AREKORE

bonjinan.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:旅、散歩( 519 )

カレル橋@プラハ

 ヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の石橋がカレル橋。
 カレル4世の命によって1357年に着工し60年近くかけて完成した橋。
 先ずは橋塔からみるカレル橋とプラハの景観から。
c0192215_16121740.jpg

  旧市街側にある橋塔から望むプラハ城方向
  全長約520m、幅約10m、アーチの総数15の大きな橋。
  カレル橋の両端には30体の聖人の彫像が並ぶ。
  橋は中央からわずかに曲がっている。上流側にあった建物を避けるためだったという。
c0192215_1172882.jpg

  同じく橋塔から望む塔直下の広場と旧市街の景観
 「百塔の街」といわれるプラハ、確かに多い。
c0192215_1193938.jpg

  橋の両側に並ぶ聖人像がこの橋を観光名所にしている。
  最も人気があるのはヤン・ネポムツキー像(1683年作)で橋のほぼ真ん中にある。
  頭上に輝く5つの星が聖ヤンさんのトレッドマークで目印にもなる。
  日本でも有名な聖フランシスコ・ザビエル像(1711年)もある。
  写真の先の黒い塔が橋塔。
c0192215_11111679.jpg

  聖ヤン・ネポムツキー像の台座。
  ネポムツキーは14世紀のボヘミアの司祭。ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔内容を厳守したため
  王の怒りをかいヴルタヴァ川に投げ込まれ殺害されたとされる話がレリーフになっている。
  触れると幸運に恵まれると言われておりその部分が光っている。ボヘミヤの守護聖人。

 ※1 ヴルタヴァ川(チェコ語、ドイツ語でモルダウ川。ドイツでエルベ川に合流し北海へ)
  橋塔の近くには、交響詩『わが祖国』第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ)』で知られるスメタナ
  を記念したスメタナ博物館がある。 

 ※2 ゼレーナ・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会
  プラハの東へ約65km、聖ヤンさんの出身地に近いジュヂャール・ナト・サーザヴォウに
  聖人ヤンさんを記念した教会がある。1994年に世界文化遺産に登録されている。
[PR]
by bonjinan | 2017-10-29 16:45 | 旅、散歩 | Trackback

プラハ城

 プラハほど多様な建築様式の建物が見られ中世の雰囲気も味わえる街がほかにあるだろうか。
 観たいところが多すぎてほんの一部しか見れていませんが先ずはプラハ城から。
 プラハ城はハプスブルク家も含めたボヘミヤ王家の居城と宗教施設などが一帯となった場所。
 ヴルタヴァ川西岸、小高い丘の上に建つ。プラハのシンボル的存在。
 以下、撮影禁止の王宮を除いての城内の様子です。
c0192215_1281287.jpg

 聖ヴィート大聖堂
 尖塔の高さ96.6m、幅60m、奥行き124mの堂々たる聖堂。14世紀に改築を開始し20世紀に
 なり最終的に完成している。天を突きさすような尖塔はこれぞゴシック建築という感。
c0192215_12273525.jpg

 大聖堂内部
 長さ124m、高さ33mの巨大な身廊。ステンドグラスを通してさす光が神々しい。
c0192215_1234187.jpg

 ミュシャのステンドグラス
 チェコを代表する国民的画家ミュシャ作『聖キリルと聖メトヴィス』1931年
c0192215_12401657.jpg

 聖ヤン・ネポムツキーの墓
 14世紀のボヘミヤの司祭でローマカトリック教会の聖人。チェコの守護聖人の存在。
 ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔内容を厳守したため王の怒りに触れヴルタヴァ川に投げ落とされ
 殺害されたとされる。聖堂内には殉教の絵もある。またカレル橋でも楽しみたいと思う。
 なお聖ヤンさんの像の特徴は頭上に5つの星が輝く聖人として表現されること。
c0192215_12555776.jpg

 聖イジー教会
 920年に完成した現存する城内最古の教会。
 ボヘミアで最も美しいロマネスク様式(厚い壁、血さな窓、木の天井)の教会といわれている。
c0192215_1303775.jpg

 教会内部
 音響効果が良くコンサートにも使われるという。
c0192215_1384717.jpg

 プラハ城内の広場にて一休み。黄葉が美しかった。
 城内には錬金術師が集められ住んだ黄金の小路などみどころたくさん。
[PR]
by bonjinan | 2017-10-29 13:28 | 旅、散歩 | Trackback

