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レオナルド・ダ・ヴィンチ像@ミラノ

ミラノ、レオナルド・ダ・ヴィンチといえばサンタ・マリア・デレ・グラッツイエ教会の『最後の晩餐』が頭に浮かぶが、今回は時間なく断念。スカラ広場(スカラ座前、ガレリアの横)にある銅像でとりあえず我慢することに。
レオナルド・ダ・ヴィンチ像@ミラノ_c0192215_1205031.jpg

万能の人、レオナルド・ダ・ヴィンチ像。周囲の像は弟子たちとのこと。

補足:レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンとミラノの関係
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)はフィレンツェ郊外で生まれた。1482年頃、画家として独立したところで、ロレンツォ・ディ・メディチの推挙でミラノに赴き、スフォルツォ家の宮廷に仕えた。ダ・ヴィンチはルドヴィコ・スフォルツァのもとで絵画だけではなく彫刻や建築、さらには軍事技術の専門家として重用された。1499年、ミラノはフランスのルイ12世の侵攻を受け翌年陥落しルドヴィコはフランスに連行されてしまう。ダ・ヴィンチはフィレンツェに戻り、そこで『モナ・リザ』の制作を開始する。その後、フランス統治下にあるミラノに再び戻り、フランス王ルイ12世の宮廷画家兼技術者として仕える。しかしそのフランスも教皇や諸侯の反攻でミラノを明け渡す。 ダ・ヴィンチはローマに赴き教皇レオ10世の弟ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチに仕えた。このようにダ・ヴィンチはパトロンが巻き込まれる抗争の影響で1カ所に留まることができず各地を転々とした。晩年の1515年、当時自国を芸術の中心にしようとしていたフランス王フランソワ1世に招かれ、フランス中部のアンボワーズの館で没している。かの有名な『モナ・リザ』は手元から離さず書き続けていたことでフランスにあり、ルーブル美術館に飾られている。
by bonjinan | 2009-10-30 20:30 | 旅、散歩