紀元前にローマ帝国が建設した町、スペイン、コルドバ(Cordoba)。
メスキータ(Mezquita)の南、グアダルキビル川に架かる橋がローマ橋。
プエンテ門(ローマ橋側):かつては城壁の一部だった。
メスキータ側から来るとこの門。アルカサル通りを挟んでローマ橋。
アルカサル通り:パティオ祭りは過ぎたのだが。花飾りをつけた馬車の列が通り過ぎた。
ローマ橋とカラオーラの塔
古代ローマ時代に造られた橋の土台の上に幾度となく修復を繰り返してきたという。カラオーラの塔はイスラム時代の要塞。グアダルキビル川を南に下る(写真の左方向)とセビーリャ。
補足1:セネカ前27-後68)のこと。第5代ローマ皇帝ネロ(16歳で即位)の家庭教師、帝国の政治家、ストア派の哲学者、詩人セネカはコルドバで生まれている。コルドバはローマ帝国属州の州都であった。
補足2:皇帝ネロ(在54-68)のこと。歴史書では母を殺害し、キリスト教徒を迫害した「ネロ帝の迫害(64年)」などで知られる、類まれな暴君である。しかし近年の研究ではこうした側面もあったが、後の政治家、歴史家が誇張して書いたのだという。どういうことか。この時代には大きな戦争はほとんどなく、ネロ帝自身をも戦争を好まず、むしろ平和と芸術を愛した。民衆の声をよく聴き政治に反映した。今風に言えば、既得権益を有する貴族、政治家と対立する政策を採ったが故に、死後の反発も大きかった。