街の風景 in プラハ

 プラハ、旧市街広場を中心に散策しながら撮った街の風景です。
c0192215_782422.jpg

 旧市街の中心、旧市街広場
 写真手前左に天文時計のある旧市庁舎(改装中)、正面に2塔が目を引くティーン教会。
 ティーン教会は15世紀前半、プロテスタントの先駆けとなる宗教改革フス派の拠点となった。
 カレル橋へは人の流れに沿って西に歩けば行ける。
c0192215_222029.jpg

 高級ブランド店の並ぶパリ通り。
 若者たちがテーブルに2列に並びビールを飲み、自転車のペダルのようなものを踏み、大騒ぎ
 しながら前に進んでいった。元気がなければできないね。
 近くには街の雰囲気がちょっと変わるユダヤ人地区がある。
c0192215_2294011.jpg

 市民会館
 プラハを代表するアール・ヌーボー建築。
 内部には音楽祭「プラハの春」の会場となるスメタナホールや入り易いレストランなどがある。
 比較的近くには、アール・ヌーボー、チェコを代表する画家・ミュシャ(チェコ語でムハ)の
 作品を収蔵したミュシャ美術館がある。
c0192215_2214442.jpg

 プラハの春の舞台となった大通り、ヴァーツラフ広場
 1968年、チェコスロバキアで起きた民主化運動(プラハの春)に対して同年8月、ワルシャワ
 条約機構の弱体化を恐れたソ連ブレジネフ政権はワルシャワ条約機構軍20万人を投入してこの
 運動を圧殺した。ヴァーツラフ通りはこの歴史的舞台。
 プラハの春はこうして失敗に終わったが、その後、東欧諸国の社会主義政権崩壊と前後して、
 1989年には衝突や流血を伴うことなくビロードのように民主化が進んだ(ビロード革命)。
 話は飛んで1998年の長野オリンピック(冬季)に関連して、
 アイスホッケー決勝リーグAでロシアに負けたチェコではあったが決勝戦でロシアを破り優勝。
 当時大いに盛り上がり、今でも日本といえば京都より、或いは東京よりも長野が有名だという。
[PR]
by bonjinan | 2017-10-29 11:49 | 旅、散歩 | Trackback

チェスキー・クルムロフ

 チェコ南部、ヴルタヴァ川が大きく湾曲する場所にある街。13世紀に南ボヘミアの豪族ヴィートコフ家によって城が築かれたのが街の始まり。その後支配者は変わったが城の増改築が繰り返され、ボヘミア地方ではプラハ城に次ぐ城塞となっている。チェスキークロムロフ城と城下の旧市街を散策した。中世の雰囲気が残る美しい町である(世界遺産)。
c0192215_2033109.jpg

  チェスキー・クロムロフ城(左の崖の上)とヴルタヴァ川に囲まれた旧市街の風景
c0192215_2037468.jpg

  ヴルタヴァ川から眺める城。
c0192215_20402999.jpg

  城内の一部。
c0192215_20422516.jpg

  旧市街の風景。ワイン祭りの横断幕が掲げられていた。
c0192215_20434522.jpg

  お祭りのイベントなのか伝統衣装姿の行列が行進していた。
  広場には数多くの土産屋さんなどあり楽しい雰囲気だった。
  なお広場には欧州のあちこちで見られるペスト終息の記念碑・三位一体の像があった。
c0192215_1227674.jpg

  小路にあった小さなマリオネット博物館
  マリオネットはチェコの人形というより文化。人びとは苦しい時代にもこれで耐えた。
c0192215_12313172.jpg

  チェコの伝統菓子、トゥルデルニーク(Trdelnik)屋さん
  小麦粉の生地を棒に巻き付け砂糖やシナモンなどをふりかけた焼き菓子。
  プラハのような大きな街でもあちこちで売られているファーストフード。


(余談)バドワイザービールのこと
チェスキー・クロムロフの北にビールで有名なチェスケー・ブジェヨヴィツェ市(チェコ)がある。チェコはラガービール(下面発酵)大国。それまでのエールビール(上面発酵)に代り琥珀色でホップの効いた爽やかなラガービールが一気に広まった。プルゼニュで生産される「ピルスナー」とならびチェスケー・プジェヨヴィツェで生産される銘柄「ブドヴァイゼル」(Budweiser)が特に有名。米「バドワイザー」はドイツ系アメリカ移民のアドルファス・ブッシュが「ブドヴァイゼル・ビール」にあやかろうと名付けたもの。冷凍技術が発達した現代では味の深いエールビールが見直されている。
[PR]
by bonjinan | 2017-10-28 20:53 | 旅、散歩 | Trackback

