京都西陣、千本通りに面した釘抜地蔵尊を訪ねた。
正式には家隆山石像寺(しゃくぞうじ)。
弘法大師空海によって819年に創建された寺院。遣唐使として唐に渡った空海が持ち帰った石に、自ら地蔵菩薩を彫り、人々の苦しみを救い助けようと祈願されたという。昔「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれる時期もあったが、その後、手の痛みに苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっている二本の恨みの釘が原因と告げ抜いて救ったことから釘抜地蔵と言われるようになったという。
参道を進むと地蔵堂の前に大きな釘抜きのオブジェがある。
地元の人びとが何かとお願いに来られるようで腰掛も用意されている。
地蔵堂の壁を埋め尽くす八寸釘と釘抜きを張り付けた絵馬。
願いが叶ったお礼に奉納されたものという。
地蔵堂の裏には鎌倉時代の阿弥陀三尊石仏(重文)
誰でも気軽に来れる、現在と未来への祈り場である。
近くには平安時代の歌人・小野篁が開いた千本ゑんま堂引接寺もある。
ゑんま堂のご本尊はもちろんゑんまさま。ゑんま堂は京都の三大墓地(化野、鳥辺野、蓮台野)の一つ蓮台野の入り口、魔界への入り口であった。
釘抜地蔵尊の場所:京都市上京区千本通上立売上ル花車町503