうか。フロムは、限りなき<持つ>ことへの追求が社会を歪め問題を起している。<ある>という生き方は、現状のまま留まることが良いことだというわけではなく、何ものにも執着せず、何ものにも束縛されず、変化を恐れないことで、むしろ創造的成長が可能になるのだと説いている。本書は出版されてから長い時間が経つが生き方、あり方を考える上で今も新鮮である。生き方に限らず多くの問題、例えば尖閣問題などに対象を広げても、問題を解くヒントになるだろう。
補足
先の二詩に続いて本書では、ゲーテ(1749-1832)の花を持ち帰って家の庭に植えることを詠った詩「見つけた花」を引用しているが、ここでは話を簡単に進めるため省略した。
補足:語法の変化
過去2,3世紀のうちに西洋諸国の諸言語において名詞の使用が多くなり、動詞の使用が少なくなったという。例えば、私は考えてる→私は考えを持っている。私は欲する→私は欲望を持っている。・・・
本来、動詞は能動性、過程を表現するため、名詞は物を表すためにあり、この例は、能動性を名詞と結び付いた<持つ>という言葉で表現しており言語の誤用であるという。言われてみれば、私たちは、<持つ>という表現を知らず知らず多用していることが分かる。考えるという行動までもパーツ化されているということだ。
補足
フロムの代表作といえば、『自由からの逃走』(1941年)。フロムはドイツ人がヒトラーの独裁を受入れ積極的に参加したかについて考察し「人間は自由になると孤独と不安を感じ、外部の権威などに依存して、精神の安定を求める」と考えた。(木原武一『大人のための世界の名著50』角川文庫 2014.2)『生きるということ』も『自由からの逃走』も現代人の深層心理を鋭く考察している。「持っていなければ安心できない」心理、「拘束されることによってむしろ安心する」心理を描いている。ここで思いつくのは多くの人が持つようになったスマートフォンのこと。現代人の孤独さの表れともみえる。情報を共有化することまでは良いが、それに飽き足らなくなったとき、また新たな問題が生じてくるのではないか。予想もしない集団心理が働いたり、偏狭なナショナリズムが急激に広がるなど、・・・・。いやそうではないという人もいる。競争社会ではなく人と人の関係性を重視するやさしい社会を求めている現われだという。そうだとするならばそれはそれで良いのであり新たな社会の方向性を若い人たちから提示して貰いたいと思う。
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by bonjinan | 2013-12-15 12:58 | 読書 | Trackback

徒然草より -貨幣経済の本質-

兼好法師(ca1283~ca1352)は『徒然草』の中で貨幣経済をどう記したか調べてみた。まずわが国における貨幣経済の始まりから振りかえってみる。わが国においてある程度広範囲に流通した最古の貨幣は和同開珎(708年)であった。しかし当時の社会は、自給自足を基本として不足する物を物々交換するような生活であったため幅広くは流通しなかった。貨幣が大量に流通するのは日宋貿易が活発化し宋銭が輸入された12世紀中ごろからとなる。平清盛が台頭してくる時代からである。鎌倉時代になると貨幣の利便性は誰もが認めるようになり、幕府と朝廷がともに宋銭の使用を認めたこともあって、貨幣の流通は加速した。13世紀に入ると年貢も貨幣で納められるようにもなる。兼好法師はそんな時代に生きた人であった。

「或る大福長者の云わく、『人は万をさしおきて、ひたふるに徳(=利益)をつくべきなり、貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。・・・』と申しき。そもそも、人は所願を成ぜんがために財(たから)を求む。銭を財とする事は、願ひを叶ふるが故なり。所願あれども叶へず、銭あれども用ゐざらんは、全く貧者と同じ。」(『徒然草』 第217段)  まるで今の資本主義社会を観察し書き記したようでもある。衣食住事足りてもなお将来を案じて蓄財に励む姿は大福長者のようでもある。さらに言うならば、実体経済が必要とする100倍ものマネーが世界を駆け巡る現代社会を予見していたかのようである。

「人は、おのれをつづまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるはまれなり。」(第18段)  あくなき所有欲を否定している。「賢き人の富めるはまれなり」の部分は素直に読んでも良いが、賢き人を小利口な人と読み替えるなど、アイロニーとして読むと一層、深みが増す。また貨幣と時間との関係において、「寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しといへども、これを重ぬれば、貧しき人をも富める人となす。されば、商人(あきびと)の一銭を惜しむ心切なり。」(第108段)とも述べる。まさに「時は金なり」の感覚である。しかし後段に「光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まらん人は止み、修せん人は修せよとなり。」と言っているように、時間は蓄財のためにあり、と言っているわけでもない。それぞれの願いが叶うよう過ごせと言っている。

参考:「時は金なり」は、米国の気象学者、政治家として知られるベンジャミン・フランクリン(1706-1790)の言葉とされる。ドイツの社会学者、経済学者として著名なマックス・ウェーバー(1864-1920)は著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、この言葉を資本主義の精神を表す言葉として引用しているという。なおフランクリンの『自伝』には13の徳目が著されており、プロテスタントの禁欲的生活、その延長としての資本主義の発展を窺い知ることができる。

参考:近年、市場主義がますます強まっている(あらゆることを需要と供給の関係でみ、これを金銭的に解決しようとする思考)。マイケル・サンデルによれば「市場の拡大によって、市場の論理と道徳の論理の区別が、また世界を説明することと改善することの区別がつきにくくなってきている」「経済原理が非市場的規範の律する社会慣行に応用されるとき、その(経済原理の)信頼性は低下する」と述べる。
(マイケル・サンデル『それをお金で買いますか、市場主義の限界』早川書房、第2章インセンティブより)
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by bonjinan | 2013-12-13 10:35 | 読書 | Trackback