ウィーン、シュテファン寺院

 ウィーン旧市街のほぼ中央に位置し天を突くようにそびえる塔は街のシンボル的存在。
 王宮(ホフブルク)、オペラ座とも近い。すぐ傍にはモーツアルトハウス・ウィーンもある。
c0192215_18155950.jpg

 シュテファン寺院外観
 12世紀半ばにロマネスク様式の教会として建てられ14~16世紀に現在みるゴシック様式の
 大寺院になった。南塔は高さ137mで寺院のシンボル。
c0192215_18272794.jpg

 内陣、巨大な空間で身廊107mという。
c0192215_18305033.jpg

 エレベータで登れる北塔の上から見下ろす寺院前の広場(シュテファン広場)。
 広場はオペラ座に通じるケルントナー通り、ペスト記念碑のあるグラーベン通りとつながる。
c0192215_18334589.jpg

 モザイク模様の屋根瓦。この寺院を特徴づける一つ。
 ハプスブルク家の紋章、鷲が描かれている。反対側の屋根には双頭の鷲が描かれている。
[PR]
by bonjinan | 2017-10-28 18:54 | 旅、散歩 | Trackback

霧に包まれたシェーンブルン宮殿

 毎年、秋が深まるにつれ、朝方は霧が立ち込めるというウィーン。
 シェーンブルン宮殿も霧の中。
c0192215_2251392.jpg

 宮殿はハプスブルク王朝の夏の離宮
 17世紀、レオポルド1世(マリア・テレジアの祖父)の命によりベルサイユ宮殿を意識し建設に
 着手したが財政難から規模が縮小された。
 18世紀、女帝マリア・テレジアの時代に現在みるバロック様式の華麗な宮殿に改修された。
 6歳のモーツアルトが女帝の前で演奏し床で転んだ際、手を取ったマリー・アントアネットに
 「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったとの逸話が残る。
 1805,9年、ウイーンを占領したナポレオンが宿舎となった。
 1814年9月から翌年にかけ「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議が開かれた。
 ともあれ1815年にウィーン議定書が締結され、その後のヨーロッパの国際秩序(ウィーン体制)
 が定まった。その性格は革命前の絶対王政の体制に戻そうとするものだった。
 1918年、ハプスブルク家最後の皇帝カール1世が退位文書に署名、以後共和国のものとなった。
 ・・・など宮殿はハプスブルク家の華麗な世界であると同時に世界史の舞台ともなった。
 現在、所有は国だが運営は民営化され一部賃貸マンションともなっている。 
c0192215_2254298.jpg

 観光は館内だから問題ないけれど庭園の景色ももう少し見たかった。
[PR]
by bonjinan | 2017-10-28 13:12 | 旅、散歩 | Trackback

街の風景 in ウィーン sanpo

 ウィーンの街の中心部を歩いてきました。
 オペラ座→旧王宮→コールマルクト通り→グラーベン通り(ペスト記念柱)→シュテファン寺院
 →ケルントナー通り→オペラ座。比較的狭いエリアなの街の風景をゆっくり楽しめました。
c0192215_181945100.jpg

 起点はオペラ座。
 近くにカフェ・ザッハー、モーツアルトなどあり。
c0192215_18263589.jpg

 ミヒャェル広場からみる旧王宮
 オペルリング側から王宮庭園経由で旧王宮に向かったのですが王宮は広く旧王宮の入口を探すの
 にひと苦労。今振り返ればオペラ座からミヒャエル広場に向かって真っすぐに進めば良かった。
 旧王宮のこと。13世紀後半から20世紀初頭までの約640年間、ハプスブルク家の歴代皇帝が居
 城としてきた宮殿。人気の観光スポット。特にエリザベート皇后(愛称シシィ)の部屋は人気。
 入場券購入の列に並ぶこと、中で人が進まなくなる箇所ができるなどと言われていたのですが 
 この時は団体客がいなかったせいかスンナリ入場、また館内を回ることができました。
c0192215_18413135.jpg
 
 グラーベン通りのペスト記念柱
 1679年ペストが猛威を振るい、その終息を記念して、レオポルド1世(マリアテレジアの祖父)
 によって建てられたもの。柱の最上部に三位一体像があり三位一体像とも呼ばれヨーロッパ各地
 にあるもの。グラーベン通りを進むとシュテファン寺院。
c0192215_19173312.jpg

 シュテファン寺院からオペラ座につながるケルントナー通り
 前出グラーベン通りと同様、ブランドショップが並ぶ通りで歩行者天国となっている。
 ウインドウショッピングしながらウィーンみやげを購入。
c0192215_19255828.jpg

 ウィーンの街でみる赤と白の旗
 ウィーン市観光局が定めた歴史的に意義ある建物に掲げられる。約200カ所あるという。
 写真のマルテーザ教会では今日、教会コンサートがあるようだ。
[PR]
by bonjinan | 2017-10-28 10:45 | 旅、散歩 | Trackback

ブラチスラヴァ

 1993年にチェコとの連邦制を解消し主権国家となったスロヴァキアの首都がブラチスラヴァ。
チェコスロヴァキアになる前は、長い間ハプスブルク家支配のハンガリーの一都市として発展してきた。1536年、ハンガリー帝国の首都ブタがオスマントルコに攻め落とされた際にはハンガリーの首都となったこともあった。

《プラチスラヴァ城》
c0192215_19234695.jpg

 丘の上のプラチスラヴァ城
 ローマ時代の砦から始った城。最も栄えたのは18世紀のマリアテレジアの時代。
 居城とした時期もあった。19世紀には荒廃し復旧されたのは第2次世界大戦後となった。
 四角い建物の四隅に塔をもつ独特の外観で”ひっくり返したテーブル”などとも呼ばれるという。
 現在城内の一部は歴史博物館となっている。
c0192215_9551823.jpg

 城内にあるレストランから眺めるプラチスラヴァ城
c0192215_19502138.jpg

 プラチスラヴァ城から眺めるドナウ川

《旧市街》
c0192215_19582031.jpg
 
 ミハエル門
 かつて旧市街を囲む城壁にあった4つの門のうちの一つ。
 通りにはカフェやレストランが並ぶ。
c0192215_2043854.jpg

 聖マルティン教会
 1563~1830年まで歴代ハンガリー王の戴冠式が行われ。1741年にはマリア・テレジアが
 この教会で戴冠した。
c0192215_2082520.jpg

 旧市庁舎とフラヴァーネ広場がある。広場に面しては日本大使館がある。

 参考:市中心部の風景については別掲
[PR]
by bonjinan | 2017-10-26 20:20 | 旅、散歩 | Trackback

センテンドレ

 ハンガリー、ブタペストの北にドナウ川に面したセンテンドレという町がある。
 中世からセルビア人を中心とした交易商人によって発展した町。
 今は入り組んだ小路が魅力の観光地となっている。
c0192215_823882.jpg

  ドナウ川沿いの商店街
  小路に入ると教会、美術館、土産屋さんが軒を連ねる。
c0192215_825405.jpg

  夕暮れのドナウ川
[PR]
by bonjinan | 2017-10-26 18:08 | 旅、散歩 | Trackback

大聖堂とドナウベンドの風景と@エステルゴム

 初代ハンガリー国王(イシュトヴァーン1世)戴冠の地にして、13世紀ブダに遷都されるまで
 ハンガリー王の居城が置かれていた古都がエステルゴム。ハンガリー発祥の地である。
 現在に至るまでハンガリー・カトリック総本山の地ともなっている。
 荘厳な空気が流れる聖堂とドナウベント地方の静かな秋を楽しむことができた。
c0192215_16265248.jpg

 大聖堂
 初代聖堂はイシュトヴァーン1世の時代(在位997-1038)に建造されたが火災等で消失。
 現在の聖堂は1869年に再建されたもの。
 高さ100m、直径53mのドームを頂く新古典様式の堂々たる総本山の聖堂。
c0192215_1630478.jpg

 大聖堂内部
 主祭壇にはイタリア人グレゴレッティ作「聖母マリアの昇天」の絵が掲げられている。
 1枚のキャンバスに描かれた絵としては世界最大級という。
c0192215_1644236.jpg

 大聖堂をとりまく木々の黄葉。静かで美しい景色でした。
c0192215_16504388.jpg

 大聖堂から眺める「ドナウベント地方」(ドナウ川の曲がったところ)の風景。
 マーリア・ヴァレーリア橋を渡ったドナウ川の向こう側はスロヴァキア。

 (補足)比較的近くに、スズキ(自動車)の現地法人「マジャールスズキ」がありヨーロッパ
 での製造拠点にしている。
 なお国名のハンガリーは英語での公式表記、正式名称は「マジャール」(発音はマジャル)。
[PR]
by bonjinan | 2017-10-26 17:08 | 旅、散歩 | Trackback